書くことでしか救いはなく道もない2014年04月07日 18時14分03秒

★改めてお付き合い願います。       アクセスランキング: 198位

 結局、今さらだが、自分には書くより他に救いはないことを改めて思い知った。ブログは少しお休みすると書いたことを撤回したい。

 人それぞれ何を生きる糧、術とするかは違うだろうが、自分の場合はやはり「うた」や音楽、本などの以前に、こうしてブログでも何でもともかく「書く」「書き記す」ほかに自らを律し気持ちを整える術はない。書くことでしか救われない。
 むろんそれは個人的に日記でもよいのだが、やはりこうして誰かに、不特定多数でも「読み手」を想定し書く、発信するという行為こそが心の安定、魂の平穏には欠かせないと気づいた。読み手がいようといまいと書けば楽になるのであった。
 また勝手な、どうしようもないことをだらだら書いていくことになるとは思うが、そうした次第なのでお時間のあるときで構わないので今後ともぜひお付き合い願いたい。

 そして、様々な事態を受けて今思うことは、やはりどのような形であろうと人と関わりを持つことは良いことだという確信だ。どんな結末になったとしても他者と関われたことは良かったのである。
 もとより、人のために何かできるとか、してあげるなんて思うのはおこがましく、僭越至極であろう。人のためには基本何もできないと知るべきであった。しかしだからといって自然界の動物のように人間一人一人が個々別々に自分のことだけしか考えないのであれば人は人でない。人のために何もできない、役に立たたないことを知ったうえで、人と関わっていくしかない。そしてそのうえで、起こったことは良い結末も苦い結果でも関われた点それだけで良かったのである。

 正直な気持ちを書くともう誰とも付き合わず関わらず一人きりで古民家にこもって残りの人生を費やそうと思うときも多々ある。しかし、友人の死を受け止めて今思うのは、改めて人ともう一度きちんと関わっていこうということだ。いや、関わらねばならない。何もできない、何の役にも立たない自分であるが、請われたり何かの折には良き「隣人」としてできるだけのことはしていきたい。

 そうしたことを経緯も含めて拙ブログで書き記していく。長いようで短い人生、袖振り合うのも他生の縁、ならばどうかどのような形でもお付き合いください。関わりをもっていきましょう。

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