11月に入りました。がんばります。2012年11月01日 20時18分47秒

★気持ち新たに年内を乗り切っていく。

 いつも拙ブログを訪れて頂き本当に有り難く思っています。
 
 おかげさまで、老親たちも何とか体調は保ちつつたぶん今年も乗り切れるかと思える。母は先日、吐いたり下したりやや調子を崩していたが、もう回復した。たぶん風邪の引き始めだったのではないか。おかげ様で癌を抱えつつも元気にほぼ病気前の生活が送れている。じっさい癌にならなくても手術もしなくても来年は年女、還暦+12 ×2の歳ともなるのである。十分に本当の老人であり足腰が弱くなって体力が落ちても当然なのだ。親父の方も老人力全開で元気に妄動妄言徘徊中である。彼ももう米寿である。何はともあれ両親揃って実に長命であろう。

 犬たち、といってももう二匹だけであるが、最後の老犬バドも歩くのもやっとというヨボヨボであるが、まだ食欲だけはしっかりありさほど手間もかからず、間もなく18歳になる。その親がレトリバー種という大型犬の家系としては実に長寿だと飼主でさえ感心する高齢となった。兄妹であるロビンが今年の春死んだことは先にも書いたが。まあ、妹?姉?の分までも長生きしてほしい。問題はこの冬を乗り切れるかどうかである。

 何だかんだ慌しいのは通年のことであるが、このところそんなこんなで、出かけられるようにもなってきたし、また新たな企画も立てられるようになってきた。それは親たちが元気であるからだし、犬も猫も幸いにしてさほど手がかからなくてすむからだ。そして自分の体調も胃の薬を足してもらったせいかまあまあである。腰痛もこのところ痛まない。
 ゆえに、先月も拙ブログ、間空ける事なく、休むことせずに一ヶ月間連続日々執筆記録更新中である。

 それもこれも読者の皆さんのおかげだと改めて感謝する。
 会ったことのない方も多々いるが、暖かい励ましとご指摘にに支えられて続けることが出来た。先日も「唖蝉坊」の表記を「唖然坊」としてあったのをご指摘を受けて慌てて直した。これは当然自分も気づいていなかったのではなく、書いているときは急いでいて「唖」とか「蝉」という字を出すのがメンドーなので後で直すつもりが失念してそのままになっていたものだ。
 読み手はお分かりのことだと思うが、自分はともかく書くのが早いし一気に深く考えず書き上げてしまうのでつい誤記、脱字が多くなる。読み返せば気づくのだが、忙しいとついそのままになっていることがよくある。あまりひどい時、理解不能のときは遠慮なくご指摘願いたい。

 何はともあれ、皆様に支えられて、誰かが読んでくれると信じて続いてきている。拙ブログに支えられ生きている。残りの二ヶ月、あれもこれもできやしないが、あれもこれもやるべきことを一つづつやっていくつもりでいる。どうか今後ともよろしくお付き合いください。深く感謝します。
 皆様に神のご加護を。世に平和を。

四畳半の学生下宿に別れを告げる2012年11月02日 20時21分05秒

★「社員」の四畳半下宿の引越し。

 今日、2日は、近く東京の下宿を引き払い実家のある茨城県笠間に居を移すウチの「社員」の引越しの手伝いで、車を出してアパートのある都内祖師谷まで出向いた。
 彼が四畳半で長年使っていた小型冷蔵庫ともう今は映らないテレビ、そして処分する自転車を車に乗せて持ち帰ってきた。これらはウチから粗大ゴミとして回収業者に出す予定だ。都内だとそうした粗大ゴミはやたら金がかかるのと運ぶのにも手間がかかる。今回、その他、彼のところに預けていた荷物、不要雑誌などもあったので、車で引き取りに行ったという次第。

 そのアパート、-いや正しくは学生向け下宿と呼ぶべきであろう、-に社員ことTは、大学時代から実に31年間も住み続けていた。俺の周りは基本的に奇人変人の宝庫だが、ダントツはやはりこの男かと思える。

 彼がそのYさんという大家さんの離れの四畳半に住み始めたのが1979年。世田谷区祖師谷の閑静な住宅地の広い庭の中に、大家Yさん夫婦が自宅に隣接して下宿として別棟を建てたのがいつかは知らない。ただ、その「下宿」は、まさに下宿としか呼びようがないもので、昨今のアパートとは違い普通の民家であってその各部屋ごとを貸していた。今ではもうそんなところはたぶん都内にはどこにもない。

 大家宅とは入り口は別だったが、普通の玄関から入ると、左手に共同のコンロが二つあるジントギの流し場がある狭い炊事場、右手奥に共用の便所が一つ、一階には四畳半の部屋が三つ。二階もほぼ同じ間取りで、むろんのこと各部屋の中には流しもトイレも付いてはいない。各部屋とも畳の四畳半と半間の押入れ、その上に物入れがあるだけ。家賃は当初1万2千円そこらだったという。もちろん風呂などどこにもないから銭湯へ行く。
 今の若い人は田舎から出てきたとしてもそんな部屋で生活することはたぶんよほど貧乏でもまずできっこない。いや、そもそもそんな下宿というかアパートは都内にはもはやどこにもない。何よりシャワーもないどころか、台所もトイレも共同というのは耐えられないのではないか。その頃の自分だってチュウチョしたはずだ。そこにはプライバシーがほとんどない。

 でもTという男はその下宿の四畳半一室に1979年から今年までずっと暮らしていた。じっさい、この10年は他の下宿人は順次出ていってしまい今では下宿人は彼ただ一人となっていたのである。大家がよく彼を追い出さなかったと感心もするが、近年はその建物の二階は大家の孫に当る若い子持ち夫婦世帯が住み始めていて、一階の半分も彼らの風呂場に改造されたそうで、Tは長い付き合いでもあるので言わば大家たちのご好意で置いてもらっていたようなものだったのだ。今の家賃は近年ずっと値上がりも更新料も取られずに2万円。それを直接隣の大家へ月末に払いに持っていく。

 彼としてはこのまま還暦ぐらいまでそこに住んでいるのかと考えていたのだったが、拙ブログで経緯を報告したように、増坊宅での作業中に事故が起きてしまい、頭を強く打って入院騒動があり、今は幸い回復したもののそれを機に、ついに東京での生活を引き払って老母が一人で暮らしている実家に戻ることとなったのだった。じっさいのところ近年は、その老親たちの世話もあって彼も東京と茨城を月半ば間隔で行ったり来たりしていたのであった。
 だから、近いうち実家には戻らねばと彼も考えていたはずだし、学生時代から住み続けたその四畳半と近くオサラバする日が近いうちに来るとは彼を知る者は皆考えてはいたわけだが、それが今年6月のウチでの「事故」がきっかけとなるとは運命とは皮肉なものでもある。

 その四畳半に、今日十何年ぶり、いやに20年ぶりぐらいに行って感無量でもあった。まるでタイムカプセルを開けたような気がした。学生の頃は酔っぱらって帰れなくなったときなど何度も転がり込んで泊めてもらった思い出も沢山ある。と言ってもたかが四畳半であり、その部屋の記憶はさほどないが、その大家の庭や台所など全く昔の記憶通りであった。閑静な世田谷の住宅地の奥の学生向け下宿。たぶん、これで最後の店子も出たので、大家の婆さんが生きているうちはともかく、近く全部壊して孫夫婦たちはマンションでも建てるのであろうか。

 沢山の庭木で埋め尽くされた広い庭の奥にあった学生向け下宿。彼も自分も学生だった1970年代後半にはこんな賃貸、貸し部屋が成り立っていたのである。それが80年代に入ると、もっと家賃は高くてもユニットのバストイレ、狭いキッチンが各部屋ごとに付いたワンルームが登場してくる。学生は従来の学生向け下宿屋やトイレ共同のアパートを嫌い、皆そうしたワンルームマンションに住むようになる。それが時代の流れなのだと今はよくわかる。

 でも、今日そうした最後の四畳半下宿を訪れて、田舎から東京に出てきた学生にとってはこれでまずは十分ではないかと思った。ただ、そんな狭い部屋に50代半ば過ぎまで30年以上も住み続けるという男もまたヘンであることは言うまでもない。しかし、ならばこそいったいいつまでそこに住み続けられるのか、大家側から追い立てられるまでその部屋に住んでもらいたかったという気もする。ギネスブック級ではないか。その引越しの原因に自分も大きく関係しているのだから望むべくもないけれど。

 四畳半といえば思い出す、「男おいどん」などの松本零士のマンガではないけれど、本来ひとが生きていくのには四畳半で十分なのである。本当はその世界だけで生きて死ねれば素晴らしいことではないのか。ただ自分はそれができなかった。それはモノを増やさないという強い節制する克己心、自制心が求められる。あの狭い部屋で30年以上も過ごしたTという男は奇人変人と片付けるより本当にエライ大人物なのかもしれない。

曇りがちの「明治節」に2012年11月03日 19時49分13秒

★疲れが出たのか、メマイと耳鳴りの一日。

 文化の日である。が、ウチでは老人夫婦なので、今日は何の日かと、戦前ならば「明治節」だとは夫婦の会話である。まあ、つまり11月3日は明治天皇のお生まれになった日ですね。
 この日は、昔から「晴れの得意日」なのだそうで、ほとんど雨は降る事はない日なのだと母は言う。しかし、今日は雨は降らなかったものの朝から曇りがち、薄曇りで午後から晴れては来たがあまりスッキリした秋晴れとはならなかった。そんなで洗濯物もからっと乾かなかった。

 このところ出かけることが多く疲れがたまったせいか、数日前から机に向かってパソコン作業をしているとどこか遠くで電話のベルがプルルル・・・プルルルル・・・とずっと鳴っている。でもよく耳を澄ますとどこにも鳴っていない。つまりそれは耳鳴り、幻聴なのである。しかし気になる。
 メマイは昔からあったし、下手するとメニエール氏病なのか、グルグル目の前が回転することすらあった。そういうときは吐く。低血圧ゆえ軽いふらつきは日常的だが、今日は特にそれもひどく、さらにこの幻聴である。どうしたことか。いったいどうしたものか。

 メガネもこのところ老眼が進んだのか合わないようで特に右目がやたら疲れる。年内には新しいメガネを作ろうと思いつつなかなかメガネ屋行けない。今話題のパソコン用のレンズにするとやや割高なのだがそれでも今は格安でメガネが作れる時代だから一万円以内で納めたい。
 あれこれ出費もかさんで何か新しい金儲けを考えねばならないのだが、もう年内は懸案のことを片づけるだけで精一杯である。

 商売のこともともかく先送りにして、冬支度と無頼庵の企画に力を注いでいく。当日は唄いたい人は誰でも歓迎する。おっとその前に11日の反原発大集会がある。それまでに体調を戻さないことには・・・。

 そんなこんなで愚痴こぼしてごめんなさい。ともかく御身大事、早く寝るしかない。

11.11反原発大集会へ2012年11月04日 22時38分11秒

★原発ゼロへ思い新たに

第三極とは第三自民党である。誰が期待する?2012年11月05日 21時52分51秒

★八十歳の老人の役割は・・・

 どうやら風邪のひき始めらしく、調子が悪かったのもそのせいかと思う。夜更かしせず早めに寝て安静にしていたので本格化せずにすみそうだ。それにしても寒くなった。

 さて、都政を投げ出した暴走老人が音頭をとって大阪の市長らと民主、自民に対抗する第三極なる新勢力の結集を図ってあれこれ企らんでいると報道されている。早くも次期衆院選で100議席を獲得すると宣言して老人の夢は膨らむ一方である。

 それにしても八十歳の老人にこの国の政治を期待する人がいるとしたらそれはあまりにも情けない政治状況ではないか。自分も含めて周囲には誰一人彼らに期待も希望を託す人は当然ながらいない。もし、彼ら第三極なる輩が政権をとったとしてもそれは自民党から民主党へなったときよりもさらにひどい、変わり映えしないどころかより最悪な状況へ内政も外交も陥るであろう。彼らこそ第二自民党ならぬ第三自民党でしかなく、思想的にはさらに右で、経済的にはさらなる市場原理主義、外交的にはより対米従属一辺倒なのだから。

 しかしこの妄想老人は若き大阪市長率いる日本維新の会との連携にご執心で「大きな目的があるときは小さなことはぐちゃぐちゃ言わずに大同団結し、兵隊をそろえたほうが勝ちだ」と政治を戦に、議員を手下に喩え相変わらず時代錯誤の意気軒昂ぶりである。そんなご老人に対し、かつての盟友であり、今では彼と距離を置くようになった亀井静香がなかなかうまいことを言っている。
「新党なんて『too late』(遅すぎる)だ。石原は『上から目線』で国民も同志もバカにしている。大阪の市長あたりに釣り上げられて…。今のままでいったら、ヒトラーを生んだ(首相に起用した)、ヒンデンブルク(ドイツ)大統領の役割になる」。

 これは産経新聞が報じた記事から採ったが、実に的を得た指摘だとちょっと感心した。同感である。亀井は常に正論の人だ。西欧の歴史を少しでも勉強した人は、第一次大戦後のワイマール共和国の大統領であり、ドイツの国民的英雄であったヒンデンブルグのことはご存知のはずだ。彼は当初は、ヒトラーのことを「ボヘミアの伍長」と毛嫌いしていたのだが、ナチズムの台頭と国家の危機に、ついにヒトラーを首相に指名してナチスドイツを誕生させてしまったのである。そのときの彼は八十をだいぶ過ぎてほぼ耄碌していたとも言われている。その結果、ドイツは、世界はどうなったかは世界史の教科書が記している。

 歴史は繰り返すし、人は歴史から学ばないものだとすれば、慎太郎の役割とはまさにこのヒンデンブルグであろうか。国民的人気をかさに、国政に復帰しファシストに日本を委ねようとする策動の真っ最中の今、亀井の不安が的中しないことを願うしかない。
 慎太郎よ、耄碌の挙句に和製ヒトラーの太刀持ちになるべからず。

本の価値と人の価値・12012年11月06日 13時18分37秒

★晴耕雨読ならぬ雨ブログである。

 外は雨が降って寒く何も作業はできないので、久しぶりに「古本」稼業の話をしよう。

 今年も残すは二ヶ月弱。無頼庵での企画、イベントなどが迫ってきて、気は急いている。あれこれ年内の課題、懸案事項が山積みである。親も自分も体調が悪いとかすべて種々の理由をつけて、先延ばし、来年に積み残してしまうこともできなくはないが、それは根本解決にならないし、不義理を働く分だけ人間関係がいよいよ気まずく先細りとなっていくだけだ。ともかく一つ一つ進めていくしかない。このままでは新年が来てもゆっくり祝えやしない。

 と、そんな最中ゆっくりブログなど書いているヒマ等はない。そのはずなのだが、締め切り前になると突然部屋の掃除とか家具の移動とか始めてしまう小説家やマンガ家がいるように、一種の逃避傾向かとも思うが、そうした忙しくなるときに限ってブログは長尺なものになってしまう。ヒマだから長く沢山書くのではない。これから忙しくなる、その前だからこそ不思議に書きたいことと書く気が起こる。

 このところ、出かけることが多かったので、本の新規出品が怠っていた。何度も書いたことだが、近年、Amazon.マーケットプレイスで古本を出品して糊口を凌いでいる自分としては、収入はそこからの売り上げだけが頼りであり、本を常に新たに出品しない限りどんどん乏しい収入はさらに減っていく。それは売れたら数を補充するという意味もあるが、売れる本は新たに出せば一ヶ月以内でほぼ売れていく。そのとき売れない本は後ほど価格を下げてまた再出品すれば売れないこともないが、売れない本はやはり売れない本であって不良在庫になっていくだけだ。

 つまり儲けたいなら常に日々新たに次々新規出品を続けていけば良い。それはわかっているが、今のような時代、まずそうした新規出品に値する本をみつけてくること、手に入れることがまず難しい。そう、マーケットプレイスでは今ほとんどの本が最低価格1円からの「1円本」地獄に喘いでいるのである。要するにそうした本とはブックオフなどで一冊100円均一の棚に並んでいる本のことでもある。

 今自分の商売のデータを調べてみたら、アマゾンで販売を始めたのはどうやら2004年の秋口からだと判明した。その頃は、1円本などまだ登場していなかったし、本はかなり高値をつけてもほぼすぐに売れていった。だから収入もマージンを引かれても多かったし、こんなウマイ商売があるのかと思えた時期もあった。

 だが、長引く景気の低迷とモノの値段が下がるデフレ現象はこうした通販の世界にも及び、まして本はコンビニなどで売られる低価格の簡易本が主流となって本自体が売れない、読まれない傾向が強まっていく。出品する側も売らんがため他の出品者より一円でも安く値をつけていく。となるとどんどん価格は下がり続け挙句は究極の「1円本」となってしまったのである。そこでは本の代金からは儲けなどでやしない。送料として購入者に課せられる250円の中から工夫してうまく僅かな利益を上げようという苦肉の策である。

 自分は大口出品者ではないから当然そんな馬鹿なことはやらない。となると、本を出品するにあたっては引かれるマージンを除いてもいくらまでなら儲けが出るかということになる。最近では、ウチに支払われる送料を含めても入金額が300円以上でない本は出さないことにした。それでもずいぶん下限を下げて妥協してきた。儲けが一冊数百円しかないならば、梱包や発送に行く手間賃にもなりゃしないではないか。そんな本が百冊売れても3万円にもならないならどこかのスーパーの倉庫係のほうがよほど時給は高いはずだ。最近ではマジにそうした「転職」を考えている。

 情けない話だが、もう今はそのぐらい本の価格が下がりまず出品自体、ある程度の値がつく本を出品すること自体が難しい時世なのである。そのことはとりもなおさずそうした値のつく古本をどうやってどこから手に入れるかということに他ならない。【続く】

本の価値と人の価値・22012年11月07日 13時29分19秒

★「せどり」で売れる本など今はまず手に入らない。

 一頃、いやたぶん今でも新聞の下段の本の広告欄には、「アマゾンマーケットプレイスでお小遣いを稼ごう」とか「ヤフオクでお小遣い云々」なる、素人でもそうしたネットマーケットで本などを売って副業として金を稼ごうというハウツー本が喧伝されていた。

 じっさいにそれを実行している当人として言わせてもらえれば、もう今の時代、そんなことはまず不可能であり、労多くして儲からないからやめろ、と進言する。まあ、よほどヒマで、時間が有り余っていてそうした小商いに倦むことない性格ならば止めはしないが。その本の説く通りにやったとしてもまず儲からないと断言する。かつては真剣に取り組めば何とか儲かったが今はもはやダメなのである。

 断っておくが、そこに本に対する知識が必要だとか、本が好きだとかは一切関係ない。逆に金儲けに対する飽くなき熱意、それに整理整頓できる豆さ、管理能力などは必須であろう。要するに全てビジネス感覚でコツコツやれるかどうかだ。

 何故それは儲からないか。要するに出品した本が高値で売れれば良いのである。だがならばどうやってそんな本を手に入れるのか。自らむかし買った本を出品したところで、どんなに状態が良くても購入した値段より高く売れる本なんてまずあり得ない。それどころかほぼほとんど全ての本が「1円本」だと気づき愕然とすることかと思う。
 よほどの稀覯本(きこうぼん)ならば一冊で何万もの値で売れるだろうが、そんな本を素人がおいそれと手に入れられるわけがない。要するに一冊純利で千円ぐらいの利が出る本を常時出品していけばそれで小遣い稼ぎには成り得よう。ではどこからそうした本を「仕入れる」かだ?
 前述の本では、主にブックオフなどの新大型古書店チェーンの100円均一コーナーを足繁く回って、そこから一冊105円を支払って高い値で売れる本を仕入れることを説いているかと思う。まあ、業界用語でこれを「せどり」と呼ぶ。これはそんな大型古書店ができる大昔からあった。それで全国を周って生活している人もかつてはいたと聞いた。

 古本屋というのは、そもそも店ごと、店主ごとに扱う専門があるから、自らの専門外の本は価値もよくわからず邪魔な不要本として、店頭の均一棚、処分品の棚に入れてしまう。また、在庫が過剰な本も同様に安く放出せざるえない。昔のセドリ人、今で言えば、「セドラー」はものすごい本の知識を持った目利きであったから、そうした店頭の棚からこの本は、貴重な珍本だとか、高値で取引されているとピンと来て購うのである。つまり商品知識なくしてセドリなどはできなかった。そもそも昔は古本の値段そのものも高く売買されていた。

 しかし、今では大概の本には、バーコードやISBNの数字が付いているからその数字で検索すればすぐに現在の「市場価格」が判明する。なので、ブックオフなどに行くと、携帯を片手に次々と一冊ごとに検索かけているバカと以前はよく出くわした。うろうろされて邪魔以外のなにものでもないが、本人は必死なのである。まあ、他人のことは笑えない。自分も昔はそうしてもしかしたら高く売れるかもしれない本は、その場で買わずともタイトルと著者を記憶して、店を出たらメモして後で家に戻って検索し確認したこともよくあったのだから。

 だが、100円均一の棚に並ぶ本の中から何百円、千円以上の値で売れる本など今はまずみつからない。それは大型古書店側だって同様に検索をかけた上で選別しているし、自らのサイトでそうした高値つく本は出品、販売もしているのである。かつては店自体も知識がなく迂闊だった頃もあった。が今ではそうした棚から高値の付く本をせどるなんて砂金採りのような労苦であろう。そこに付け加えれば、ブックオフなどではそもそもISBNの付いていない昔の古い本は買い取らないし並ばないのである。実はそうした「古書」のほうがマーケットプレイスでは高値で取引されるのである。
 それは町の古本屋さんだって同じことで、全て検索をかけた上で、アマゾンのマーケットプレイスでは1円で売られている本のみを店頭の格安処分棚に並べている。それでも三冊200円で売れたなら、アマゾンなどより純利はあるのである。どうせゴミとして処分するしかない本なのだから。

 ゆえに、Amazonマーケットプレイスに限らず、同様のネット上のマーケットでの古本の販売はオススメできない。いや、そうした高値で売れる本をうまく手に入れる手立てがある方はやればよろしい。しかし今は本が本当に売れない、売れても安くしか売れない時代なのだからこの業界に未来があるのか自分には何とも言えない。書店や古本屋だけでなく全ての小売業は同様にモノが売れずに、売れたとしても安くせざるえなく危機に瀕し喘いでいるのが今の時代なのである。そんな時代に誰がしたのかはまた別項に書くとする。【続く】

12月1日の無頼庵イベントに向けて2012年11月08日 13時19分02秒

★さあ、忙しくなってきたぞ~

 今日は朝からカラッと晴れた。冷たい木枯らしも吹かず暖かくポカポカ陽気である。
 
 12月1日のウチでやる「楽四季一生バイオリン演歌ショー」の宣伝ハガキがようやく完成した。これから順次親しい友人知人に発送していく。 今回は、ウチの親も含めた近所のご老人も招く特別企画でもあるので、ある程度近隣の人たちの動員を目論んでいる。が、年寄りは基本的にアテにできないので、やはりこれまで来てくれた方々中心にお知らせして参加をお願いしていく。まだごく近所のオバサン一人しか予約が入っていない。いよいよこれからだと肝に銘じたところだ。

 昨晩はそんなで、先だって購入したNECのレーザープリンタで初めてハガキ印刷をやってみたのだが、まだうまく使いこなせないのと、どうやらこの機種は縁なし印刷ができないようで、どうしたものか困惑中である。またすぐに紙詰まりしたりしてうまくハガキ印刷が進まない。
 そんなこんなで夜も更けて、足も冷えてなかなか寝付かれず、今日は朝から喉が痛く風邪ひいた感であった。仕方なく葛根湯を飲んで午前中は仮眠をとってこれを記している。
 実は今日は友人と都心で会う約束もあって、ほんとうはその他の用事もあり午前から出て一日で全部済ませてしまおうと考えていたのだが、それはかなわなかった。ともかく、午後から一つの用件だけ片づけることにしてこれから家を出る。たぶん帰りは遅くなるかもしれないので、今これを記している。

 これから12月1日に向けて、宣伝もだが、来客を受け入れる準備も含めてともかく忙しくなっていく。体調を崩しているヒマはない。23日のフォークソング講座までに何とかほぼ部屋を片づけて道筋が見えるようにしたい。実は今月はその前に大阪からカマケン氏、鎌倉研さんが東京へやってくる。どこかでどう都合をつけるかだ。今月は土日ごとにほぼ全部出かける用件が入っている。さあ、大変だ。よほど心して進めていかないと。忙しくなってきたぞ-。

本の価値と人の価値・32012年11月09日 21時58分49秒

★本の価値をあらためて問う

 嘘か誠か、その存在も含めて世には霊というものがあり、霊感が強く霊を引き寄せる体質、霊が集まってくる人もいるのだという。その例に倣って言えば、自分は本に好かれる、本がいやでも集まってくる「古本体質」らしく生来本とは縁が切れないし本集めに窮したことはない。パリに行ったときでさえ、通りがかった引越し現場のゴミ箱から20世紀初頭のグラフ誌など拾わざるえなかった。それは本が拾ってくれ、まだ捨てられたくない、人に読まれたいと望んでいるからであろう。

 だが、そのことと「売れる本」が集まることはまったく別の話である。自ら苦労しなくとも自然に、意図する意図せざるに関わらず本はウチに集まってくる。意識して集めることもなくはないが、大概は人伝に引取りを依頼されることも多い。しかし、引き取ってもその九割方はネットでは値のつかない、「クズ本」なのである。それは古く汚れているからではなく、これまで説明したように限りなく「1円本」に近いゆえ儲けが出ないからである。

 手元に来た本の束をほどいて一冊づつISBN番号が付いている本は、その数字をアマゾンの本のページ検索欄に打ち込んでいく。するとマーケットプレイスのリストにあるその本のページが表示される。その本の情報が値段と共に出、ついでに同じ本の中古品も価格の低い順に見ることができる。以前はそれほどでもなかったが最近ではほぼ最低値が「1円」からで、それに+送料250円と出てくる。1円でないとしても大抵の本が100円以下である。それはコミックスでも変わらない。

 自分は溜息をつき、そうした本は値のつく本と別に分けて一箇所に平積みにしていく。その売れない本の山はどんどん高くなって溜まっていく。その本たちは基本的に「処分」するしかない。でないとすぐに部屋が本に埋まってしまう。
 本好きを自認してまあこんな商売を始めたわけであるが、最近では本当の本好き、愛書家、読書家は古本稼業など向いていないしすべきではないとつくづく思う。古本屋とは古本を扱う「商売」が好きに他ならない。

 自分の場合、ウチにそうしてきた本は、自分用に、自ら関心のある本、求めていた本、読んでみたい本などはまず別に取り分けておく。それは音楽や詩、生活、思想などの本であり手元にいつまで置いておきたいかは別としてともかく読んでみないことには始まらないし判断できない。そんな“大事な”本でも「商品」として来たときに直ちに右から左へ動かしていけるのが本当のプロの古本屋なのである。

 そして残った本を検索して市場価格を調べていく。アマゾン側のリストに載っていない本もなくはないが、ISBNも付いていない本当の「古書」や一部の数学、物理などのごく専門書を除けば実感では今では九割方の本が1円本でありそれに順ずる値段に落ちてしまっている。つまり文芸書だろうが実用書であろうが、発行から時間とある程度版を重ねて冊数が世に出た本はほぼすべて1円の値でしかネットでは流通していないということなのだ。そのことはアマゾンマーケットプレイスに見る限り、今や本はほとんどが市場価値はないということだと言っても良いかと思う。

 誰が本を殺したか。本は自滅したという見方もある。しかし、経済の仕組みと時代の流れで今はそういう時代なのだとしか自分には言えない。本格的な「電子書籍時代」を前にして紙の「本」はいよいよ滅亡前夜、その流れがこんな結果だという診断もできよう。
 ただ、一つだけハッキリしていることはそうした時代だとしても「本の価値」自体はほんとうは下がりも変わりもしていないのである。下がったのは市場での価値=価格だけなのだ。【もう一回書いて終わりしたい】

権力というものは・・・2012年11月10日 22時01分21秒

★11.11大集会に都の公園を使用させろ

 私ごとだが、このところ故あって睡眠不足気味で風邪気味である。今も軽い頭痛がしているのはその兆しかと思える。
 明日の「反原発百万人大占拠」に参加するためにもここで寝込んではいられない。なので早く寝ることにしたいのだが、その前に一ブログだけ記しておく。

 明日のその集会、残念ながら参加者がまず集合する場所が決まっていない。当初毎度使われる日比谷公園が予定され申請したのだそうだが、何故か今回は都が使用許可しなかったのである。その不許可に東京地裁が申立てを却下、東京高裁が即時抗告を棄却したという経緯がある。
 今までも使ってきて何ら不手際や事件事故などいっさい起きていなかったし、過去にも様々な集会の集合場所、デモ行進の出発地として使われてきた日比谷公園が何故今回は、いや今回からは使えないのであろうか。その納得できる理由はどこにもない。よって全く不可思議を通り越して強い怒りと憤りを覚える。

 おそらく慎太郎前知事が退任に当って都の職員に「遺言」として今後、反原発なんてことで騒いでいるやつらには公園を絶対貸すなと言い残したからではないか。思わずそう推測してしまう。いや、それよりも都だけの方針ではなく、国=国家権力側の意向だと考えるしかない。お隣のどこそこの国ではないが、これ以上国民、大衆の怒りが高まると「革命」が起き自分達の権力維持が困難になるとの判断から阻止するためにはまず集会の場を与えないとごく単純に考えたのであろう。

 今や警察どころか裁判所など司法さえも国家権力の走狗であるから、内閣、民主党など政府、権力側の意向をとりいれ、そうした反原発、反政府的活動には今後は都、国などの公共施設は使わせないという方針に順じ、裁判所もそれを追認したのだと思える。
 権力というものは自らの保身のためにはどのようなことでもするものである。しかし、戦後民主主義が生まれて半世紀以上も過ぎた今日、今またこうした反原発=反体制、反権力運動に対する露骨な弾圧をしてくるとはまさに驚きである。つくづく呆れ果てる。ある意味彼らはそこまで追い詰められているのであろう。

 ならばこそ、明日の大集会、より多くの一人として声を挙げ、原発再稼動のみならずこうした公権力の横暴に対しても強く抗議していかねばならない。こうした公権力を乱用する政権は必ず国民大衆によって倒されるということも歴史が証明しているのである。
  そう、今こそこの国にも3.11を受けて脱原発・原発ゼロの政権を誕生させるべく国民は「革命」を起こすときなのだ。