何でもない当たり前であることの幸福2011年03月26日 03時50分22秒

★3.11以後自分もどう生きていくかだ。

 不慮の大震災は直接の被害はなかった自分だけれど、被災された方々の惨状と苦難を横目に見つつ、我家での「生活再建」を模索している。これからどうしていくかなのだ。

 今のままではブックカフェもいったいいつ開店となるかまったく目星もつかないし、大地震の余波はなくとも母の退院以降この家は生活環境が一変したので混乱の極みに今ある。病気を抱えた老人二人と暮らすことは家はとりあえず完成したものの新たな段階に入ったと言えよう。

 この家は自宅療養中の母の今後のがん治療と認知症の父の問題がうまく進むようになってこそ自分の生活、人生が動き出す。母の闘病ととりあえずの生還、そして3.11の大震災は自分にとっても大きな転機となった。家族とは何か見つめ考えなおすきっかけとなった。

 自分は決してたった一人で生きてはいけないし、いやでも早晩「お一人様の老後」が待っている。だから今は今ある家族を大事に大切にしていかねばならないし、そうすべきだと理解はしているが家族、それも老人と暮らしていくことは大変だなことだとはっきりわかってきた。時にはまた切れてうんざりもしてしまう自分である。これまでは親たちはさほど手のかからない老人だったので自分もまた音楽にしろ旅にせよ自分のことが好き勝手にできていたのだった。

 何でもない当たり前のありふれた幸福ということがこのところあちこちで取りざたされている。大震災は人々にそのこと、「ささやかな幸福、家庭の幸せ」を思い知らしめてくれた。自分もまた母が還ってきてそのことを思い返し噛み締めている。
 その幸せを手放したくないし、手のかかる病人二人であろうと介護保険を活用して息子である自分は何とかうまくやっていきたいと願う。
 
 ブックカフェ開店は正直いつになるかお約束できない。まず親たちのこと、彼らの人生がスムーズに動きだしてからだ。しかし、だからといって、彼らの介護だけに追われていたら自分の人生も終わってしまう。ましてなかなか出かけられないならウチに人が来てくれたほうが良い。

 先のことは見えないけれど、この家で自分も自分の人生を動かしていきたい。気がつけば今月も終わる。年が明けてから本当に慌しい三ヶ月だった。まだこれから一波乱も二波乱もあるだろうし、さらなる試練も苦労もあると覚悟するが、自分の夢を諦めずに少しでも実現するよう並行して進めていきたいと考えている。両立は難しいだろうけれども。

 来月からは月間計画をまた再開して公表していこうと思う。今あることの幸せを大切にしながらやっていきたい。