人生のリセットボタンを押した。2011年03月28日 22時51分01秒

★もう一度自分もまた再生開始としたい。

 3月も終わるというのに寒い日がまだ続く。被災地では瓦礫と化した家々の残骸の上に何度雪が降り積もったのか。
 生きるも地獄という言葉があるが、家族全員、まして子供たちを失った親の気持ちはいかほどの悲嘆悲哀かと想像に余りある。それでも生き残った者はこれからも生きていかねばならない。この世に哀しみ苦しむ者がいる限り自らの幸福はありえないならば、自分もまた被害に遭われた方々のために何かすべきこと、できることがあるはずたと真摯に考えている。できれば現地に行きたいと思う。

 さて、母が退院して一週間と明日でなる。量が食べられないことも食べるとすぐにトイレに駆け込むのも相変わらずではあるが、まあ大事に至らず再び病院に戻ることはなく、何とか事もなく日々過ぎていっている。ならばそれだけでも良いことなのかと考えるしかない。
 来月から抗がん治療も始まるわけだが、ともかくこの家で療養しつつ生活しつつ癌と闘っていくしかない。一週間が過ぎて、ようやくそうした母を交えての生活のスタイルが模索しつつ見えてきた気がしている。

 これまでは拙ブログもそうであったが、病気の母のことばかりが全ての中心で、まずは看病と父の世話などの我が家のことだけに追われ忙しく身動きとれず自分のことは何一つできなかった。
 かろうじて家でできる古本稼業だけほそぼそと続け、注文あれば発送し本の処分を兼ねた在庫整理は続けていた。しかし他のこと、音楽活動も人と会うために出かけることも手控えるしかなく、友人知人の動向もわからないし、稀にライブなどのお誘い連絡があってもなかなか返答すらできなかった。

 だが、昨日ようやく若き友人の招きで、夕方から代官山に出向き、先の浅草木馬亭を手伝ってくれた知人が出る演劇を観て、その後串カツ屋で軽く呑みあれこれ互いの近況を語り合った。友人知人と外で会い酒を酌み交わしたのは、1月末の西荻のみ亭での中川五郎さんとのライブ以来である。

 母の容態のほうが手術、そして退院と一段落したということもあるが、ようやくこれでひとまず一つ段階を終えたという気がした。おかしな表現だが、リセットボタンのスイッチを押しなおした思いでいる。もちろん今後のことはどう進むかわからない。母がまた悪化し入院となる可能性も高いし、そうなればまた振り出しに戻り身動きとれない日々が再開する。

 いや、今だって身動きがなかなかとれないのは同じであるが、気持ちは格段に違う。やせ衰え弱弱しくフラフラでも今現在は治療中ではなく、家で共に暮らせて日常生活が送れている。だから体調さえ良ければ、食事の用意だけしておけば自分もまた外へと少しは家を空けられる。

 母がどこまで元気になるかいつまで生きていけるかわからない。しかし、こんな調子でも何とか食べられて多少でも動けるようならば、母のことにかかりっきりにならずとも自分は自分のことがまたできるような気がしてきた。

 このところの拙ブログ、ともかく母のことしか書けなかったが、これからは何か起こらない限りそちらは控えて、前のように本の事や音楽のことなど自分ごとを書いていこうと思う。もちろん、ブックカフェ開始に向けての動きも。
 今まではまず母の容態優先で、毎日その日のことで精一杯でまったく予定も計画も立たなかった。これからは先の計画立てで目標を決め連絡告知もして動いていこうと考えた。今年も早や三ヶ月が過ぎてしまったが今ようやくここで仕切りなおしである。

 ブログの読者方に対しても友人知人に対しても迷惑をかけてきたことを改めてお詫びする。何かを始めるのに遅すぎることはないとするならば、すべてはまたここからなのだと思いたい。