東日本大震災から一夜明けて2011年03月12日 22時04分54秒

★何も変わらないこちらと壊滅的状況の東北太平洋沿岸部

 大地震から一夜明けた。関西や海外に住む友人たちからはこちらの安否を案ずるメールや電話が何件もあった。有難く申し訳ない。

 昨日のブログでも書いたが、昨日の揺れはかなり激しく記憶にない大きさの地震だったと思うが、ウチの被害と呼べるものは、積み上げていた雑誌の山が崩れたことと掛け時計が落ちたぐらいで、電気もガスも水もパソコンも何ら異常なく通じていて、ご心配頂いて申し訳ないぐらい何でもなかった。
 ただ、電車は昨日は全く動いていなかったので、招いて庭のイチョウの枝下ろしや床のニス塗りなど手伝ってもらった世田谷在住の友人は帰宅できずに、夜遅くまでテレビ見ながら酒呑んで一泊して今朝方電車が動き出したのを確認して帰ってもらった。

 昨日からテレビでは主に東北の太平洋沿岸の町々の津波による被害の様相を映し出していてその規模の度合いの激しさに驚かされ暗澹たる気持ちになっている。
 そして今朝方犬と散歩して、今自分の住んでいる町の平穏さ、地震などあったことが全く何も感じられない変わらないいつもの日常に違和感のような不思議さを覚えた。向こうでは人々が逃げまどい助けを求めるあんな惨憺たる状況が今も続いているのにこの穏かさはいったい何なのか訝しくさえ思った。悪夢のようなという言葉があるならこれもまた夢かもしれないと思ってしまった。

 東京でも都心の高層マンションに住む友人は、揺れの激しさに室内のものが落ちたり倒れたり散乱しガラスも食器も割れて元通りに戻すのが大変だと連絡があったし、千葉に住む叔母と電話がようやく繋がったら、瓦が落ちたりの被害があったとのことで、やはり都心部、沿岸部の方が被害甚大だとわかってきた。
 自分は家で仕事しているので考えもしなかったが、昨日は平日金曜日でもあり都心に通う勤め人の多くは交通機関がマヒして昨晩は帰宅難民となってしまい、家には戻れず会社などに泊まった方も多数いたようだ。

 大地震があったことを感じさせるのは、昨日から続いている余震だけであり、寝ていても昨晩からグラグラ、みしみしと何度となく揺れて、こちらももはや慣れて、あれほど強いのはもう来ないと、ああまたかと思う程度となっている。
 ただ、スーパーなどでは北関東方面からの物資が入荷しないのと買い込みする人が多いからか、棚はガラガラのところも多く、本の発送も今日になって溜まっていた注文本を出しにヤマトの営業所と郵便局に行ったらば、北関東から東北、北海道までの便は現在受け付けないと突っ返された本もあった。また、関西方面でもいつ到着するかはまったくわからないと念を押されて、改めて地震の余波がこんなところにまで及んでいるのだと思い知らされた。

 中国の古い諺に、「桑田変じて海となる」という言葉があるのを今回の地震、そして津波が押し寄せた地区の映像を見て思い出した。この諺は世の移り変わりの激しさを喩えたもののはずだが、大地震後わずか30分そこらで、一瞬にして津波が押し寄せ、人々が営み、暮らしていた町は海に飲まれてしまった。予想だにし得ない天変地異とはいえ、これが東京下町のゼロメートル地帯であったら、都心部はほぼ壊滅してしまうに違いない。
 こんな地震列島の海沿いに無謀にも原発をいくつも作るような我々の現代文明自体が今回の大地震で試され、オール電化神話に頼るその常識すら揺さぶられていると思える。

 これで地震は収まるわけではない。明日は我が身、いよいよ東京だと自戒した。