おそらく最後の春一番2011年03月30日 22時09分52秒

★亡き阿部ちゃんの遺志に報いるためにも

 今月、2011年の3月も終わろうとしている。今月は歴史に残る大震災の起きた月として、長く記憶と歴史に刻まれることだろう。今もなお復旧のメドは立っていないし、原発事故も含めてこれだけの大災害は今後何年もの間この国全体に深い爪跡を残すと思われる。

 さて、そのことはさておき、自分としてはこのところ今年の春一番コンサートについて気持ちが揺れ動いている。もちろん行きたくても今年は行けるとははなから考えていない。しかし母がともかくも癌手術後、家に戻ってきてからはもしかしたらうまくすれば例年の如く大阪へ行けなくもないかもとかすかな可能性もわいてきた。

 正直な気持ちとして今年こそ今年だけは何としても行きたい。何故なら断定は出来ないし迂闊なことは言うべきではないが、春一番コンサートも今年今回で終わると思われるからだ。その理由はただ一つ、主催者の一人、自分も深く敬愛した阿部ちゃんこと阿部登が昨年暮れ亡くなったからだ。
 大阪の、5月の大型連休に毎年開催されるフォークシンガーたちの一大音楽イベント「春一番」というのは、1970年代初頭から主催者福岡風太という名物男と阿部登の二枚看板で何十年も続いてきた。
 この二人は表と裏、陰と陽の関係であり、風太が表看板だとすればそれを裏方として支えてきたのが阿部ちゃんであった。二人は40年来の親友であり、自転車の両輪、歯車としてまさに二人三脚で長年このコンサートを企画運営してきた。
 このコンサートは昔からの主だった出演者は高田渡をはじめ近年次々と櫛の歯が抜けるよう死により去っていったが、風太と阿部ちゃんの二枚看板が健在の限り続いていくと、当人たちも観客も信じていたしじっさい主なミュージシャンたちが還暦過ぎの高齢化を迎えても毎年大阪春の風物詩として春一は復活再開後も何十年も続いてきていた。

 しかしその名コンビ、二人のうちの一人片割れが死んでしまった。彼らを知るミュージシャンに聞いてもおそらく風太一人ではもうコンサートはやっていけないたろうと口にしていたし、今年の春一番だけは、既に昨年度が終わってから準備に動き始めていたから当然開催は決定していたから決定であるが、問題はその次、来年である。増坊もたぶん今年でついに最後だと予想している。ならばなおのこと行きたい。

 しかも今年こそは70年代の9回も含んで通算で40回目だそうで、ある意味終わらせるにも区切りが良い。個人的には福岡風太が生きている限り、これからも毎年回を重ねて開催してほしいと心から望むが、もはや阿部ちゃんがいない春一は春一としても別なもののようにも思える。今年2011年で最後としてついに終了してもそれは仕方ないし理解も納得も出来るかと思う。だからこそ気持ちとしては今年こそ何が何でも参加したいとは切なる気持ちだ。

 自分は10代のころ、大阪天王寺野音で催された70年代の春一は77年、78年と二回2年続いて東京から通った。しかしそのとき最後の79年は何故か行かなかった。そのことがずっと後悔の種でもあった。
 そしてもし今年の春一番が本当に最後の最後だとしたらば行かなかったことはきっと生涯痛恨の極みになると思える。しかし、今は母の容態も安定せずどうしても行くことがかなわない。
 まだ一ヶ月先の話であるが、今から苦悶し始めている。