甲州街道は~・続き2014年12月06日 23時53分45秒

★初めての道、知らない街並み、新しいことを         アクセスランキング: 85位

 ふとした縁で、山梨県北杜市江草の古民家と関わりを持ちようになって一年半が過ぎた。一番最初にその地、山里にあるその古い家を訪れたのは去年の5月の連休であった。以後、平均すれば月に二回程度だとしても今まで約30回は通っている計算になる。

 最初の頃は、行けばすべてが物珍しく新鮮で興奮の連続であったが、回を重ねてその地に慣れ親しみ詳しくもなっていくと、全てが既知のものと化して何事にも驚きも感動もしなくなってしまった。
 風景もその古民家も同様で、当初の感動と興奮は時と共に、回を重ねるごとに色褪せ失われていく。それは人生全てのことが同じであろう。
 新しいところ、見知らぬ土地に越してきたときは、全てが新鮮でエキサイティングだが、長くそこに住み、住み慣れるにつれ何事にも関心は薄れただの「日常」になっていく。それは場所だけでなくとりまく環境もまた同じことで、新しい学校や職場、いや人間関係でさえも同様に違いない。
 熱烈な恋愛で結ばれた夫婦であっても何十年も連れ添えばやがては愛も冷え関係もマンネリ化し双方がうんざりもし離婚に至ることすらあろう。
 つまり何事も喜びや感動も伴う最初の出会い=「非日常」が、時の経過と関係の深まりと比例して「日常」化していくと気持ちまでが麻痺、弛緩して当初の本質的な「価値」を失ってしまうのである。おそらく誰もがそうであろうと想像する。

 そして人が生きること=人生とはおうおうにしてそうしたことの繰り返しであり、だからこそ刺激が、ときたまの旅行とか、引っ越し、それすらもできなければ部屋の模様替えとか、衣装ダンスの整理とか大掃除とか、気分転換の外食とか、ともかくマンネリ化しうんざりした「日常」からの脱出をはかるしかない。
 その中で一番効果的なのは、一時的にでも日常から完全に離れることのできる旅行、それも言葉すらも全く違う環境へ長く身を置く海外旅行であり、国内なら遠方への長期旅行であろう。
 この我も、山梨のその古民家に憧れて、「別荘」としてその地に通うことが出来たらと望んだのは、今住んでいる家と生活から一時的に離れる場所、非日常を欲したからで、知らない地の知らない家に身を置くことはとてもなくエキサイティングかつ気分転換となるからであった。

 が、それが一年過ぎてしまうと、初めてだったことはじょじょに既知のことの繰り返しともなるし、つまるところ行くたびに全てが日常化してしまう。慣れるにつれ東京の家と山梨県北斗の家と場所は違えどそれぞれが日常となってしまうと、単なる移動でしかなくそこに何も喜びも目新しさも感動もなくなってしまった。
 むろんのこと山梨のその地は環境は素晴らしいし、行ってもほとんど誰一人合わず人間関係の煩わしさも何もないので気分転換や頭や心を落ち着かせることはできる。しかし当初あった、行くたびのわくわくするような気持ちや知らないが故のドキドキする不安さは消えてしまうと当初の「価値」すらなくなったようで当初の感激や興奮はどこに消えたのかと自ら訝しくさえ思うようであった。
 つまるところ、東京と山梨に二つ家があろうと、どちらも日常であるならばどっちに行ってもどちらにいたとしても気持ちはリフレッシュできないことになる。じっさい向こうにも本や雑誌を運び入れてしまったから行けば、まずは本の作業が待っているわけで、こっちと同じことが待っているだけだ。まあ向こうは家も環境も全てが広いから鬱屈することはまずないけれども。
 ぜいたくな悩みと言われようが、人には定期的に非日常が必要であり、日常に倦むときにこそ何か非日常的なことへ脱出をはかることができるかどうかが問われているのだ。

 今回、韮崎から高速道ではなく甲州街道という一般道路で帰ってきてその「非日常」にものすごく興奮し感動すら覚えた。
 八王子インターから向こうで下りる韮崎インターまで、ほぼ片道110キロ程度の走行距離があるわけだが、その間に当然ながらいくつもの地名を伴う町を通り過ぎている。が、高速道では、一般道とは隔絶された一方通行の専用レーンの中をただ走るだけでほとんど外の景色も見れないし降り口の地名は表示されるが、じっさいに降りない限りそこはどんな所かすらわからない。何回その道を通り過ぎようと馴染みとなったのは、いくつかのSAだけであり、そうした町々の地名だけは記憶に残っても八王子から韮崎への短時間での移動だけが目的でありその間にある街並みや各町村はいっさい無関係のままであった。

 そして今回初めてその距離をじっさいに甲州街道という昔ながら歴史ある街道で走ってみてようやく八王子インターと韮崎インターという点と点の間にあるものがわかってきた。
 韮崎からはすぐに甲府盆地に入るので、高速道路と変わらないほど広い道幅の幹線道路で快適にとばせるが、やがては勝沼を過ぎて笹子の山中に向かうにつれて昔ながらの狭い街道筋に変わるのも面白かったし何よりも走っていて高低がはっきりわかることが気持ち良かった。
 韮崎から八王子までの間は、基本下り坂であって、途中いったん新笹子トンネルまで上りとなりまたずっとひたすら下っていく。そしてまた高尾手前の小仏トンネル、甲州街道では大垂水峠を前に上りとなって過ぎれば高尾山麓へと降りていく。そうしたじっさいの高低さは、中央高速では、トンネルなどもあるので運転していてもリアルに感じられない。が、一般道は当然ながら地面を走っているので走っていると実によくわかる。上ったり下ったり自らの運転で山道を走ることこそ本当の運転であり、その町を、距離をしっかり走っているのだと今回つくづく得心した。
 昔ながらの茶屋に毛が生えたような古めかしいドライブインも残っていたし、トラックがすれ違えるかどうかほどの狭い街道でもそれぞれ町ごとの特色が見られて実に飽きなかった。

 結局のところ、昼前に韮崎を出たはずなのに、途中、石和でカレーバイキングで昼食をとったり、甲斐大和の道の駅で休憩したり、清酒笹一酒蔵の工場売店で買い物したりとあちこち寄り道したので、家に戻れたのはもう夕方4時半であった。が、いつもは知らない風景や、高速道から見下ろすだけの町並をじっさいに走ってみて本当に楽しく満足できた。
 考えてみれば、古本などの荷物満載して北斗市へ向かうときは高速を利用するしかないが、帰りは何も高速料金払って大急ぎで帰らなくてはならない理由はないのである。まして今回のように一人で時間もあるのならば高速代片道二千数百円を浮かして時間かかってものんびり甲州街道を散策しながら帰ってくれば良いではないか。
 趣ある古い街並みや面白そうな店、素晴らしい風景がまだこの街道には残っていた。高速道路を一気に走っているときには出会えない素晴らしい感動が旧街道にはいっぱい残っていた。
 しかも走行距離は実はこちらのほうが短いようなのである。高速は甲府盆地をやたら大回りしてかえって距離がかかっていたのだ。ガソリン代もさほど変わらない。基本下りばかりなのでゆっくり走っていてもガソリンは大して減らないのだ。時間がかかる以外良いことばかりであった。

 非日常は実は視点を変えればどこにでもあったしすぐそこにあったのだ。人生をうまく乗り切るには、こうして初めての道を、知らない街並みを走るような新しいことを常にみつけていくしかない。むろんそれもまたいつかは日常化していくであろう。しかし、視点一つ変えれば存外どこにでもこうして知らない新しいことが実はまだまだあるのではないか。人間関係一つとっても。

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