古民家かたづけ隊、まずは6/8日(日)を予定 ― 2014年06月01日 22時19分34秒
★どなたでもお気軽にご参加、連絡ください。 アクセスランキング: 131位
先にも拙ブログでお知らせしたが、山梨の北斗市須玉にある、無頼庵のセミナーハウスとして活用予定の古民家の掃除・片づけ等と下見を兼ねた企画である。急なお知らせで申し訳ないが、まずは今度の日曜日、8日に予定している。
が、今のところ参加者は一人(女性)だけなのでウチの車は軽のワゴンだからあと二人は乗れるので同行者を求めている。今回は日帰りで、朝早めにこちらを出て昼前には現地着、数時間作業して近くの温泉に浸かって夕方には向こうを出て帰路につく、というものだ。
正直なところ、自分も含めて二人だと作業能率わるいし今ガソリン代もバカ高いので他の参加者がいないならば今回の日程は中止も考えている。何人かかねてから参加を希望していた方に当たったが都合悪いとのことでまだ一人しかいない。また、直接はメルアドがわからないので連絡がとれない方もいる。で、こうしてブログで告知することにした。なかなか皆さん行ってみたいと関心は持って頂けるのだが直接のアクションにはなかなか繋がらない。
ただ、こうした企画は先に日程を出していかないことには参加される側からはなかなか連絡もしずらいはずだとも思う。ともかく定期的にこちらは出向かないとならないので、一人でも行く日と平日は別として、土日中心に「古民家片づけ隊」としての活動予定日を毎月告知していくことにした。
ほんとうは日帰りでなく、前日から、例えば夜からでも東京を出て向こうに一泊して翌日の午前中精力的に作業して昼食後、山里を散策したり観光して温泉に入って夕方早めに戻るというのが理想だが、ウチは今老犬のことなどもあってあまりのんびり家を留守にできない。なんでしばらくは日帰りで企画となろう。
今回もできれば立川辺りに朝早く、例えば9時頃に来て頂ければ駅まで車で迎えに行きそのまま高速に入って片道一時間半ほどで現地に着く。運転はマスダがするので基本見学と遊興気分でいてかまわない。日帰りだと慌ただしくてろくに作業できやしないし人手もないのなら今回は中止も考えている。
まあともかくこの日程で今回お時間とれる方いらしたら拙ブログに連絡先などコメント書き込んでください。犬も連れていくので犬嫌いでなければ老若男女赤の他人でもどなたでもかまいません。非表示ですので確認後、こちらから連絡します。問い合わせ及びご都合のよい参加希望日でもかまいません。調整のうえまた新たに日程をだしていきます。※いちおう7月の日程は先に告知したあたりを予定してますが、ライブ企画などの兼ね合いで確定ではありません。
先にも拙ブログでお知らせしたが、山梨の北斗市須玉にある、無頼庵のセミナーハウスとして活用予定の古民家の掃除・片づけ等と下見を兼ねた企画である。急なお知らせで申し訳ないが、まずは今度の日曜日、8日に予定している。
が、今のところ参加者は一人(女性)だけなのでウチの車は軽のワゴンだからあと二人は乗れるので同行者を求めている。今回は日帰りで、朝早めにこちらを出て昼前には現地着、数時間作業して近くの温泉に浸かって夕方には向こうを出て帰路につく、というものだ。
正直なところ、自分も含めて二人だと作業能率わるいし今ガソリン代もバカ高いので他の参加者がいないならば今回の日程は中止も考えている。何人かかねてから参加を希望していた方に当たったが都合悪いとのことでまだ一人しかいない。また、直接はメルアドがわからないので連絡がとれない方もいる。で、こうしてブログで告知することにした。なかなか皆さん行ってみたいと関心は持って頂けるのだが直接のアクションにはなかなか繋がらない。
ただ、こうした企画は先に日程を出していかないことには参加される側からはなかなか連絡もしずらいはずだとも思う。ともかく定期的にこちらは出向かないとならないので、一人でも行く日と平日は別として、土日中心に「古民家片づけ隊」としての活動予定日を毎月告知していくことにした。
ほんとうは日帰りでなく、前日から、例えば夜からでも東京を出て向こうに一泊して翌日の午前中精力的に作業して昼食後、山里を散策したり観光して温泉に入って夕方早めに戻るというのが理想だが、ウチは今老犬のことなどもあってあまりのんびり家を留守にできない。なんでしばらくは日帰りで企画となろう。
今回もできれば立川辺りに朝早く、例えば9時頃に来て頂ければ駅まで車で迎えに行きそのまま高速に入って片道一時間半ほどで現地に着く。運転はマスダがするので基本見学と遊興気分でいてかまわない。日帰りだと慌ただしくてろくに作業できやしないし人手もないのなら今回は中止も考えている。
まあともかくこの日程で今回お時間とれる方いらしたら拙ブログに連絡先などコメント書き込んでください。犬も連れていくので犬嫌いでなければ老若男女赤の他人でもどなたでもかまいません。非表示ですので確認後、こちらから連絡します。問い合わせ及びご都合のよい参加希望日でもかまいません。調整のうえまた新たに日程をだしていきます。※いちおう7月の日程は先に告知したあたりを予定してますが、ライブ企画などの兼ね合いで確定ではありません。
ひがしのひとしさんの訃報 ― 2014年06月02日 13時26分39秒
★また一人唯一無比の歌い手がステージから去っていく 現在のアクセスランキング: 138位
人の死というのはもっともプライベートなことだから迂闊に誰彼に読まれるかわからないブログなどに上げて良いものかと今も迷う。これがその死がすぐに配信されマスコミをかけ回るほどの著名な有名人ならまだしも無名というわけではないが市井の人として生きられた方だと遺族のお気持ちもあろうから公表を望まない場合もあるかもしれない。
実は先だってオフノートの畏友、神谷氏より電話でひがしのさんがこの連休明けに亡くなられたという報があった。彼を知る人たちに伝えてくれとのことであったが、ブログにも書こうかと考えたが先の理由で思いとどまった。しかし、どうやらネット上でもその訃報が流れ出したようなので自分も遅ればせながらひがしのさんのことについて書き残しておきたい。
以下、神谷氏から届いた訃報メールを転載させていただく。
歌手・ひがしのひとしさんが5月14日、肺炎のため、逝去されました。
無頼のシャンソニエ、享年65。
ひがしのひとしさんは故・高田渡さん、中川五郎さん等と並ぶ関西フォークの草分けの一人。歌手/詩人のジョルジュ・ブラッサンスの歌世界に深く傾倒し、静かだが熱い彼一流の歌い口を自家薬籠中のものとし、その土台の上にさらに彼独自の歌唱を創出し得た稀有な歌手でした。また、金子光晴の言葉とブラッサンスの旋律を邂逅させるなど、歌作りにも非凡な才能を発揮しています。
ひがしのさんの「経歴・業績」については神谷氏が上に載せたように的確に記しているので今さら蛇足を加えるべきではない。が、彼についてマス坊が思うところを少しだけ書いておきたいと思う。
彼の生のステージは生前一回だけだがその神谷氏が招聘した、新宿ゴールデン街での「都市の音」コンサートで観た。たった一回でも実に強烈な印象を残し驚かされた。
昔から、アルバム「関西フォークの歴史」などで「鼻毛の~」などで知りユニークな歌うたいという印象を持っていたが、近年もずっと京都拾得での毎年恒例のギネス級長寿コンサート「七夕コンサート」で、かつての盟友たち豊田勇造、古川豪氏らと活動続けられていたのは知っていたのでその訃報に言葉を失った。
彼がどうユニークかと言うと、自分が観たりライブ音源を人から借りて聴いたかぎりではあるが、基本的に彼は唄わないうたうたいなのである。世に語りが長く巧みで、その語り自体が芸になり楽しみに通うシンガーもいよう。メジャーではさだまさし、マイナーでは高田渡が双璧かと思う。しかし彼らは基本歌の間に語りがある。ひがしのさんは逆で語りの後にうたが少しだけとなる。※これはあくまでも私見、私感であって、じっさいのワンマンライブでは語りなど入れずに唄いまくるのかもしれないから間違っていたらご指摘願いたい。
彼の場合、うたよりも語りのほうが長くひたすらしゃべるのである。あるときの「七夕」のテープでは、持ち時間30分~のうち、話してばかりで2曲しか唄わなかったと記憶する。知る限りこんな唄わない唄うたいは彼しかいない。お客は彼の語りにじっと耳を傾けようやく彼の十八番、彼のシャンソンを聴いて満足されて帰るのである。待たされたからでもあるがそのうたが実に素晴らしく心揺さぶられた。
そうしたスタイルに、彼を昔から知る某女性シンガーは「話してばかりいないでもっとしっかり唄えよ!」と怒って?いたが、いつからそうなったのか知らないがそれがひがしのさんのスタイルと思え大いに感心させられた。語りも決して巧みだというわけではない。話芸というほど達者でもない。ただ日常的なあったことなどをひたすら自ら面白がって話してようやく最後にペナペナの安そうな小型の音の出ないギターで彼のシャンソンをじっくり聴かせる。すべてに驚かされたがごれもアリだと思った。
世の中には、持ち時間あれば1曲でも長くたくさん自らの「うた」を唄いたいと考えるシンガーが多いかと思う。また逆に語りに重点を置く人も。しかし、唄わなくてもその語りも含めてその持ち時間すべてがまさに彼のステージ、独自の表現の場であるならば話もまた彼の「うた」なのである。
自分の考える音楽、うたとは楽曲だけを指していない。ましてフォークソングとはその歌い手自身の生き方や考えのスタンスまでもそこに反映、投影されて然るべきものなのだ。うたとはその人自身の生き様なのである。そう考えるとき唄わないで専ら話すばかりというスタイルを築いたひがしのひとしという「歌い手」は、詩を書かない詩人、絵を描かない画家と同じく、その道を究めた本物だったのではないか。
そして直接面と向かってお話したことはなかったが、ご当人は滋味あふれる暖かいとても人好きな方だそうで、ようするに人間とうたが大好きな人だったと想像できる。だから観客を前にすると彼はたくさん話したかったのだろうか。こらちも彼の懐に飛び込めばもっと親しくなり、師匠として仰ぐことも可能だったと今にして思えるが、それは今さら言っても仕方ない。残念でならないがそういう縁だったのである。近くあの世でお会いした時きちんとご挨拶するつもりでいる。あの世の話をたっぷり聞かせてくれるだろう。
とにもかくにもあのユニークな唯一無比のステージはもう聞けない。また、当初から5人の同一メンバーで70年代より40年以上も続いてきた京都夏の名物ライブ「七夕コンサート」もこれで一人欠けてしまった。
あまりたくさん唄わなくても彼のうたは本当の本物であった。素晴らしき歌い手ひがしのひとしさんのご冥福を祈ろう。彼の魂の安らかなることを!
なお、彼のうたはオフノートから出ている下記のアルバムで聴くことができる。関心持たれた方はぜひ聴いて頂きたい。以下、神谷氏のメール再転載。↓
ひがしのさんの歌声は下記オリジナルアルバムと共同作品で聴くことができます。
●on-42 水の記憶-この世の涯の泉のほとりで/ひがしのひとし \2800(税抜き)
●on-45 瓶のなかの球体/フォークパルチザン[2CD] \3500(税抜き)
また、下記2アイテムにもゲスト参加し、ユニークな歌声を披露しています。
●on-44 アンダーグランド・リサイクル/渡辺勝 \2800(税抜き)
●on-47 逃避行/藤村直樹 \2800(税抜き)
※いずれもオフノートより
ひがしのひとしさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
オフノート 神谷一義 拝
人の死というのはもっともプライベートなことだから迂闊に誰彼に読まれるかわからないブログなどに上げて良いものかと今も迷う。これがその死がすぐに配信されマスコミをかけ回るほどの著名な有名人ならまだしも無名というわけではないが市井の人として生きられた方だと遺族のお気持ちもあろうから公表を望まない場合もあるかもしれない。
実は先だってオフノートの畏友、神谷氏より電話でひがしのさんがこの連休明けに亡くなられたという報があった。彼を知る人たちに伝えてくれとのことであったが、ブログにも書こうかと考えたが先の理由で思いとどまった。しかし、どうやらネット上でもその訃報が流れ出したようなので自分も遅ればせながらひがしのさんのことについて書き残しておきたい。
以下、神谷氏から届いた訃報メールを転載させていただく。
歌手・ひがしのひとしさんが5月14日、肺炎のため、逝去されました。
無頼のシャンソニエ、享年65。
ひがしのひとしさんは故・高田渡さん、中川五郎さん等と並ぶ関西フォークの草分けの一人。歌手/詩人のジョルジュ・ブラッサンスの歌世界に深く傾倒し、静かだが熱い彼一流の歌い口を自家薬籠中のものとし、その土台の上にさらに彼独自の歌唱を創出し得た稀有な歌手でした。また、金子光晴の言葉とブラッサンスの旋律を邂逅させるなど、歌作りにも非凡な才能を発揮しています。
ひがしのさんの「経歴・業績」については神谷氏が上に載せたように的確に記しているので今さら蛇足を加えるべきではない。が、彼についてマス坊が思うところを少しだけ書いておきたいと思う。
彼の生のステージは生前一回だけだがその神谷氏が招聘した、新宿ゴールデン街での「都市の音」コンサートで観た。たった一回でも実に強烈な印象を残し驚かされた。
昔から、アルバム「関西フォークの歴史」などで「鼻毛の~」などで知りユニークな歌うたいという印象を持っていたが、近年もずっと京都拾得での毎年恒例のギネス級長寿コンサート「七夕コンサート」で、かつての盟友たち豊田勇造、古川豪氏らと活動続けられていたのは知っていたのでその訃報に言葉を失った。
彼がどうユニークかと言うと、自分が観たりライブ音源を人から借りて聴いたかぎりではあるが、基本的に彼は唄わないうたうたいなのである。世に語りが長く巧みで、その語り自体が芸になり楽しみに通うシンガーもいよう。メジャーではさだまさし、マイナーでは高田渡が双璧かと思う。しかし彼らは基本歌の間に語りがある。ひがしのさんは逆で語りの後にうたが少しだけとなる。※これはあくまでも私見、私感であって、じっさいのワンマンライブでは語りなど入れずに唄いまくるのかもしれないから間違っていたらご指摘願いたい。
彼の場合、うたよりも語りのほうが長くひたすらしゃべるのである。あるときの「七夕」のテープでは、持ち時間30分~のうち、話してばかりで2曲しか唄わなかったと記憶する。知る限りこんな唄わない唄うたいは彼しかいない。お客は彼の語りにじっと耳を傾けようやく彼の十八番、彼のシャンソンを聴いて満足されて帰るのである。待たされたからでもあるがそのうたが実に素晴らしく心揺さぶられた。
そうしたスタイルに、彼を昔から知る某女性シンガーは「話してばかりいないでもっとしっかり唄えよ!」と怒って?いたが、いつからそうなったのか知らないがそれがひがしのさんのスタイルと思え大いに感心させられた。語りも決して巧みだというわけではない。話芸というほど達者でもない。ただ日常的なあったことなどをひたすら自ら面白がって話してようやく最後にペナペナの安そうな小型の音の出ないギターで彼のシャンソンをじっくり聴かせる。すべてに驚かされたがごれもアリだと思った。
世の中には、持ち時間あれば1曲でも長くたくさん自らの「うた」を唄いたいと考えるシンガーが多いかと思う。また逆に語りに重点を置く人も。しかし、唄わなくてもその語りも含めてその持ち時間すべてがまさに彼のステージ、独自の表現の場であるならば話もまた彼の「うた」なのである。
自分の考える音楽、うたとは楽曲だけを指していない。ましてフォークソングとはその歌い手自身の生き方や考えのスタンスまでもそこに反映、投影されて然るべきものなのだ。うたとはその人自身の生き様なのである。そう考えるとき唄わないで専ら話すばかりというスタイルを築いたひがしのひとしという「歌い手」は、詩を書かない詩人、絵を描かない画家と同じく、その道を究めた本物だったのではないか。
そして直接面と向かってお話したことはなかったが、ご当人は滋味あふれる暖かいとても人好きな方だそうで、ようするに人間とうたが大好きな人だったと想像できる。だから観客を前にすると彼はたくさん話したかったのだろうか。こらちも彼の懐に飛び込めばもっと親しくなり、師匠として仰ぐことも可能だったと今にして思えるが、それは今さら言っても仕方ない。残念でならないがそういう縁だったのである。近くあの世でお会いした時きちんとご挨拶するつもりでいる。あの世の話をたっぷり聞かせてくれるだろう。
とにもかくにもあのユニークな唯一無比のステージはもう聞けない。また、当初から5人の同一メンバーで70年代より40年以上も続いてきた京都夏の名物ライブ「七夕コンサート」もこれで一人欠けてしまった。
あまりたくさん唄わなくても彼のうたは本当の本物であった。素晴らしき歌い手ひがしのひとしさんのご冥福を祈ろう。彼の魂の安らかなることを!
なお、彼のうたはオフノートから出ている下記のアルバムで聴くことができる。関心持たれた方はぜひ聴いて頂きたい。以下、神谷氏のメール再転載。↓
ひがしのさんの歌声は下記オリジナルアルバムと共同作品で聴くことができます。
●on-42 水の記憶-この世の涯の泉のほとりで/ひがしのひとし \2800(税抜き)
●on-45 瓶のなかの球体/フォークパルチザン[2CD] \3500(税抜き)
また、下記2アイテムにもゲスト参加し、ユニークな歌声を披露しています。
●on-44 アンダーグランド・リサイクル/渡辺勝 \2800(税抜き)
●on-47 逃避行/藤村直樹 \2800(税抜き)
※いずれもオフノートより
ひがしのひとしさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
オフノート 神谷一義 拝
古民家はともかく金がかかるということ ― 2014年06月03日 22時45分05秒
★人も家も歳と共にその分金がかかることに気がついた。 アクセスランキング: 130位
今日も暑かった。実は昨日月曜の夕方から山梨の須玉にあるウチの古民家へ行って一泊して今夕帰ってきた。
今回は一人で若犬たちだけ連れて行ってきた。温泉にもでも浸かってのんびりできたかというととんでもない。時間がなくて風呂どころかろくに昼飯も喰えず高速をびゅんびゅん飛ばして何とか明るいうちに戻ってこれたという次第。一泊したけれどものすごく疲れていて今は頭の後ろ、首筋が熱持って痛くぼーとしている。
毎度のことながらいつも思うのは、憧れの田舎暮らしのはずが、のんびり休息どころか疲れるために出掛けているようなもので何でかなあと溜息がでる。
実は今回行ったのは、水道が漏水していることがわかり、その修理工事を頼む地元の水道屋との打ち合わせがあって前の晩から出向いていたのだ。
今、その古民家の水道・光熱費、税金なども一切の請求はウチが支払うことになっている。いちおう名義上の変更もようやく終えた。今はせいぜい月に多くても2~3日程度しか行っていないし、このところは泊りもしていないのに、先に請求された水道代は6000円という法外なもので目を剥いた。特に冬の間はほとんど行っていないのにだ。
で、北斗市の水道課に申し立てし調べてもらったら漏電ならぬ漏水しているとのことで、修理すれば減免措置もとれるとのこと。で、管理されていた方からも紹介してくれた地元の水道屋と連絡がとれて工事をお願いしようとまずは来てもらうことになった。親切なオヤジさんで今日の朝一から来てくれていろいろ調べてもらった。
が、漏水場所は突き止められず、もともと古民家でしかもずっと人も住んでいなかったから水道管自体がかなり古くなっていて地下を掘ってすぐにその水漏れ個所がみつかったとしてもまた他からも同様の事態が起きるだろう。ならば新たに管を引き直したほうが良いと諭された。まあ確かにその通りだとも思った。
ただその工事代金が30万円!キッチンと風呂場と洗面所、トイレ、そして庭にある水道まで全部新しく繋ぎ直すので4~5日はかかると言う。まあ、全部新しくしかも今回は室内に管を這わせるのでもう冬でも凍って破裂することはないしこれから先のこと、後々まで考えれば新しく引き直すしかないと思えた。が、その工事代金である。想定外であった。
先の記録的豪雪で、家は潰れなかったものの裏側、つまり北側の屋根の瓦が雪が滑り落ちるのといっしょに何枚も外れて落ちた。また瓦と壁との繋目も長い年月の間に隙間ができたりもしていたのでそれも業者に頼んで修繕してもらった。トイレの水が流れなかったのもリフォーム全般やっているとこだったのでそれもお願いした。その額が16万円で、ようやく先日金を工面して振り込んだところだった。
屋根とトイレが直ったと思ったら今度は水道管からの漏水発覚で新たに全とっかえの工事の話である。マス坊は元よりそんな金はないので、家の貯金を取り崩してあてるしかないわけだが、まったく金ばかりかかってしょうがない。家と出会ったときは良い環境の良い物件、良い話だと飛びついたが家そのものの代金は安くても何だかんだ維持費修繕費がやたらかかる。
まあ長らく誰も住まずどこもかしこも使っていなかったのだから老朽化もして手を入れていかねばならないのは覚悟もしていたが、高速代とガソリン以外にこんなに金が出ていくとは予想もしていなかった。いや、これが当然なのであって毎度のことながら現実を見ていなかった。結婚したことはないが結婚生活というものもこうしたものなのかと思う。
その他、自分で建物内のガラクタもまだ片づけるものが山積みだし、今日も持って行った本や雑誌の搬入と二階の掃除に追われた。水道屋さんとの話はすぐ終わったが。
まあ、室内もすっきり全部片づき、手をいれていく工事も終われば広く快適な古民家でのんびりと山里田舎暮らしができるはずと夢想するが、ともかくやることがいっぱいで目が回りそうな日々が続く。汗と埃まみれになっていったい俺は何をやっているのかと自問もした。無頼庵にお越しの方はご存知のように、自分ちだってろくに掃除も片付けもできていないのに、何でオレは山梨まで来てよそんちの掃除をやっているのだろうか。いや、もうここも自分ちなのだ。一軒だってろくに維持管理できない者が家を二軒抱えている。結婚していないのに妾を二人囲っているようなものなのであろか。
しかし、それもまた縁であり現実であり、そうした定めなのかとも思える。快適な場所ができればそこに人を招くこともそこで何かイベントもできよう。自分にとって良いことだけでなく誰にとっても良いことのはずだ。死んだ友ももっと早くここに連れてきていたらもしかしたら死なずにすんでいたかもとすら考えてしまう。これは自分のためだけでないと言い聞かせて作業進めていく。
そう、人も家も同じで長く歳月を経ればあちこちにガタがくる。ならば当然世話やけるしやたら金もかかるのは仕方あるまい。そしてそうして手をかけられるだけ良いこと、幸せなことなのである。ともかく片付かないことには人を呼ぶことも合宿もできやしない。今年の冬が来る前にはこうした作業は終わらせておきたい。8日はまだ募った参加者は現れないがやはりお一人でも来て手伝ってくれる方がいるならば行くしかないかと考えている。
歳をとればあちこちにガタがきて金がかかる。それは人も家も同じことであった。動かさないと機械は錆びてダメになる。人の体もまた同じ。そうした世の中の必然的「法則」を経験から学んでいく。フツーの人は世知として最初から備わっているそれが自分にはなかった。愚かな自分にとってそれこそが生きること、人生なのだとわかってきた。
今日も暑かった。実は昨日月曜の夕方から山梨の須玉にあるウチの古民家へ行って一泊して今夕帰ってきた。
今回は一人で若犬たちだけ連れて行ってきた。温泉にもでも浸かってのんびりできたかというととんでもない。時間がなくて風呂どころかろくに昼飯も喰えず高速をびゅんびゅん飛ばして何とか明るいうちに戻ってこれたという次第。一泊したけれどものすごく疲れていて今は頭の後ろ、首筋が熱持って痛くぼーとしている。
毎度のことながらいつも思うのは、憧れの田舎暮らしのはずが、のんびり休息どころか疲れるために出掛けているようなもので何でかなあと溜息がでる。
実は今回行ったのは、水道が漏水していることがわかり、その修理工事を頼む地元の水道屋との打ち合わせがあって前の晩から出向いていたのだ。
今、その古民家の水道・光熱費、税金なども一切の請求はウチが支払うことになっている。いちおう名義上の変更もようやく終えた。今はせいぜい月に多くても2~3日程度しか行っていないし、このところは泊りもしていないのに、先に請求された水道代は6000円という法外なもので目を剥いた。特に冬の間はほとんど行っていないのにだ。
で、北斗市の水道課に申し立てし調べてもらったら漏電ならぬ漏水しているとのことで、修理すれば減免措置もとれるとのこと。で、管理されていた方からも紹介してくれた地元の水道屋と連絡がとれて工事をお願いしようとまずは来てもらうことになった。親切なオヤジさんで今日の朝一から来てくれていろいろ調べてもらった。
が、漏水場所は突き止められず、もともと古民家でしかもずっと人も住んでいなかったから水道管自体がかなり古くなっていて地下を掘ってすぐにその水漏れ個所がみつかったとしてもまた他からも同様の事態が起きるだろう。ならば新たに管を引き直したほうが良いと諭された。まあ確かにその通りだとも思った。
ただその工事代金が30万円!キッチンと風呂場と洗面所、トイレ、そして庭にある水道まで全部新しく繋ぎ直すので4~5日はかかると言う。まあ、全部新しくしかも今回は室内に管を這わせるのでもう冬でも凍って破裂することはないしこれから先のこと、後々まで考えれば新しく引き直すしかないと思えた。が、その工事代金である。想定外であった。
先の記録的豪雪で、家は潰れなかったものの裏側、つまり北側の屋根の瓦が雪が滑り落ちるのといっしょに何枚も外れて落ちた。また瓦と壁との繋目も長い年月の間に隙間ができたりもしていたのでそれも業者に頼んで修繕してもらった。トイレの水が流れなかったのもリフォーム全般やっているとこだったのでそれもお願いした。その額が16万円で、ようやく先日金を工面して振り込んだところだった。
屋根とトイレが直ったと思ったら今度は水道管からの漏水発覚で新たに全とっかえの工事の話である。マス坊は元よりそんな金はないので、家の貯金を取り崩してあてるしかないわけだが、まったく金ばかりかかってしょうがない。家と出会ったときは良い環境の良い物件、良い話だと飛びついたが家そのものの代金は安くても何だかんだ維持費修繕費がやたらかかる。
まあ長らく誰も住まずどこもかしこも使っていなかったのだから老朽化もして手を入れていかねばならないのは覚悟もしていたが、高速代とガソリン以外にこんなに金が出ていくとは予想もしていなかった。いや、これが当然なのであって毎度のことながら現実を見ていなかった。結婚したことはないが結婚生活というものもこうしたものなのかと思う。
その他、自分で建物内のガラクタもまだ片づけるものが山積みだし、今日も持って行った本や雑誌の搬入と二階の掃除に追われた。水道屋さんとの話はすぐ終わったが。
まあ、室内もすっきり全部片づき、手をいれていく工事も終われば広く快適な古民家でのんびりと山里田舎暮らしができるはずと夢想するが、ともかくやることがいっぱいで目が回りそうな日々が続く。汗と埃まみれになっていったい俺は何をやっているのかと自問もした。無頼庵にお越しの方はご存知のように、自分ちだってろくに掃除も片付けもできていないのに、何でオレは山梨まで来てよそんちの掃除をやっているのだろうか。いや、もうここも自分ちなのだ。一軒だってろくに維持管理できない者が家を二軒抱えている。結婚していないのに妾を二人囲っているようなものなのであろか。
しかし、それもまた縁であり現実であり、そうした定めなのかとも思える。快適な場所ができればそこに人を招くこともそこで何かイベントもできよう。自分にとって良いことだけでなく誰にとっても良いことのはずだ。死んだ友ももっと早くここに連れてきていたらもしかしたら死なずにすんでいたかもとすら考えてしまう。これは自分のためだけでないと言い聞かせて作業進めていく。
そう、人も家も同じで長く歳月を経ればあちこちにガタがくる。ならば当然世話やけるしやたら金もかかるのは仕方あるまい。そしてそうして手をかけられるだけ良いこと、幸せなことなのである。ともかく片付かないことには人を呼ぶことも合宿もできやしない。今年の冬が来る前にはこうした作業は終わらせておきたい。8日はまだ募った参加者は現れないがやはりお一人でも来て手伝ってくれる方がいるならば行くしかないかと考えている。
歳をとればあちこちにガタがきて金がかかる。それは人も家も同じことであった。動かさないと機械は錆びてダメになる。人の体もまた同じ。そうした世の中の必然的「法則」を経験から学んでいく。フツーの人は世知として最初から備わっているそれが自分にはなかった。愚かな自分にとってそれこそが生きること、人生なのだとわかってきた。
男らしいってわかるかい・3 ― 2014年06月04日 20時10分14秒

★男らしさの文化が政治と戦争に結びつくとき アクセスランキング: 158位
マチスモという言葉があるがご存知か。
巷間、「マッチョ」という言葉はよく耳にされよう。シュワルツネッカーとかS・スタローンとかの筋肉モリモリの男性を思い浮かべてしまうが、実はマッチョとはそうした表面的なことではなく「男らしさ」に拘る思想、信条を指している。そのマッチョの語源とも呼べるのがマチスモであり、このスペイン語はスペイン、ラテンアメリカの男性のみならず広く日本も含めて西欧社会の男性の深層意識に根ざしている。
ちなみにネットの辞書でひくとこう説明されている。
マチスモ【machismo】 世界大百科事典 第2版の解説
ラテン・アメリカのメスティソ社会において男らしさを強調する言葉。マチョmachoは雄を意味するスペイン語であり,男性の力,勇気,誇り,性的能力に言及する言葉であるが,ラテン・アメリカに入るとインディオ的解釈が加わり,植物や物の大きさ,状態,力,その他の属性における優位性をも意味するようになった。マチスモは男らしさを強調する生き方を意味し,メスティソ社会の価値観を代表する。ヨーロッパ地中海世界に共通にみられる,家族や社会的名誉をになう男らしさを重視する傾向が,主としてスペインを通じてラテン・アメリカに入り,定着したと推測できる
まあ、男性優位主義とでも訳される言葉であるが、それ自体は別に悪いことではない。男は男らしくあって何で悪いのかと言われれば返す言葉がない。
しかし、ことそれが政治の世界においては、おそらくどんな国家であろうともときの指導者が、男らしくない、臆病だ、と国民から見なされてしまえば政治家として失格の烙印を押されたことに等しい。特にそれが有事の際、紛争のような事態逼迫状況において、あいつはチキン、つまり臆病者だと、国民からも他国から思われてしまえば支持率は急落して退陣するしかない。ならば政治家は常にこと有事においては「男らしさ」を求められる。それは女性だって同様で、かつて1982年のイギリスとアルゼンチンとの間で起きたフォークランド諸島の領有権をめぐる戦争、いわゆるフォークランド紛争でも「鉄の女サッチャー」は「我々は武力解決の道を選択する」と決断した。その戦争を辞さない毅然とした男らしさで大いに国民の支持を集めることに成功した。
フォークランド紛争について解説した記事はこう結んでいる。
多くの艦艇を失い、255人の戦死者を出したものの勝利したイギリスでは、戦前不人気をかこっていたサッチャーの人気が急上昇した。それまで不人気だったサッチャーは続投し、戦勝によって勢い付いた新自由主義的な改革はイギリス経済を復活させた。※ウィキペディア・フォークランド紛争より
また2001年9月11日のアメリカを襲った同時多発テロでは、テロリストへの報復を誓ったブッシュ二世大統領は、八割を超える米国民の支持を背景に、対テロ戦争の一環としてまず首謀者たちが潜むとされたアフガニスタンに侵攻、タリバン政権を転覆させ、さらには大量破壊兵器を隠し持っているとして「悪の枢軸国・テロ国家」イラクにまで戦争は拡大波及したことは記憶に新しい。
結果としてその一連の戦争で民間人も含めればいったい何十万人の犠牲者が出たのかはさておき、やはり不人気であったブッシュ大統領の人気は大いに高まった。「世界の警察官」アメリカがテロとの戦いとして始めた戦争にどれほどの大義があったのか今も問われるだろうし世界は9.11の前よりも平和に、良い世界になったとは自分は思えないが、正義と自由を標榜する米国社会では彼の「男らしさ」は必然的に求められたのである。
特に他国から仕掛けられた戦闘行為、つまり売られたケンカに対しては、政治家は立ち止まって「まあまあ、まずはゆっくり話し合いましょう」などとは言ってはいられない。そうした敵国と理性的話し合いに委ねたり、国連決議にかけてなどともたもたするより即対抗手段、つまり戦闘行為で報復したほうが国民の支持は高まる。それは古今東西歴史が示している。男性の中には今も昔も男らしさ信奉、強さに対する願望があるのである。弱虫と逃げ腰は「男らしく」ないと蔑まれる。
今日、我が国を取り巻く国際情勢は確かに自民党首脳らが言うようにかつてないほど緊迫していることは同意できよう。大国中国の覇権主義はさらに加速していくだろうし、朝鮮半島も含めた東アジア情勢は何が起きるかまったく予想もつかない。
そしてそこに、日本のフォークランドとも呼べる、尖閣や竹島に、他国の軍隊が侵攻し占領する場合も想定としては考えるべきだと自分も思う。ただ、そのときに、安倍首相はサッチャーのように、「武力解決の道を選択する」と決断するのであろうか。民主党政権下ではそれは考えられないし憲法の制約上できなかった。その場合は同盟国米国の力を背景に粘り強く交渉して国際社会に訴えていくしかないであろうしおそらく国民の多くは「弱腰外交」と政権を糾弾したはずだ。
しかし、憲法を実質的に解釈改憲して、これからは世界中どこでも国民の利益と命を守るために積極的平和主義と称して戦争をしていくと公言している自民党安倍政権は、有事の際はブッシュのように世論を背景に戦争を仕掛けていく。やられたらやり返せ、それが男らしい国家、真の日本人だと。そして島を巡って敵の軍隊と日本の軍隊との間で戦闘行為が起きればそれは国家間の「戦争」となる。しかしその先、その後に何が待っているのか、男らしさに狂喜したとしても国民は何もわかっていない。国と国との戦争はサッカーの試合のように終わればすっきり相手を讃えられるものでは絶対ない。さらに本格的に本土戦へと長期化拡大していくことはあり得ないと考えているのであろうか。それはかつての日中戦争、そして太平洋戦争という過去の歴史を知らない愚か者であろう。
世界は昔も今も「男らしさ」で動いている。ゆえに世界から紛争も戦争も絶えることはない。が、真に賢い為政者は、その見せかけの「男らしさ」=マチスモに囚われることなく、時に臆病者と見なされ罵られようとも武力での争いに解決を委ねることなく平和的手段によってことを収めなければならないと信ずる。
なぜならば「戦争」という力では何一つじっさいは解決しないからだ。戦争とは常にすべての人々に禍根を残す。※もう一回書き足していく。
マチスモという言葉があるがご存知か。
巷間、「マッチョ」という言葉はよく耳にされよう。シュワルツネッカーとかS・スタローンとかの筋肉モリモリの男性を思い浮かべてしまうが、実はマッチョとはそうした表面的なことではなく「男らしさ」に拘る思想、信条を指している。そのマッチョの語源とも呼べるのがマチスモであり、このスペイン語はスペイン、ラテンアメリカの男性のみならず広く日本も含めて西欧社会の男性の深層意識に根ざしている。
ちなみにネットの辞書でひくとこう説明されている。
マチスモ【machismo】 世界大百科事典 第2版の解説
ラテン・アメリカのメスティソ社会において男らしさを強調する言葉。マチョmachoは雄を意味するスペイン語であり,男性の力,勇気,誇り,性的能力に言及する言葉であるが,ラテン・アメリカに入るとインディオ的解釈が加わり,植物や物の大きさ,状態,力,その他の属性における優位性をも意味するようになった。マチスモは男らしさを強調する生き方を意味し,メスティソ社会の価値観を代表する。ヨーロッパ地中海世界に共通にみられる,家族や社会的名誉をになう男らしさを重視する傾向が,主としてスペインを通じてラテン・アメリカに入り,定着したと推測できる
まあ、男性優位主義とでも訳される言葉であるが、それ自体は別に悪いことではない。男は男らしくあって何で悪いのかと言われれば返す言葉がない。
しかし、ことそれが政治の世界においては、おそらくどんな国家であろうともときの指導者が、男らしくない、臆病だ、と国民から見なされてしまえば政治家として失格の烙印を押されたことに等しい。特にそれが有事の際、紛争のような事態逼迫状況において、あいつはチキン、つまり臆病者だと、国民からも他国から思われてしまえば支持率は急落して退陣するしかない。ならば政治家は常にこと有事においては「男らしさ」を求められる。それは女性だって同様で、かつて1982年のイギリスとアルゼンチンとの間で起きたフォークランド諸島の領有権をめぐる戦争、いわゆるフォークランド紛争でも「鉄の女サッチャー」は「我々は武力解決の道を選択する」と決断した。その戦争を辞さない毅然とした男らしさで大いに国民の支持を集めることに成功した。
フォークランド紛争について解説した記事はこう結んでいる。
多くの艦艇を失い、255人の戦死者を出したものの勝利したイギリスでは、戦前不人気をかこっていたサッチャーの人気が急上昇した。それまで不人気だったサッチャーは続投し、戦勝によって勢い付いた新自由主義的な改革はイギリス経済を復活させた。※ウィキペディア・フォークランド紛争より
また2001年9月11日のアメリカを襲った同時多発テロでは、テロリストへの報復を誓ったブッシュ二世大統領は、八割を超える米国民の支持を背景に、対テロ戦争の一環としてまず首謀者たちが潜むとされたアフガニスタンに侵攻、タリバン政権を転覆させ、さらには大量破壊兵器を隠し持っているとして「悪の枢軸国・テロ国家」イラクにまで戦争は拡大波及したことは記憶に新しい。
結果としてその一連の戦争で民間人も含めればいったい何十万人の犠牲者が出たのかはさておき、やはり不人気であったブッシュ大統領の人気は大いに高まった。「世界の警察官」アメリカがテロとの戦いとして始めた戦争にどれほどの大義があったのか今も問われるだろうし世界は9.11の前よりも平和に、良い世界になったとは自分は思えないが、正義と自由を標榜する米国社会では彼の「男らしさ」は必然的に求められたのである。
特に他国から仕掛けられた戦闘行為、つまり売られたケンカに対しては、政治家は立ち止まって「まあまあ、まずはゆっくり話し合いましょう」などとは言ってはいられない。そうした敵国と理性的話し合いに委ねたり、国連決議にかけてなどともたもたするより即対抗手段、つまり戦闘行為で報復したほうが国民の支持は高まる。それは古今東西歴史が示している。男性の中には今も昔も男らしさ信奉、強さに対する願望があるのである。弱虫と逃げ腰は「男らしく」ないと蔑まれる。
今日、我が国を取り巻く国際情勢は確かに自民党首脳らが言うようにかつてないほど緊迫していることは同意できよう。大国中国の覇権主義はさらに加速していくだろうし、朝鮮半島も含めた東アジア情勢は何が起きるかまったく予想もつかない。
そしてそこに、日本のフォークランドとも呼べる、尖閣や竹島に、他国の軍隊が侵攻し占領する場合も想定としては考えるべきだと自分も思う。ただ、そのときに、安倍首相はサッチャーのように、「武力解決の道を選択する」と決断するのであろうか。民主党政権下ではそれは考えられないし憲法の制約上できなかった。その場合は同盟国米国の力を背景に粘り強く交渉して国際社会に訴えていくしかないであろうしおそらく国民の多くは「弱腰外交」と政権を糾弾したはずだ。
しかし、憲法を実質的に解釈改憲して、これからは世界中どこでも国民の利益と命を守るために積極的平和主義と称して戦争をしていくと公言している自民党安倍政権は、有事の際はブッシュのように世論を背景に戦争を仕掛けていく。やられたらやり返せ、それが男らしい国家、真の日本人だと。そして島を巡って敵の軍隊と日本の軍隊との間で戦闘行為が起きればそれは国家間の「戦争」となる。しかしその先、その後に何が待っているのか、男らしさに狂喜したとしても国民は何もわかっていない。国と国との戦争はサッカーの試合のように終わればすっきり相手を讃えられるものでは絶対ない。さらに本格的に本土戦へと長期化拡大していくことはあり得ないと考えているのであろうか。それはかつての日中戦争、そして太平洋戦争という過去の歴史を知らない愚か者であろう。
世界は昔も今も「男らしさ」で動いている。ゆえに世界から紛争も戦争も絶えることはない。が、真に賢い為政者は、その見せかけの「男らしさ」=マチスモに囚われることなく、時に臆病者と見なされ罵られようとも武力での争いに解決を委ねることなく平和的手段によってことを収めなければならないと信ずる。
なぜならば「戦争」という力では何一つじっさいは解決しないからだ。戦争とは常にすべての人々に禍根を残す。※もう一回書き足していく。
6/8日の古民家片づけ隊の件、連絡事項 ― 2014年06月05日 22時21分11秒
★天候次第ですが一応メンバー集まりました。 アクセスランキング: 151位
今日から東京地方も梅雨入り。かなり強い雨が断続的に降り続き気温も低い。30度を超すあれだけの暑さの後だから今日はうすら寒い。
ちょっと連絡事項を。
先にこのブログで告知して参加者を募った「古民家片づけ隊」6月8日の件であるが、おかげさまで申し込みの連絡もあって一応定数に達した。新たにこれから参加希望があっても応えられないのでそのことだけまず告知しておきたい。※と、先に書いたものの前日にならないと行けるかは微妙な方もいるので関心お持ちの方は問い合わせしてみてください。空席ある可能性もあるので。
ただ問題は天候で、四国や東海では既にかなりの豪雨、大雨注意情報が出ているようでその雨雲がこちらに向かっている。明日が山場とのことだが、この土日にかけても甲信でもまとまった雨が降り続くとの予報である。土曜日の朝の段階でどうするか決めたいと思っている。
豪雨だと作業ができないだけでなく、古民家はかなりの山坂を登り高度のある山麓に位置しているので車の運転すら慎重さが求められる。自分一人なら毎度のこと危険承知で無理もできるが、同行の人様の命を預かるのだから危険なことは絶対にできない。
そんなわけで「中止」の可能性もあることと、あくまでも天候次第だとこの場でお知らせしておく。
それと今回は中止でもこれから毎月さいてい月一でも土日中心に「片づけ隊」の活動作業は予定しているので、事前に早めに日程出しますのでまたどなたでもお気軽に参加申し込みのほどぜひお願いします。
やや意外なことはそうした山里の古民家での「田舎暮らし」に関して、今も世間一般かなり関心は高いようで、これまで拙ブログとはまったく関係ない方々でも検索システムで「古民家」などの文言がヒットして訪れて来られる方がかなりいるようでおやっと思った。まあ、商売になるわけでも1円にもならないが、多少でも関心ある方々、人様のお役に立てるのならば良いことなのでこれをきっかけに新たな人間関係が広がっていくことは大いに歓迎したい。
何であれ、「場」とはそうしたものであって、場があればそこに人は集い、出会い、そしてそこから新たに何かが始まっていく。自分ができることはそうした場の情報提供ぐらいなわけで、幸いいくらかでも反響があったということだ。有難いことである。
そしてこれからそうした人たちと古民家で何をどうやっていくかだ。ゆくゆくは自分も山梨県民となるかと考えている。
今日から東京地方も梅雨入り。かなり強い雨が断続的に降り続き気温も低い。30度を超すあれだけの暑さの後だから今日はうすら寒い。
ちょっと連絡事項を。
先にこのブログで告知して参加者を募った「古民家片づけ隊」6月8日の件であるが、おかげさまで申し込みの連絡もあって一応定数に達した。新たにこれから参加希望があっても応えられないのでそのことだけまず告知しておきたい。※と、先に書いたものの前日にならないと行けるかは微妙な方もいるので関心お持ちの方は問い合わせしてみてください。空席ある可能性もあるので。
ただ問題は天候で、四国や東海では既にかなりの豪雨、大雨注意情報が出ているようでその雨雲がこちらに向かっている。明日が山場とのことだが、この土日にかけても甲信でもまとまった雨が降り続くとの予報である。土曜日の朝の段階でどうするか決めたいと思っている。
豪雨だと作業ができないだけでなく、古民家はかなりの山坂を登り高度のある山麓に位置しているので車の運転すら慎重さが求められる。自分一人なら毎度のこと危険承知で無理もできるが、同行の人様の命を預かるのだから危険なことは絶対にできない。
そんなわけで「中止」の可能性もあることと、あくまでも天候次第だとこの場でお知らせしておく。
それと今回は中止でもこれから毎月さいてい月一でも土日中心に「片づけ隊」の活動作業は予定しているので、事前に早めに日程出しますのでまたどなたでもお気軽に参加申し込みのほどぜひお願いします。
やや意外なことはそうした山里の古民家での「田舎暮らし」に関して、今も世間一般かなり関心は高いようで、これまで拙ブログとはまったく関係ない方々でも検索システムで「古民家」などの文言がヒットして訪れて来られる方がかなりいるようでおやっと思った。まあ、商売になるわけでも1円にもならないが、多少でも関心ある方々、人様のお役に立てるのならば良いことなのでこれをきっかけに新たな人間関係が広がっていくことは大いに歓迎したい。
何であれ、「場」とはそうしたものであって、場があればそこに人は集い、出会い、そしてそこから新たに何かが始まっていく。自分ができることはそうした場の情報提供ぐらいなわけで、幸いいくらかでも反響があったということだ。有難いことである。
そしてこれからそうした人たちと古民家で何をどうやっていくかだ。ゆくゆくは自分も山梨県民となるかと考えている。
6月の「月刊 中川五郎」の告知 ― 2014年06月06日 06時35分38秒
★ぜひこちらもよろしくお願いします! アクセスランキング: 134位
早いもので、毎月、青梅線河辺駅前のライブスポット・W・サルーンで中川五郎を招いて月一開催の連続ライブ企画「月刊 中川五郎」もついに6回目、つまり一年の半分、折り返し地点に立った。※これは今年2014年一年間、毎月開催の全12回だと聞いている。
東京でも都心から遠く、青梅線の青梅に近いという地の不利はあるものの毎回中川五郎と様々な実力派ミュージシャンが登場し、熱唱を繰り広げている。そしてそれを注視する熱心なフォークソングファン、熱い観客たちも揃ってきた。
これまでもシバ、中川イサト氏ら五郎御大と親しい大御所も次々登場している。これから後半戦となるわけだが、さらにまた五郎氏を囲んで熱いライブバトルが繰り広げられることと期待している。
「うた」とは何か、また歌い手は何を唄にしてうたっていくのか。半世紀近く日本のフォークソングの現場に関わってきた中川五郎を通してその答えがここに確かに見えてくるように思える。まだ、未参加の方もぜひ一度は足を運んでこのユニークなシリーズライブを体感して頂きたい。
★ W.Sloon (だぶる さるーん) 〒198-0036 東京都青梅市河辺町5-12-11 和智ビル3F 0428-25-3577(対応時間/18時~22時) http://w-saloon.asia/ もよろしくご参照を。
早いもので、毎月、青梅線河辺駅前のライブスポット・W・サルーンで中川五郎を招いて月一開催の連続ライブ企画「月刊 中川五郎」もついに6回目、つまり一年の半分、折り返し地点に立った。※これは今年2014年一年間、毎月開催の全12回だと聞いている。
東京でも都心から遠く、青梅線の青梅に近いという地の不利はあるものの毎回中川五郎と様々な実力派ミュージシャンが登場し、熱唱を繰り広げている。そしてそれを注視する熱心なフォークソングファン、熱い観客たちも揃ってきた。
これまでもシバ、中川イサト氏ら五郎御大と親しい大御所も次々登場している。これから後半戦となるわけだが、さらにまた五郎氏を囲んで熱いライブバトルが繰り広げられることと期待している。
「うた」とは何か、また歌い手は何を唄にしてうたっていくのか。半世紀近く日本のフォークソングの現場に関わってきた中川五郎を通してその答えがここに確かに見えてくるように思える。まだ、未参加の方もぜひ一度は足を運んでこのユニークなシリーズライブを体感して頂きたい。
★ W.Sloon (だぶる さるーん) 〒198-0036 東京都青梅市河辺町5-12-11 和智ビル3F 0428-25-3577(対応時間/18時~22時) http://w-saloon.asia/ もよろしくご参照を。
大雨警報の夜に ― 2014年06月06日 23時29分15秒
★関東全域大雨警報の豪雨が降り続く
昨日の昼過ぎから降り出した雨はしだいに強さを増して今日も一日、今も強く降り続いている。
今日6日は用事で都心まで夕方から出たが、帰路は傘が役立たないほどの北西斜めから叩きつけるようなものすごい豪雨で、家までの帰りの道は川のようであった。サンダルで行ったから良いようなもののくるぶしまで水に浸かった。こういう日は出掛けないせいかこの雨の量に驚かされた。これでは低い土地では床下浸水であろう。
こうした異常なほどの豪雨、記録的長雨は近年この梅雨の季節、そして台風などではもはや珍しくない。おそらく四国、近畿圏でも既にこうした大量の雨は降ってそれがこちらにやってきたのであろう。梅雨時に雨が降るのは当然であり本来農業では歓迎すべきことだが、それにしてもほどがある。この雨は洪水被害が起きるほどの雨量だ。
これはまさしく異常気象がもたらす非常時であるが防ぎようもない。せいぜい高台に事前に避難するぐらいであろうか。
こうした異常気象は近年全世界、地球規模で多発している。こうした自然の気象災害は今後増えこそすれ減ることはまずないだろう。思うのだが、この21世紀、さらに温暖化が進みオゾン層も破壊され洪水と砂漠化、気温上昇が続くとするならば、その対応と対策は国家や民族レベルではどうすることもできやしない。今も昔も国家や民族は自国や自らの民族のことだけ考えその利権を維持することに腐心しているがそれこそもうナンセンスであり事態の解決には何にもならないことを知るべきではないか。
極論を言えば、各民族や地域の文化や言語は残しても国家なんてものは解体してしまっても良いのである。それこそ地球自体を一つの国家として考えて、日本も米国も中国(チベットやウイグル、香港、台湾はまた別個として)も韓国もそれぞれアメリカにおける州のようなものとして地球国家に属する。各州ごとの独自性は保つがその上にもっと大きな全地球的国家をおけば紛争などはなくなるし国境はいらない。関税も必要ないし人の移動も自由になる。
そうなれば今の国レベルでの利害や対立は消えて環境問題についても地球規模で対策が立てられる。貧富の差もなくなりはしなくてもモノや金があるところからないところへ流れる道筋は今よりはもっと良くなるのではないか。何よりも限りある地球という国に人類全員が共に生きる国民なのだと意識を持てば持てる者も足るを知るはずだ。
そしてリサイクルとリユース、再生可能エネルギーで省エネかつ少資産の個人でモノを持たなくても足りる社会ができると信ずる。大量生産大量消費、大量のゴミの出る暮らしは終わる。さすれば地球温暖化がもたらす異常気象も人類総出の英知で制御できるはずだ。
自分も欲深いニンゲンだと自覚するが、異常気象を招いたのも人類の欲であり、それは国家という社会構造の中での弱肉強食の生存競争が根底にあってのことだと考える。つまり個人が、民族が、各国家がそれぞれ自分たちのことしか考えないから地球規模で自然がおかしくなってしまったのだ。ならば民族はなくせないのならば国という概念をなくしてしまえば良い。
たぶん、ジョン・レノンや清志郎の考え思い描いた世界はそういうことだったのではないかと思う。そんなことは夢物語だと言われるだろうが、皆がそのことに気が付けば真に世界は変わるし地球は一つになる。
いや、じっさい地球が一つの船だと考えてみればわかる。今その船は沈没寸前なのである。一部の金持ちたちだけは救命胴衣を身に着ければ自らは助かると思っている。が、この船が沈んでしまえば代わりの船も助けに来る船もないのである。ならば救命胴衣など捨てて乗客も乗組員も総出で沈没しないよう助け合い協力し合うしかないではないか。
今、外の雨の音は大きく強くなり滝のような勢いで雨が降っている。その音だけで怖いぐらい不安な気分になる。
豪雨が降り続き大地はことごとく水浸しになる中、神はノアに家族と各動物一つがいづつだけ乗せて箱船を出すよう命じた。だが21世紀、箱船は来ないしもはや箱船では誰も救われないことを我々は知るべしであろう。
昨日の昼過ぎから降り出した雨はしだいに強さを増して今日も一日、今も強く降り続いている。
今日6日は用事で都心まで夕方から出たが、帰路は傘が役立たないほどの北西斜めから叩きつけるようなものすごい豪雨で、家までの帰りの道は川のようであった。サンダルで行ったから良いようなもののくるぶしまで水に浸かった。こういう日は出掛けないせいかこの雨の量に驚かされた。これでは低い土地では床下浸水であろう。
こうした異常なほどの豪雨、記録的長雨は近年この梅雨の季節、そして台風などではもはや珍しくない。おそらく四国、近畿圏でも既にこうした大量の雨は降ってそれがこちらにやってきたのであろう。梅雨時に雨が降るのは当然であり本来農業では歓迎すべきことだが、それにしてもほどがある。この雨は洪水被害が起きるほどの雨量だ。
これはまさしく異常気象がもたらす非常時であるが防ぎようもない。せいぜい高台に事前に避難するぐらいであろうか。
こうした異常気象は近年全世界、地球規模で多発している。こうした自然の気象災害は今後増えこそすれ減ることはまずないだろう。思うのだが、この21世紀、さらに温暖化が進みオゾン層も破壊され洪水と砂漠化、気温上昇が続くとするならば、その対応と対策は国家や民族レベルではどうすることもできやしない。今も昔も国家や民族は自国や自らの民族のことだけ考えその利権を維持することに腐心しているがそれこそもうナンセンスであり事態の解決には何にもならないことを知るべきではないか。
極論を言えば、各民族や地域の文化や言語は残しても国家なんてものは解体してしまっても良いのである。それこそ地球自体を一つの国家として考えて、日本も米国も中国(チベットやウイグル、香港、台湾はまた別個として)も韓国もそれぞれアメリカにおける州のようなものとして地球国家に属する。各州ごとの独自性は保つがその上にもっと大きな全地球的国家をおけば紛争などはなくなるし国境はいらない。関税も必要ないし人の移動も自由になる。
そうなれば今の国レベルでの利害や対立は消えて環境問題についても地球規模で対策が立てられる。貧富の差もなくなりはしなくてもモノや金があるところからないところへ流れる道筋は今よりはもっと良くなるのではないか。何よりも限りある地球という国に人類全員が共に生きる国民なのだと意識を持てば持てる者も足るを知るはずだ。
そしてリサイクルとリユース、再生可能エネルギーで省エネかつ少資産の個人でモノを持たなくても足りる社会ができると信ずる。大量生産大量消費、大量のゴミの出る暮らしは終わる。さすれば地球温暖化がもたらす異常気象も人類総出の英知で制御できるはずだ。
自分も欲深いニンゲンだと自覚するが、異常気象を招いたのも人類の欲であり、それは国家という社会構造の中での弱肉強食の生存競争が根底にあってのことだと考える。つまり個人が、民族が、各国家がそれぞれ自分たちのことしか考えないから地球規模で自然がおかしくなってしまったのだ。ならば民族はなくせないのならば国という概念をなくしてしまえば良い。
たぶん、ジョン・レノンや清志郎の考え思い描いた世界はそういうことだったのではないかと思う。そんなことは夢物語だと言われるだろうが、皆がそのことに気が付けば真に世界は変わるし地球は一つになる。
いや、じっさい地球が一つの船だと考えてみればわかる。今その船は沈没寸前なのである。一部の金持ちたちだけは救命胴衣を身に着ければ自らは助かると思っている。が、この船が沈んでしまえば代わりの船も助けに来る船もないのである。ならば救命胴衣など捨てて乗客も乗組員も総出で沈没しないよう助け合い協力し合うしかないではないか。
今、外の雨の音は大きく強くなり滝のような勢いで雨が降っている。その音だけで怖いぐらい不安な気分になる。
豪雨が降り続き大地はことごとく水浸しになる中、神はノアに家族と各動物一つがいづつだけ乗せて箱船を出すよう命じた。だが21世紀、箱船は来ないしもはや箱船では誰も救われないことを我々は知るべしであろう。
天候に振り回されたが・・・ ― 2014年06月07日 22時05分31秒
★予定通り明日「古民家片づけ隊」出発 アクセスランキング: 134位
この雨にはホントまいった。ウチのほうは水の出る低地や崖崩れの恐れのある段丘地ではないので洪水、土砂崩れの心配はないが、一昨日からの雨が長引き、中央高速がずっと不通だったのでどうしたものかとやきもきした。
何しろ隣町八王子では降り始めからの雨量は300ミリを越えたという。中央高速もずっと八王子から大月までの間が上下とも通行止めで、明日行けるのかどうなるか予定が立たないで困った。まだ今も小雨が降り続いている。今日は一日八高線もゆっくりと徐行運転であった。
中止にするとまた参加者の日程調整が面倒となるし天気が悪かろうが人手があるなら行くのは早いほうがこちらは有難い。もたもたしていると夏が来てすぐに秋となって寒くなれば今年の作業は終わり、来年の春まで行けなくなる。一年なんてあっという間なのだ。
そんなで今日は一日道路状況を確認していた。が、下りは国立府中~相模湖の間が最後までずっと通行止めのままでイライラさせられた。先ほど10時近くようやく中央道の不通は解除と登録していたメールが届いて中日本のサイトでも道路状況を確認したら全面開通していてほっとした。これで明日は朝から行って作業ができる。
設定された国立府中IC→相模湖IC間の以下の通行止が解除されました。
■通行止
▼中央道
国立府中IC→相模湖IC
(下り名古屋方面) 雨
どうなるか天気や道路の状況次第で待たされるというのもこれはまた疲れると知った。何もしていないのに待ちくたびれて疲れてそんなで頭が鈍く痛い。もう早く寝て夜明け前起きて荷物積み込もう。雨が降っていてはそうした作業すらできやしない。
明日戻ったらまた報告いたしたい。
この雨にはホントまいった。ウチのほうは水の出る低地や崖崩れの恐れのある段丘地ではないので洪水、土砂崩れの心配はないが、一昨日からの雨が長引き、中央高速がずっと不通だったのでどうしたものかとやきもきした。
何しろ隣町八王子では降り始めからの雨量は300ミリを越えたという。中央高速もずっと八王子から大月までの間が上下とも通行止めで、明日行けるのかどうなるか予定が立たないで困った。まだ今も小雨が降り続いている。今日は一日八高線もゆっくりと徐行運転であった。
中止にするとまた参加者の日程調整が面倒となるし天気が悪かろうが人手があるなら行くのは早いほうがこちらは有難い。もたもたしていると夏が来てすぐに秋となって寒くなれば今年の作業は終わり、来年の春まで行けなくなる。一年なんてあっという間なのだ。
そんなで今日は一日道路状況を確認していた。が、下りは国立府中~相模湖の間が最後までずっと通行止めのままでイライラさせられた。先ほど10時近くようやく中央道の不通は解除と登録していたメールが届いて中日本のサイトでも道路状況を確認したら全面開通していてほっとした。これで明日は朝から行って作業ができる。
設定された国立府中IC→相模湖IC間の以下の通行止が解除されました。
■通行止
▼中央道
国立府中IC→相模湖IC
(下り名古屋方面) 雨
どうなるか天気や道路の状況次第で待たされるというのもこれはまた疲れると知った。何もしていないのに待ちくたびれて疲れてそんなで頭が鈍く痛い。もう早く寝て夜明け前起きて荷物積み込もう。雨が降っていてはそうした作業すらできやしない。
明日戻ったらまた報告いたしたい。
第1回古民家かたづけ隊、まずは無事成功帰還! ― 2014年06月08日 22時12分31秒
★今回は出発前から雨に振り回されたが・・・ アクセスランキング: 134位
古民家片づけ隊、と銘打って、このブログで募集をかけ初めてそのメンバーで日帰りだが山梨へ行ってきた。その報告をする。
梅雨に入ったとたん記録的な量の雨が降り、しかも昨日前日の晩までその雨はやまず中央高速は上下線とも不通のままでもう今回は中止かなあと半ば諦めもしていた。
が、夜9時過ぎ、ようやく通行止めは解除となってたぶん行ける、行くことになるだろうと気持ちを切り替えた。が、雨は今日出発の8日朝まで降り続いていたしいつまた通行止めになるかもしれないので参加者には家を出るとき確認の電話入れるように頼んでおいた。
で、いつもなら前日から向こうに運ぶ本や雑誌など車に積み込んでおくのだが長雨で何の準備もできず、ともかく早く寝ることにした。が、あれこれ不安だからか午前3時半には変な夢で目が覚めてしまい、それからしばらく起きて茨城県笠間から呼ぶことにした「社員」からの電話を4時半に受けて、決行を伝えてからまた6時まで少しだけ寝なおした。
今回のメンバーは、中野在住で中学校の美術を教えている女性とこのブログを知って関心を持たれた登戸に住む30代の男性Sさんと毎度お馴染みのウチの「社員」氏で、自分も含めて定員4人となっていた。今回8日と決まったのは、その中学校の先生の都合で、前日の土曜が学校の運動会で月曜が休みになるので8日が好都合だと言うのでまず日にちを決めて参加募集をしたのだった。
そしたら見知らぬ男性Sさんからブログを見たとコメントが届き、片づけ隊に参加したいと申し込みがあった。で、行くからには車の定員いっぱいにしたほうがと考えて、急遽、日帰りでかまわないからと笠間から「社員」も呼んで四人にしたのだった。
ところが木曜から降り出した記録的長雨がやまず、金曜の段階で、中学の先生から、土曜の運動会が雨で日曜に延期となったと連絡があり、残念だが不参加となって、しかも高速も動かずどうしたものか頭を抱えてしまった。いっそ中止して日延べも考えたが、せっかく申し込んでくれた見知らぬ男性は他の日は都合悪いようなのでともかく男3人でも行くことにした。が、雨で中央道が動かないのでは行くにいかれない。もうやきもきしてこの数日何も手につかないでいた。※中学の先生は日曜も雨でやはり運動会は中止になったが来れなかった。
けっきょく今朝になって再度中日本高速のサイトで道路状況を調べて不通でないことを再確認してから大慌てで詰めるだけ本の箱を荷台に乗せて、犬たち2匹連れて立川駅南口まで雨の中車を走らせた。待ち合わせは笠間から始発で来る社員の時間に合わせて7時45分とした。
で小雨の中、ガソリンを満タンに入れて八王子インターから高速へ。走っている途中で明るくなり雨は上がってきて笹子トンネルを抜けたら甲府は晴れ渡っていた。
渋滞も全くせず時間もあったので須玉の手前の韮崎で高速を降りて昼食用の食べ物を買い求め南アルプスを望む広域農道から江草の古民家へ。途中で道草喰ったが10時半頃には着いた。
小休止後、11時から昼1時まで三人で二階から1階の屋根裏にあたる納戸のような真っ暗な物置の中のガラクタを運び出す。埃まみれの一日仕事になるかもと考えていたが三人で手渡しで運んだらあっという間に中を空にすることができた。主に前所有者が捨てないでいた紙ゴミ類で、不要書類や子供の教科書、使わなくなった石油ストーブ、扇風機、ランドセルまで純粋ガラクタであった。古物商である自分としてはもう少し「お宝」が出て来るかと期待したが真に古いものは、戦前の漆の膳(一人用の小さな四角いテーブル)がいくつも収納された木箱だけであった。
その後、庭に下ろしたゴミを手分けして分別して袋に押し込んで近くのこの地区のゴミ集積所に三人で運んだ。雨もまた降りだして荷台の積んできた本の箱を車から手渡しで下して昼休み。韮崎で買ってきたパンや持ってきた弁当類で昼食とした。その後各部屋に掃除機かけて本日の作業は終わりにした。予定していたよりもあっという間で物足りないほどであった。
当たり前のことだが、一人でやって一日かかる作業は二人ならば半日で終わる。それが3人となれば数時間で終わってしまう。いつもは一人でろくに休みも取らずちまちま片づけ作業をしていると気が付くと時間ばかり過ぎてすぐに夕方になってしまう。やはりこうして「片づけ隊」として何人かで手渡しや分担して作業を進めればあっという間だと思い至った。ぜひこれからもご協力お願いしたい。
終えて、また雨は上がり明るく爽やかな山道を走り抜けて増冨のラジウム温泉に行った。汗をかくほどの作業ではなかったが埃を洗い流しぬるい湯に浸かって体をほぐして夕方早めに須玉インターから高速に乗って八王子インター~立川まで二人を送ってウチに戻った。
例によって小仏トンネルの前で、上野原からやや渋滞したが、午後7時に立川駅南口で散会となった。帰り道も一時豪雨に見舞われたり行きも帰りも雨にたたられた第一回目の「古民家片づけ隊」であったが、予定していた作業は全てあっけないほど終えられたので大いに成果はあった。この調子で月一でもお助け人を募って行けば作業はどんどん進んて行くと確信を得た。
それと今回、初めて会って参加されたSさん。登山や沢登り、ロッククライミングが学生の頃から趣味の好青年で、古民家の近く増冨ののさらに奥から登る山、百名山の一つ瑞牆山(みずがきやま)によく仲間と通っているとのことで、須玉近辺の事情にとても詳しく、話もはずんで初対面とは思えぬほど意気投合できた。また一人良き友と出会えたという喜びがあった。
さんざん雨にたたられてそれだけで行く前から精神的に疲れたが結果として行けて良かったし出会いも含めて良い一日であった。
一つだけ不満があれば長風呂嫌いの「社員」をせっかく増冨温泉に連れてきたのに、やはり15分で出てしまったので、Sさんも自分もゆっくり湯に浸かっていられなかったことだ。やはり社員と来るときは温泉など入らず直帰するに限ると改めて自戒した。こいつとはもう風呂に入らない。
古民家片づけ隊、と銘打って、このブログで募集をかけ初めてそのメンバーで日帰りだが山梨へ行ってきた。その報告をする。
梅雨に入ったとたん記録的な量の雨が降り、しかも昨日前日の晩までその雨はやまず中央高速は上下線とも不通のままでもう今回は中止かなあと半ば諦めもしていた。
が、夜9時過ぎ、ようやく通行止めは解除となってたぶん行ける、行くことになるだろうと気持ちを切り替えた。が、雨は今日出発の8日朝まで降り続いていたしいつまた通行止めになるかもしれないので参加者には家を出るとき確認の電話入れるように頼んでおいた。
で、いつもなら前日から向こうに運ぶ本や雑誌など車に積み込んでおくのだが長雨で何の準備もできず、ともかく早く寝ることにした。が、あれこれ不安だからか午前3時半には変な夢で目が覚めてしまい、それからしばらく起きて茨城県笠間から呼ぶことにした「社員」からの電話を4時半に受けて、決行を伝えてからまた6時まで少しだけ寝なおした。
今回のメンバーは、中野在住で中学校の美術を教えている女性とこのブログを知って関心を持たれた登戸に住む30代の男性Sさんと毎度お馴染みのウチの「社員」氏で、自分も含めて定員4人となっていた。今回8日と決まったのは、その中学校の先生の都合で、前日の土曜が学校の運動会で月曜が休みになるので8日が好都合だと言うのでまず日にちを決めて参加募集をしたのだった。
そしたら見知らぬ男性Sさんからブログを見たとコメントが届き、片づけ隊に参加したいと申し込みがあった。で、行くからには車の定員いっぱいにしたほうがと考えて、急遽、日帰りでかまわないからと笠間から「社員」も呼んで四人にしたのだった。
ところが木曜から降り出した記録的長雨がやまず、金曜の段階で、中学の先生から、土曜の運動会が雨で日曜に延期となったと連絡があり、残念だが不参加となって、しかも高速も動かずどうしたものか頭を抱えてしまった。いっそ中止して日延べも考えたが、せっかく申し込んでくれた見知らぬ男性は他の日は都合悪いようなのでともかく男3人でも行くことにした。が、雨で中央道が動かないのでは行くにいかれない。もうやきもきしてこの数日何も手につかないでいた。※中学の先生は日曜も雨でやはり運動会は中止になったが来れなかった。
けっきょく今朝になって再度中日本高速のサイトで道路状況を調べて不通でないことを再確認してから大慌てで詰めるだけ本の箱を荷台に乗せて、犬たち2匹連れて立川駅南口まで雨の中車を走らせた。待ち合わせは笠間から始発で来る社員の時間に合わせて7時45分とした。
で小雨の中、ガソリンを満タンに入れて八王子インターから高速へ。走っている途中で明るくなり雨は上がってきて笹子トンネルを抜けたら甲府は晴れ渡っていた。
渋滞も全くせず時間もあったので須玉の手前の韮崎で高速を降りて昼食用の食べ物を買い求め南アルプスを望む広域農道から江草の古民家へ。途中で道草喰ったが10時半頃には着いた。
小休止後、11時から昼1時まで三人で二階から1階の屋根裏にあたる納戸のような真っ暗な物置の中のガラクタを運び出す。埃まみれの一日仕事になるかもと考えていたが三人で手渡しで運んだらあっという間に中を空にすることができた。主に前所有者が捨てないでいた紙ゴミ類で、不要書類や子供の教科書、使わなくなった石油ストーブ、扇風機、ランドセルまで純粋ガラクタであった。古物商である自分としてはもう少し「お宝」が出て来るかと期待したが真に古いものは、戦前の漆の膳(一人用の小さな四角いテーブル)がいくつも収納された木箱だけであった。
その後、庭に下ろしたゴミを手分けして分別して袋に押し込んで近くのこの地区のゴミ集積所に三人で運んだ。雨もまた降りだして荷台の積んできた本の箱を車から手渡しで下して昼休み。韮崎で買ってきたパンや持ってきた弁当類で昼食とした。その後各部屋に掃除機かけて本日の作業は終わりにした。予定していたよりもあっという間で物足りないほどであった。
当たり前のことだが、一人でやって一日かかる作業は二人ならば半日で終わる。それが3人となれば数時間で終わってしまう。いつもは一人でろくに休みも取らずちまちま片づけ作業をしていると気が付くと時間ばかり過ぎてすぐに夕方になってしまう。やはりこうして「片づけ隊」として何人かで手渡しや分担して作業を進めればあっという間だと思い至った。ぜひこれからもご協力お願いしたい。
終えて、また雨は上がり明るく爽やかな山道を走り抜けて増冨のラジウム温泉に行った。汗をかくほどの作業ではなかったが埃を洗い流しぬるい湯に浸かって体をほぐして夕方早めに須玉インターから高速に乗って八王子インター~立川まで二人を送ってウチに戻った。
例によって小仏トンネルの前で、上野原からやや渋滞したが、午後7時に立川駅南口で散会となった。帰り道も一時豪雨に見舞われたり行きも帰りも雨にたたられた第一回目の「古民家片づけ隊」であったが、予定していた作業は全てあっけないほど終えられたので大いに成果はあった。この調子で月一でもお助け人を募って行けば作業はどんどん進んて行くと確信を得た。
それと今回、初めて会って参加されたSさん。登山や沢登り、ロッククライミングが学生の頃から趣味の好青年で、古民家の近く増冨ののさらに奥から登る山、百名山の一つ瑞牆山(みずがきやま)によく仲間と通っているとのことで、須玉近辺の事情にとても詳しく、話もはずんで初対面とは思えぬほど意気投合できた。また一人良き友と出会えたという喜びがあった。
さんざん雨にたたられてそれだけで行く前から精神的に疲れたが結果として行けて良かったし出会いも含めて良い一日であった。
一つだけ不満があれば長風呂嫌いの「社員」をせっかく増冨温泉に連れてきたのに、やはり15分で出てしまったので、Sさんも自分もゆっくり湯に浸かっていられなかったことだ。やはり社員と来るときは温泉など入らず直帰するに限ると改めて自戒した。こいつとはもう風呂に入らない。
ライブ「さこ大介大全集」第1回目 6/29日ぜひご来場を! ― 2014年06月09日 21時33分04秒

★しかも今回のゲストはバイオリンのみほこんだっ!! アクセスランキング: 113位
先月17日のシバの無頼庵初ライブ以降、何だかんだ慌ただしくて、山梨に出掛けたりいろいろ雑用が多くて気がついたら今月末の日曜の、さこ大介&みほこんまで3週間もないので焦っている。毎度ながら取り組みが甘い。
実はまだほとんど何の宣伝もしていないのだ。むろんさこさんやみほこん側から情報を知ったファンの方が来てくれると信ずるが、マス坊のルートでも宣伝活動しないことにはとてもシバのときみたいに多くの入りはない。何事もだが、何もせずただ悠然とかまえてお客が来るのを待つだけの殿様商売で良いはずがない。
出演者は知名度あっても場の人間、店側が必死に宣伝活動をやってはじめてある一定の人数が集まるのである。こんな無名のブログで告知しただけでそれを見たからといって青梅線界隈まで人は足を伸ばさない。どんなことも努力あっての結果なのである。宣伝がんばらねば。
ようやく今日、宣伝ハガキを作り、さこ御大にも送ったが、これからウチに来てくれた方々に順次発送していこうと考えている。ただ、無頼庵でいろんな企画を立てて催してきたが、それぞれのジャンル間の横の繋がりはほとんどなく、映画は映画仲間、詩は詩仲間、ライブはライブ仲間といった有様でもっとクロスオーバーしてあれこれ自由に他の企画に参加して頂きたいとこちらは望んでも、人には好みというか嗜好と指向があるのでなかなか難しい。お忙しいこともそこに重なるのであろうが、食わず嫌いはいかがなものか。
今回のライブの主役、さこ大介さんについては今さら説明は不要だろう。拙ブログでは事あるごとに書いてきたし、このところ自分がもっとも多く観ているミュージシャンだ。義理で観ているのではない。観たくて聞きたくて時間あればライブに通っている。
年下の友として親しくして頂いている関係以前に、大兄は真に素晴らしい才能あふれる音楽家である。曲を作詞作曲するソングライターとしても荒井由実を凌駕する天才であり、さらにまたボーカリストとしてもその枯れた喉から発せられる渋い唄声は多くの女性ファンを魅了している。またその毎度の「バカ野郎!」乱発の愉快な語りも楽しみに通うファンも多い。まさにいぶし銀の大人の魅力、それがさこ大介である。
かつて深夜放送「パックインミュージック」の人気パーソナリティ、みどりぶたこと故林美雄は、美大生時代のユーミンをスタジオに招き、唄ってもらった際に、感激し興奮のあまり生放送でリスナーに向かって「皆さん、この人は天才です!」と叫んだと伝えられている。同様に、マス坊にとって、まさにさこ大介ほどの天才は他に知らない。林さんも聴けば絶対に叫んだはずだ「この人も天才です!」と。詩も曲作りもそして自らのそのうたも真の天才だと断ずるしかない。先日は永六輔のラジオ番組にも招かれて永さんに請われて唄った。
その男をついに自宅にお招きして本格的ライブを企画した。しかも当人自らの希望で人気バイオリン女子みほこんも気合入れて共演する。マダムキラーのおじんとおっちゃん殺しのアイドルとの前代未聞の初顔合わせ。いったいどうなることやら想像するだけでわくわくだろう。
この企画は「さこ大介大全集」と名づけた。何しろさこさんには素晴らしい楽曲がアルバムになっていないものも含めて何百曲もあるという。彼があと何年お元気で音楽活動続けていけるか定かではないが、健康を祈りつつも彼の音楽ワークをそろそろきちんと定点観測的に記録していこうとも考えた。なので重複する曲も時にあっても基本的に彼のこれまでのワークス全楽曲を全て順次唄って頂く予定でいる。次回の開催はまだ未定だが不定期でも回を重ねて行けたらと。そのためにも多くの観客が求められる。
繰り返しになるが、騙されたと思って聴きに観に来てください。さこ大介、本当に素晴らしいです。こんな人と同時代に生きている幸せを貴方にも。
●無頼庵ライブ企画「さこ大介大全集」
・日時*2014年6月29日(日) 午後6時開場 6時15分開始 9時頃終演予定
・出演*さこ大介 (ボーカル&ギター) みほこん(バイオリン&ボーカル)
・参加費*¥2000.(ワンドリンク込み) さこ&みほこんを囲んでの懇親会費¥1000.
・会場*古本音楽ハウス無頼庵 問&申し込み マスダ 090-8175-8479
★只今、予約申し込み受付中!
先月17日のシバの無頼庵初ライブ以降、何だかんだ慌ただしくて、山梨に出掛けたりいろいろ雑用が多くて気がついたら今月末の日曜の、さこ大介&みほこんまで3週間もないので焦っている。毎度ながら取り組みが甘い。
実はまだほとんど何の宣伝もしていないのだ。むろんさこさんやみほこん側から情報を知ったファンの方が来てくれると信ずるが、マス坊のルートでも宣伝活動しないことにはとてもシバのときみたいに多くの入りはない。何事もだが、何もせずただ悠然とかまえてお客が来るのを待つだけの殿様商売で良いはずがない。
出演者は知名度あっても場の人間、店側が必死に宣伝活動をやってはじめてある一定の人数が集まるのである。こんな無名のブログで告知しただけでそれを見たからといって青梅線界隈まで人は足を伸ばさない。どんなことも努力あっての結果なのである。宣伝がんばらねば。
ようやく今日、宣伝ハガキを作り、さこ御大にも送ったが、これからウチに来てくれた方々に順次発送していこうと考えている。ただ、無頼庵でいろんな企画を立てて催してきたが、それぞれのジャンル間の横の繋がりはほとんどなく、映画は映画仲間、詩は詩仲間、ライブはライブ仲間といった有様でもっとクロスオーバーしてあれこれ自由に他の企画に参加して頂きたいとこちらは望んでも、人には好みというか嗜好と指向があるのでなかなか難しい。お忙しいこともそこに重なるのであろうが、食わず嫌いはいかがなものか。
今回のライブの主役、さこ大介さんについては今さら説明は不要だろう。拙ブログでは事あるごとに書いてきたし、このところ自分がもっとも多く観ているミュージシャンだ。義理で観ているのではない。観たくて聞きたくて時間あればライブに通っている。
年下の友として親しくして頂いている関係以前に、大兄は真に素晴らしい才能あふれる音楽家である。曲を作詞作曲するソングライターとしても荒井由実を凌駕する天才であり、さらにまたボーカリストとしてもその枯れた喉から発せられる渋い唄声は多くの女性ファンを魅了している。またその毎度の「バカ野郎!」乱発の愉快な語りも楽しみに通うファンも多い。まさにいぶし銀の大人の魅力、それがさこ大介である。
かつて深夜放送「パックインミュージック」の人気パーソナリティ、みどりぶたこと故林美雄は、美大生時代のユーミンをスタジオに招き、唄ってもらった際に、感激し興奮のあまり生放送でリスナーに向かって「皆さん、この人は天才です!」と叫んだと伝えられている。同様に、マス坊にとって、まさにさこ大介ほどの天才は他に知らない。林さんも聴けば絶対に叫んだはずだ「この人も天才です!」と。詩も曲作りもそして自らのそのうたも真の天才だと断ずるしかない。先日は永六輔のラジオ番組にも招かれて永さんに請われて唄った。
その男をついに自宅にお招きして本格的ライブを企画した。しかも当人自らの希望で人気バイオリン女子みほこんも気合入れて共演する。マダムキラーのおじんとおっちゃん殺しのアイドルとの前代未聞の初顔合わせ。いったいどうなることやら想像するだけでわくわくだろう。
この企画は「さこ大介大全集」と名づけた。何しろさこさんには素晴らしい楽曲がアルバムになっていないものも含めて何百曲もあるという。彼があと何年お元気で音楽活動続けていけるか定かではないが、健康を祈りつつも彼の音楽ワークをそろそろきちんと定点観測的に記録していこうとも考えた。なので重複する曲も時にあっても基本的に彼のこれまでのワークス全楽曲を全て順次唄って頂く予定でいる。次回の開催はまだ未定だが不定期でも回を重ねて行けたらと。そのためにも多くの観客が求められる。
繰り返しになるが、騙されたと思って聴きに観に来てください。さこ大介、本当に素晴らしいです。こんな人と同時代に生きている幸せを貴方にも。
●無頼庵ライブ企画「さこ大介大全集」
・日時*2014年6月29日(日) 午後6時開場 6時15分開始 9時頃終演予定
・出演*さこ大介 (ボーカル&ギター) みほこん(バイオリン&ボーカル)
・参加費*¥2000.(ワンドリンク込み) さこ&みほこんを囲んでの懇親会費¥1000.
・会場*古本音楽ハウス無頼庵 問&申し込み マスダ 090-8175-8479
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