自分は「約束の地」へと向かっているのか。2012年08月18日 19時25分12秒

ええかげんの前に広がる伊勢湾を望む
★自らの生きかたを問い、見つめ直すきっかけとしての旅、音楽。

 あれから一週間が過ぎた。あれからずっと考え続けていることがある。自分は“約束の地”へ向かっているのだろうかと。

 増坊を昔から深く知る人は、この男は単に迂闊、軽薄かつだらしないだけでなく、とことん自堕落な破滅型的傾向があることはご存知かと思う。誇張ではなく、何か失敗や大きなトラブルがあると、もうすぐにヤケクソになって、人生そのものをネグレクト、もう全てどうでもいいやと投げ出してしまう。
 しかし、若いときはともかくもさすがに歳もとり、近年はまがりなりに信仰を持つようになってからは、そうした傾向はだいぶ影をひそめた。しかし、ごくたまに、一年に一回、もしくは二年に一回程度、どこかで爆発してその後しばらくの間、立ち直れない程悔やみ鬱々と苛むこととなる。たいがいは常にそこに酒が関係していて、しかもどこか出かけた先の非日常の場という要素も絡んで、気が緩み、しかもある程度気を許した人たちといるときにそれは起こる。
 
 畏友ガスリーには申し訳ないが、自分にとってこのところの「ええかげん祭り」はそうした場で、つい楽しくて行けたことで浮かれてはしゃぎ、つい酒もしこたま呑んでしまい最後は意識不明となり失言、失態を繰り返す。今年もまたそうした傾向が出てしまった。醒めてから深い挫折感、絶望感、自責の念に苛まれる。
 今そうした例年の悪いパターンを振り返ると、ちょうどその年のストレスが蓄積してくる時期が今頃で、生活に倦み疲れてきたので旅に出たくなりそこでこうした失敗を仕出かすのだと思い至る。そしてその後はしばらく完全禁酒が続く。去年もそうであった。
 しかし元々が意志薄弱の自分に甘い人間だからまた時間と共に少しづつ飲酒習慣は復活し、溜まったストレスと相俟ってついにええかげん祭りの場で爆発してしまうのである。本当に申し訳なく情けなく恥ずかしいことだ。

 しかし、あれから時がたち、今は気持ちの整理もついた。ならば行くべきでなかったかと問うてみるとやはり今年も行けたこと、行ったことは絶対的に良かったし新たな出会いと何よりいくつも考えるテーマを得たし答えもみつかった。それは音楽=うたについてであり、ある意味自分の生きかた、人生そのものについてもである。出かけずに猛暑続く中、家で老親たちと相変わらずの日常を続けていたら得られないことであった。だからご迷惑をおかけした方々には相済まなく思うが、過ぎたこと、起きたことは変えようもないゆえ受け入れていくことにした。

 自分は本当に約束の地に向かっているのか。この道はそこに続いているのか。短い旅でもそのことを問い直すきっかけとなった。

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