母のつとめ、親の役割 ― 2016年06月22日 23時29分52秒
★ある雨の日の母子の情景
今朝がた、小雨そぼ降る中、傘もささずに自転車で街を走っていたときのこと。
とある若い母親の少し後ろをまだ小さい男児、幼稚園児ぐらいか、が傘さしてとぼとぼと歩いていた。その距離は数メートル離れていて、最初は二人が親子一緒だと思わなかった。
母親は手元のスマホの画面を確認するのに一心である。後ろを歩いていた子供は、先をすたすた歩く母親に置いていかれぬよう歩いていたがしだいに距離ができたので、不安になったのだろう、つい泣き出しそうになり「ママ待ってえ~」と叫んだ。
が、母親は後ろを振り返ることもなく、「お前が遅いんだよ!」と怒鳴り返しスマホから目を離さない。子供は泣きながら必死に母の後姿を追って走っていった。
それは自転車で通りすがりの一瞬の出来事だ。が、その光景が今もずっと頭から離れない。いちばん忘れがたいのはその母の返した言葉、我が子に対して「お前が遅いんだよ!」という罵倒のような一言である。
今の母親、お母さんが皆そんなだとは思わない。しかし、その子にとってはこの母しかいないわけで、我が子を「お前」と呼びつけ、後ろを振り返ることもなくスタスタ先を歩く母に育てられた子はどう育つだろうかあれこれ考えてしまった。
たぶんこれはそれほど特別な驚くほどの光景ではないのかもしれない。こんな親子は今どきどこにでもいるのかもしれない。が、はっきり思えるのは、その子が大人になったとき、この母は子に縋っても逆に子に置いて行かれるであろう。間違いない。そうされても仕方のないことをこの母親はしている。
今、老いて病む母と暮らして、その介護に正直キレかかるときが多々あるけれど、我は母が大好きだ。何故なら、母から「お前!」とか呼ばれたこともそんな風に怒鳴られ叱られた記憶も一度もない。家事など何事もだらしのない人だとうんざり呆れもするが、子どもに対しては常に優しく、決して怒鳴りつけることなどなくいつも明るく朗らかで我を愛し心配してくれた。
だから、老い衰えどんな姿になろうとも今も母と一日でも長く共に暮らせることは至福の喜びである。マザコンと嗤われようと、母がいなくなってしまったらたぶん我は正気でいられるか、母なしで変わらず生きて行けるかまったく自信がない。それほど愛していると言えるのは、幼児の頃に、今朝の母子のような出来事は一度もなかったからだと思う。
常に我の手を引き、子の歩みに合わせて共に歩いてくれるのが母であった。それが当たり前であった。だから妹ができたときは今思うと母の愛が独占できず嫉妬で哀しくなったのだと気づく。
しかしその妹も大学の頃より家を出て、社会人になるとわりとすぐに結婚して他家に嫁いで他人になってしまったわけで、ときおり母の容体について話はするけれど妹と母の関係は我ほど深くないと思える。
何より親子というものを考えた時、同性の関係は愛は愛でも同胞愛に近しく、自らと同じ性だとそこに自己嫌悪的憎しみも加わり母とのそれのように無償かつ無垢のものにはなかなかならない気がする。
我は妻も子もない非道の者であり、人様のことはとやかく言う資格も権利もないが、どうか今朝のお母さんよ、歩きスマホに夢中にならずに、子の手を取り共に歩き話しかけてあげてほしいと心から願う。
そうした愛が、子を救いひいてはその母も家庭もさらにはこの人間社会さえも救っていく。子育ては大変なんだろう。しかし親になったらば最低限の努めは果たしてほしい。そして子はきっと愛には愛で報い返してくれるだろう。
すべてのことは、その分の見返りがある。愛を惜しんだ者はそのぶん愛されない。それだけは真実として我は語れる。
だからこそ人は人を、願わくば無償で愛さねばならないのである。この世には見返りを求める愛が溢れている。が、残念ながらそれは本当の愛ではない。
不肖の息子となったナザレのイエスは、その母マリアが会いに来たとき、あろうことかそれは我が母ではないと冷たく突き放した。しかし、磔刑の時、マリアは死に臨む子イエスのことを思い遠くから見守りにきた。子はその母を弟子ヨハネに託した。その心中こそが母の愛、子の愛なのである。
今朝がた、小雨そぼ降る中、傘もささずに自転車で街を走っていたときのこと。
とある若い母親の少し後ろをまだ小さい男児、幼稚園児ぐらいか、が傘さしてとぼとぼと歩いていた。その距離は数メートル離れていて、最初は二人が親子一緒だと思わなかった。
母親は手元のスマホの画面を確認するのに一心である。後ろを歩いていた子供は、先をすたすた歩く母親に置いていかれぬよう歩いていたがしだいに距離ができたので、不安になったのだろう、つい泣き出しそうになり「ママ待ってえ~」と叫んだ。
が、母親は後ろを振り返ることもなく、「お前が遅いんだよ!」と怒鳴り返しスマホから目を離さない。子供は泣きながら必死に母の後姿を追って走っていった。
それは自転車で通りすがりの一瞬の出来事だ。が、その光景が今もずっと頭から離れない。いちばん忘れがたいのはその母の返した言葉、我が子に対して「お前が遅いんだよ!」という罵倒のような一言である。
今の母親、お母さんが皆そんなだとは思わない。しかし、その子にとってはこの母しかいないわけで、我が子を「お前」と呼びつけ、後ろを振り返ることもなくスタスタ先を歩く母に育てられた子はどう育つだろうかあれこれ考えてしまった。
たぶんこれはそれほど特別な驚くほどの光景ではないのかもしれない。こんな親子は今どきどこにでもいるのかもしれない。が、はっきり思えるのは、その子が大人になったとき、この母は子に縋っても逆に子に置いて行かれるであろう。間違いない。そうされても仕方のないことをこの母親はしている。
今、老いて病む母と暮らして、その介護に正直キレかかるときが多々あるけれど、我は母が大好きだ。何故なら、母から「お前!」とか呼ばれたこともそんな風に怒鳴られ叱られた記憶も一度もない。家事など何事もだらしのない人だとうんざり呆れもするが、子どもに対しては常に優しく、決して怒鳴りつけることなどなくいつも明るく朗らかで我を愛し心配してくれた。
だから、老い衰えどんな姿になろうとも今も母と一日でも長く共に暮らせることは至福の喜びである。マザコンと嗤われようと、母がいなくなってしまったらたぶん我は正気でいられるか、母なしで変わらず生きて行けるかまったく自信がない。それほど愛していると言えるのは、幼児の頃に、今朝の母子のような出来事は一度もなかったからだと思う。
常に我の手を引き、子の歩みに合わせて共に歩いてくれるのが母であった。それが当たり前であった。だから妹ができたときは今思うと母の愛が独占できず嫉妬で哀しくなったのだと気づく。
しかしその妹も大学の頃より家を出て、社会人になるとわりとすぐに結婚して他家に嫁いで他人になってしまったわけで、ときおり母の容体について話はするけれど妹と母の関係は我ほど深くないと思える。
何より親子というものを考えた時、同性の関係は愛は愛でも同胞愛に近しく、自らと同じ性だとそこに自己嫌悪的憎しみも加わり母とのそれのように無償かつ無垢のものにはなかなかならない気がする。
我は妻も子もない非道の者であり、人様のことはとやかく言う資格も権利もないが、どうか今朝のお母さんよ、歩きスマホに夢中にならずに、子の手を取り共に歩き話しかけてあげてほしいと心から願う。
そうした愛が、子を救いひいてはその母も家庭もさらにはこの人間社会さえも救っていく。子育ては大変なんだろう。しかし親になったらば最低限の努めは果たしてほしい。そして子はきっと愛には愛で報い返してくれるだろう。
すべてのことは、その分の見返りがある。愛を惜しんだ者はそのぶん愛されない。それだけは真実として我は語れる。
だからこそ人は人を、願わくば無償で愛さねばならないのである。この世には見返りを求める愛が溢れている。が、残念ながらそれは本当の愛ではない。
不肖の息子となったナザレのイエスは、その母マリアが会いに来たとき、あろうことかそれは我が母ではないと冷たく突き放した。しかし、磔刑の時、マリアは死に臨む子イエスのことを思い遠くから見守りにきた。子はその母を弟子ヨハネに託した。その心中こそが母の愛、子の愛なのである。
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