またトラックレンタルして山梨へ日帰りで行く2014年10月28日 03時19分46秒

★木枯らしの吹く早暁に古民家のことを          アクセスランキング: 76位

 秋は、秋からは浮浪者のままではいられない、というのは高田渡がうたにした山之口獏の「生活の柄」の一節だが、原詩はともかくもこう寒くなると思わずそのフレーズが口をついて出てくる。

 家のあちこち夏中開け放していた窓からは昨晩は冷たい強い秋風が吹きこんで寒くて仕方ない。確認したわけではないが、木枯らし一号ではないか。
 ずっと夏気分のままで、浮浪者ではないが夏の格好のまま薄着で過ごしていたら季節は移ってしまい寒くなった。で、さっそく鼻風邪ひいてクシャミが出たり鼻水垂らしている。喉も腰もまた鈍く痛い感じがしている。湯たんぽが恋しい。

 去っていく人のことやこれからのこと等様々な思いが次々と湧いてくる。先のことを考えると不安や急かされる思いに駆られるが、ともかくまず今できる、すべきことを少しでも進めていくしかない。他人のことをあれこれ考え思い案ずるよりもまず自分の務めを果たすだけだ。

 今日28日は、また笠間より友人である「社員」氏を招いて、レンタカーのトラックで、日帰りで山梨へ本を積み込み向こうへ運びに行く。
 先にもちょこっと書いたが、ウチの近くにずっと倉庫として借りている長屋に置いてある本や雑誌を山梨の古民家の物置に運ぶのだ。
 先だって今月17日にもやってトラックをレンタルしての作業は二回目となる。年内、2014年の内にその長屋を引き払い無駄な出費をなくそうと決意した我なりの経費削減、財政健全化計画なのだ。家計骨太の改革であり、今日やってみれば先が見えて来るかと思う。

 いまそこにあるのは即売り物にはならなかった、ほとんどがクズ本だろうし、もっと時間かけて分別すればかなり捨てられるはずだが、今はその細かい作業にかける時間がない。紐ほどいて一冊づつ確認などのんびりもたもたしているとすぐにまた来年になってしまう。ともかく右から左へ一気に運んで長屋を空にしていくしかない。
 本当は作年度、今年の春先までには終わらせる予定であった。が、老犬の介護とか老親のこととかあれこれ時間とられることが多くてそれは成らなかった。で、今強い決意で多少の出費かけても今後のことも考えて一日も早くと慌てているのである。

 前回の時は初めて借りるトラックでの作業であり、どのぐらい詰め込めるのか不安もあってやや余裕持って積み込んでしまった。そしたらあまり移動した成果が感じられず大いに不満であった。
 本当は今の季節、そろそろ紅葉も見盛りであろうし、のんびり一泊してまた山間の温泉にでも浸かっていたいのだが、トラックは当日返却と一泊とではレンタル代が当たり前だがずいぶん違う。向こうから運ぶものなどゴミ以外大してないのだから、泊まってのんびりするより作業終えれば即帰るにこしたことはない。

 11月は・・・その30日の大きいライブイベントがあるので、果たして本のほうの作業に時間かけられるかわからない。行けても一回あるかないかだと心している。ともかく今日やってみて、あと何回行けば空にできるか先が見えるはずだ。雪は今年早々の記録的豪雪のようには降らならないかと思うが、本格的に冬がやって来る前に、12月のうちにはがんばってこの移動作業を終わりにさせたい。
 正直なところ、今頭の中は、11月末日の阿佐ヶ谷でのライブイベントのことでいっぱいなのだが、やるべきはそれだけではなく、他のことも並行してやって自分の人生を軽くしていかねばならない。

 山梨の古民家の何部屋かは運んだ本でいっぱいになってしまうかもしれないが、おいおい冬の間泊まり込んでゆっくり分別作業に励みたい。夢は向こうにも薪ストーブを設置することで、今毎月支払っている長屋の店賃がなくなれば金も浮く。この冬は無理でも来年の秋には間に合うかと思う。
 向こうで一冬既に過ごしてみてわかったことはともかく寒い。やたらだだっ広い古民家であり山里なのだから当然だが、冬の暖房対策もそろそろ真剣に考えないと冬場の利用もできやしない。

 来年の夏こそ、古民家でサマーキャンプをやりたいと思う。そのためにも山梨のほうに時間と金もかけないとならない。ただの本の倉庫、物置にしてはならないと心している。


 ※追記:この日の作業は無事終わり、午後6時半には戻ることができて、レンタカーは余裕で返却できた。これで二回、借りたトラックで積み込みと移動の作業をしてみて、見えたというか、一応の今後の予想、予定も立ったと思える。
 あと三回、同様の作業を繰り返せば、借りている長屋の主屋だけはカラにできるかと目安がついた。来月中に一回、12月に二回できれば今年のうちに空にして大家に返せるのではないか。むろん、それとは別に自分の軽ワゴンでも運びつつ、向こうのスペースも作っていかないとならない。だが、何であれ、少しでも何かが片付きモノゴトが進んでいくことは良いことであり、それがやれることは有難い。

 本という文化の終焉、末日に立つ今、その残務処理に深く関わり耽溺している気持ちでいる。それもまた愚かしくも自分ならではことであろう。