ええかげん祭りの報告を ― 2012年08月18日 16時02分44秒
★まずは全体の流れを別ブログのほうでアップさせた。
まだまだ残暑は厳しいが、このところ午後になると雷が鳴り夕立がざーと降るようになって、蜩セミも鳴いて、ずいぶん涼しく秋めいて来た。これだけの全国的猛暑でも全国的に計画停電や政府からの緊急節電要請はないし、十分に電力は足りていた。まさか原発を一基再稼動させたおかげで今夏の危機を乗り切れたという詭弁は言いだせない程そもそも最初から電力は不足していなかったのである。大阪の市長の再稼動容認への苦渋の決断?も取り越し苦労、いや騙したのか騙されたかはともかく、判断ミスではなかったのか。要するに、このままだと大変だ、大変なことになると危機を煽っては悪事悪法を成し得ようする政治的手法のパターンなのである。
さて、昨日から少しづつ12日の津市ええかげんでのフォークフェス「ええかげん祭り」の画像を整理して別ブログにアップし始めている。ご覧いただければ当日の様子はつかめるかと思う。むろんあくまでも「絵」だけであり、その音楽の楽しさ素晴らしさはそのときその場だけのものだ。少しでも関心を持って頂き、ぜひ来年こそは参加してみたいと思う方が一人でもいたらと思いこうしたことをやっている。あるいは名前を覚えてもらいそのシンガーが近くに唄いに来たときは気軽にライブに足を運んでもらえたらと願う。
昨年の春一で風太からはそんこと余計なことだと申し渡されたが、自分なりに好きなミュージシャンをこうしたカタチで応援していくことは「恩返し」だと考えているし、撮られた方から抗議あれば削除するのでご理解いただければと思う。
まだ中途かもしれないが、覗いてみてください。
http://masdart.exblog.jp/18354872/
まだまだ残暑は厳しいが、このところ午後になると雷が鳴り夕立がざーと降るようになって、蜩セミも鳴いて、ずいぶん涼しく秋めいて来た。これだけの全国的猛暑でも全国的に計画停電や政府からの緊急節電要請はないし、十分に電力は足りていた。まさか原発を一基再稼動させたおかげで今夏の危機を乗り切れたという詭弁は言いだせない程そもそも最初から電力は不足していなかったのである。大阪の市長の再稼動容認への苦渋の決断?も取り越し苦労、いや騙したのか騙されたかはともかく、判断ミスではなかったのか。要するに、このままだと大変だ、大変なことになると危機を煽っては悪事悪法を成し得ようする政治的手法のパターンなのである。
さて、昨日から少しづつ12日の津市ええかげんでのフォークフェス「ええかげん祭り」の画像を整理して別ブログにアップし始めている。ご覧いただければ当日の様子はつかめるかと思う。むろんあくまでも「絵」だけであり、その音楽の楽しさ素晴らしさはそのときその場だけのものだ。少しでも関心を持って頂き、ぜひ来年こそは参加してみたいと思う方が一人でもいたらと思いこうしたことをやっている。あるいは名前を覚えてもらいそのシンガーが近くに唄いに来たときは気軽にライブに足を運んでもらえたらと願う。
昨年の春一で風太からはそんこと余計なことだと申し渡されたが、自分なりに好きなミュージシャンをこうしたカタチで応援していくことは「恩返し」だと考えているし、撮られた方から抗議あれば削除するのでご理解いただければと思う。
まだ中途かもしれないが、覗いてみてください。
http://masdart.exblog.jp/18354872/
自分は「約束の地」へと向かっているのか。 ― 2012年08月18日 19時25分12秒
★自らの生きかたを問い、見つめ直すきっかけとしての旅、音楽。
あれから一週間が過ぎた。あれからずっと考え続けていることがある。自分は“約束の地”へ向かっているのだろうかと。
増坊を昔から深く知る人は、この男は単に迂闊、軽薄かつだらしないだけでなく、とことん自堕落な破滅型的傾向があることはご存知かと思う。誇張ではなく、何か失敗や大きなトラブルがあると、もうすぐにヤケクソになって、人生そのものをネグレクト、もう全てどうでもいいやと投げ出してしまう。
しかし、若いときはともかくもさすがに歳もとり、近年はまがりなりに信仰を持つようになってからは、そうした傾向はだいぶ影をひそめた。しかし、ごくたまに、一年に一回、もしくは二年に一回程度、どこかで爆発してその後しばらくの間、立ち直れない程悔やみ鬱々と苛むこととなる。たいがいは常にそこに酒が関係していて、しかもどこか出かけた先の非日常の場という要素も絡んで、気が緩み、しかもある程度気を許した人たちといるときにそれは起こる。
畏友ガスリーには申し訳ないが、自分にとってこのところの「ええかげん祭り」はそうした場で、つい楽しくて行けたことで浮かれてはしゃぎ、つい酒もしこたま呑んでしまい最後は意識不明となり失言、失態を繰り返す。今年もまたそうした傾向が出てしまった。醒めてから深い挫折感、絶望感、自責の念に苛まれる。
今そうした例年の悪いパターンを振り返ると、ちょうどその年のストレスが蓄積してくる時期が今頃で、生活に倦み疲れてきたので旅に出たくなりそこでこうした失敗を仕出かすのだと思い至る。そしてその後はしばらく完全禁酒が続く。去年もそうであった。
しかし元々が意志薄弱の自分に甘い人間だからまた時間と共に少しづつ飲酒習慣は復活し、溜まったストレスと相俟ってついにええかげん祭りの場で爆発してしまうのである。本当に申し訳なく情けなく恥ずかしいことだ。
しかし、あれから時がたち、今は気持ちの整理もついた。ならば行くべきでなかったかと問うてみるとやはり今年も行けたこと、行ったことは絶対的に良かったし新たな出会いと何よりいくつも考えるテーマを得たし答えもみつかった。それは音楽=うたについてであり、ある意味自分の生きかた、人生そのものについてもである。出かけずに猛暑続く中、家で老親たちと相変わらずの日常を続けていたら得られないことであった。だからご迷惑をおかけした方々には相済まなく思うが、過ぎたこと、起きたことは変えようもないゆえ受け入れていくことにした。
自分は本当に約束の地に向かっているのか。この道はそこに続いているのか。短い旅でもそのことを問い直すきっかけとなった。
あれから一週間が過ぎた。あれからずっと考え続けていることがある。自分は“約束の地”へ向かっているのだろうかと。
増坊を昔から深く知る人は、この男は単に迂闊、軽薄かつだらしないだけでなく、とことん自堕落な破滅型的傾向があることはご存知かと思う。誇張ではなく、何か失敗や大きなトラブルがあると、もうすぐにヤケクソになって、人生そのものをネグレクト、もう全てどうでもいいやと投げ出してしまう。
しかし、若いときはともかくもさすがに歳もとり、近年はまがりなりに信仰を持つようになってからは、そうした傾向はだいぶ影をひそめた。しかし、ごくたまに、一年に一回、もしくは二年に一回程度、どこかで爆発してその後しばらくの間、立ち直れない程悔やみ鬱々と苛むこととなる。たいがいは常にそこに酒が関係していて、しかもどこか出かけた先の非日常の場という要素も絡んで、気が緩み、しかもある程度気を許した人たちといるときにそれは起こる。
畏友ガスリーには申し訳ないが、自分にとってこのところの「ええかげん祭り」はそうした場で、つい楽しくて行けたことで浮かれてはしゃぎ、つい酒もしこたま呑んでしまい最後は意識不明となり失言、失態を繰り返す。今年もまたそうした傾向が出てしまった。醒めてから深い挫折感、絶望感、自責の念に苛まれる。
今そうした例年の悪いパターンを振り返ると、ちょうどその年のストレスが蓄積してくる時期が今頃で、生活に倦み疲れてきたので旅に出たくなりそこでこうした失敗を仕出かすのだと思い至る。そしてその後はしばらく完全禁酒が続く。去年もそうであった。
しかし元々が意志薄弱の自分に甘い人間だからまた時間と共に少しづつ飲酒習慣は復活し、溜まったストレスと相俟ってついにええかげん祭りの場で爆発してしまうのである。本当に申し訳なく情けなく恥ずかしいことだ。
しかし、あれから時がたち、今は気持ちの整理もついた。ならば行くべきでなかったかと問うてみるとやはり今年も行けたこと、行ったことは絶対的に良かったし新たな出会いと何よりいくつも考えるテーマを得たし答えもみつかった。それは音楽=うたについてであり、ある意味自分の生きかた、人生そのものについてもである。出かけずに猛暑続く中、家で老親たちと相変わらずの日常を続けていたら得られないことであった。だからご迷惑をおかけした方々には相済まなく思うが、過ぎたこと、起きたことは変えようもないゆえ受け入れていくことにした。
自分は本当に約束の地に向かっているのか。この道はそこに続いているのか。短い旅でもそのことを問い直すきっかけとなった。
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