これで一連の儀式は終わった。2016年10月30日 23時50分31秒

★ようやくこれで哀しみと思い出にひたれる

 本日午後、肌寒い曇り空だったが、町田にある父祖の眠る墓に、母の遺骨も収めてきた。これで葬儀関連の行事は一通り終わった。たぶん三回忌とかは今はやらないつもりなので、父がいつまで健在でいるかはさておき、こうした親戚縁者を巻き込んでの儀礼は当分の間ないと思える。
 さすがに今日は哀しみ泣くこともなく、帰り道、納骨が終わってほっとした安堵の気持ちと無事に成し終えたという満足感にただ満たされた。正直、今日のことは葬式当日に匹敵するプレッシャーがあり、行きは気分も重かった。

 先日の四十九日を終え母の死から間もなく二か月近くとなる。香典返しの手配も済ましたし、後は喪中のお知らせハガキを我は主に友人知人に向けて出すだけだ。むろんまだいくつか保険や預金関連での名義変更や申請、相続の面倒な手続きが残っているが、親戚や「世間」一般に向けての欠かせない儀礼的作業はこれでほぼもう終わった。
 正直、実に大変だった。何度も繰り返して書いてるが、人が死ぬと言うことはこんなに大変かつ面倒な事態を引き起こすとは、まさに想定外であった。予想もつかなかった。種々の手続き他、実にやるべきことがものすごくあった。そしてそれを喪主である父、呆け老人は何も頼りにできないため妹とはかって時間はかかったけれど何とか成し終えた。

 ともかくやっとここまで来た。もう心底疲れ果てた。母が生きていた時もかなり大変で日々苦しかったが、それでも母を一日でも長く生かすためだったから、その辛さには意味も価値もあった。やりがいがあり生きがいにも成りえた。
 母の死後の大変さは単なる残務処理でしかなく、哀しみと後悔の念を抱えてそれに追われるのはまさに悲憤、ただただ情けなくてまさに地獄であった。母が生きていたならともかく、母が死んだ心労に追い打ち掛けて実に面倒な、やらねばならない事が次々起きては山積し我は疲弊するばかりであった。こんなに毎日酒を呑んだ日々はこれまでなかった。アルコールで感情を鈍化させないことには眠れなかった。
 これからようやく我がことに向き合えて、我が人生を再びやっていくわけだが、その不安や悩みよりも、今はこれでやっとゆっくり母の思い出と哀しみにひたれるという喜びがわいてきている。
 これまであまりに忙しすぎて、日々やるべきことが多すぎて、母と過ごした最後の日々のことをゆっくり思い出し反芻することすらできなかった。少しでも思い出すとすぐに感情の堰が決壊し、悲嘆の涙ですべてが覆い尽くされてしまった。
 これでようやく落ち着いて静かにじっくりと母のことを思い出しノートに記録していこうと思う。

 まだまだ時間があると思っていたし、いつも側にいたけれど状態が悪化してからは、一日一日をやり過ごすだけで手いっぱいで何一つ母に、母と共にやりたかったことは何もできなかった。まさに成す術もなく母を奪われた、であった。
 死とはこうした強制的、強圧的、静かだが暴力的なものなのだと思い知らされた。
 今も気持ちとしては悔恨と憤怒がせめぎ合い、それを哀しみの湖、涙の海が満たしている。ただそこから、母の死を通して得たこと、学んだことも多々あった。ならば母の死は決して無意味ではないと思いたい。

 これから、思い出と哀しみに浸りながら少しづつ我が人生を再建していく。まずはご連絡頂いたのに何の返事もできずに疎遠になってしまった友人知人の方々一人一人にお詫びの連絡をとっていくことからだ。
 多くの人たちに励まされ救われた。いろいろご心配おかけしてしまった。これからは恩返ししていく。誰にとっても善き隣人でありたいと我も願う。

 今さらだが誠実に生きたいと思っている。ともかくこれで本当に一段落となった。ここまで何とか無事乗り越えられた。本当に有難いことだろう。
 感謝の気持ちは行動で示さないと伝わらない。