昭和は遠くなりにけり、と思ったこと ― 2017年11月27日 21時05分33秒
★今の人は「ディランⅡ」も知らないのか
明治は遠くになりにけり、と俳句に詠んだのは中村草田男であったか。
先だって、谷保のかけこみ亭でコンサートの企画進行を担当して、あの「ディランⅡ」の、ながいようさんをお招きした。
我にとって、好きなバンド、ユニット、フォークグループは多々あれども、ディランⅡ(でぃらん・せかんど)は特別で、個人的には、リードボーカルの大塚まさじ氏のアクの強い歌い方は好きではないが、彼らの残されたアルバムはもう棺桶に入れてもらいたいと願うほど大大好きで、中でもセカンドアルバムは、どれほど聴きこんだかわからない。
当時は気がつかなかったが、その独特の静謐なサウンドは、つまるところながいようさんのギターワーク、存在によるところが大きく、若き日に我は彼のギタープレイに心酔した。
今も昔も我の内のフォーク界三大ギタリストは、イサトさん、有山、そしてながいようであることは変わりない。そんな憧れの人と近年有難くも懇意になれてついに今回は、手がけた企画に賛意を示されわざわざ沖縄から来られ参加して頂いたのだから、もう天にも上る心持であった。
生のライブ、眼前で観たながいようさんは、やはり素晴らしい独特のオーラをしっかり放っていた。終わった今も彼がうたってくれたディランⅡ時代の楽曲が、なおもずっと我が脳内で流れ続けている。改めてほんとうに心にしみる良い曲を彼らは生み出し唄っていたのだなあと感心している。
と、そのコンサートの当日、ようさんが、ステージで1曲唄い終わって、ディランⅡ時代の曲です、と話したとき、前のほうにいた若い観客が、ディランⅡ?!と不審な反応を返していたので、我は、あえて説明にしゃしゃり出て、「昔、大阪の難波に「ディラン」という喫茶店があり、そこでながいさんたち音楽好きの若者が集まって、そういうバンドが出来たこと」をお話した。※といっても我は東京人なので、「ぐゎらん堂」には入り浸っていたが、じっさいに大阪のその店は子供過ぎて行ったことも見たこともない。あくまでも人から聞いたり、ものの本や雑誌で読んで知っただけでしかない。
今そのことを思い返して、そうか、今の人はもうディランⅡ自体も、そもそも伝説の「ディラン」という店も、西岡恭蔵さんらの「オリジナル・ザ・ディラン」などもまったく知らないのだなあと思い至った。
その観客だって十代のほんとうの若者ではない。たぶん三十代ではなかろうか。かけこみ亭に来てこのライブに参加してくれたからには多少はこうした音楽にも関心や知識もあるはずなのに・・・。
草田男がその句「降る雪や 明治は遠く なりにけり」を詠んだのは調べてみると昭和6年だそうだが、平成ももうすぐ30年、おそらく今の人には、昭和、それも戦前の昭和ではなく、戦後の昭和でさえも、自らの生まれるずっと以前の、大昔のうんと過去のことなのだなあ、と今さらながら気づかされた。
70年代だって、考えればもう半世紀近く経つのである。中川五郎氏が人前でのうたい始めてデビュー50年過ぎたのだから、もうディランⅡどころか関西フォークムーブメントも、彼らを世に出したURCレコードも歴史的事件の域なのだ。
ならば今の人たちが知らないのが当たり前であり、我ら中高年、壮年、老年の老いぼれ世代はリアルにその時代を生き知り、当たり前のように記憶にとどめていても、それを前提に、「常識」として語ってはならないのだと気づかされた。
今の人たちを招き、彼らを前にしてこうしたシンガーを紹介するのならば、何よりそうした歴史的前提から話さなければならなかったのである。
自分が知っている、わかっているからそれが誰もが同様に知っていて当たり前だと考えてはならない。特に今の人たちを前にするのならば、まずそうした点に配慮して、当時はどういう時代であったのか、そしてどういう動きがあったのか、から話して説明していかねばならなかったのだ。
まあ、そうは言ってもいつの時代も後追いで、昔に関心を抱き、新たに知識を蓄えていく感心な若い人たちも常にいる。
今回出てもらった青梅から来た女性シンガー水野美里はまだ二十代なのに、有難いことに日本のフォークシーンにもとても詳しく、当時の楽曲を自ら唄い、吉祥寺にあった、ライブ喫茶店「ぐゎらん堂」に深い憧れを抱いている。そう、彼女が生まれた頃にはとうになくなってしまった店なのに。
我の周りには当然のように、老いも若きもそうした昔のこと、昭和のことを知っている人たちばかりが集まる。が、それが当たり前だという前提で動いてしまうと結局、知ってる、わかっている人たちだけしか集まらない。それではいけなかったのだ。そう、それは反戦平和や護憲のことも同様に。
残念だが、昭和は遠くになってしまった。やがては昭和生まれの人が少なくなってくるのだろう。国民の大方が平成生まれ、21世紀人ばかりの時代もそう遠くはない。
ならばこそ、戦前の昭和はともかくも、「戦後」とはどういう時代であったのか、戦後生まれの団塊の世代の若者たちが当時何を思い、どう生きていたのか、それこそ今の人たちに語り継がねばならないのではないのか。
「歴史」とは、歴史的事件だけで成り立つものではない。そこに当時生きていた人たちの人生そのものこそが歴史であるはずなのだから。
「うた」とはそうした生きた「歴史」そのものでもあるのだ。
明治は遠くになりにけり、と俳句に詠んだのは中村草田男であったか。
先だって、谷保のかけこみ亭でコンサートの企画進行を担当して、あの「ディランⅡ」の、ながいようさんをお招きした。
我にとって、好きなバンド、ユニット、フォークグループは多々あれども、ディランⅡ(でぃらん・せかんど)は特別で、個人的には、リードボーカルの大塚まさじ氏のアクの強い歌い方は好きではないが、彼らの残されたアルバムはもう棺桶に入れてもらいたいと願うほど大大好きで、中でもセカンドアルバムは、どれほど聴きこんだかわからない。
当時は気がつかなかったが、その独特の静謐なサウンドは、つまるところながいようさんのギターワーク、存在によるところが大きく、若き日に我は彼のギタープレイに心酔した。
今も昔も我の内のフォーク界三大ギタリストは、イサトさん、有山、そしてながいようであることは変わりない。そんな憧れの人と近年有難くも懇意になれてついに今回は、手がけた企画に賛意を示されわざわざ沖縄から来られ参加して頂いたのだから、もう天にも上る心持であった。
生のライブ、眼前で観たながいようさんは、やはり素晴らしい独特のオーラをしっかり放っていた。終わった今も彼がうたってくれたディランⅡ時代の楽曲が、なおもずっと我が脳内で流れ続けている。改めてほんとうに心にしみる良い曲を彼らは生み出し唄っていたのだなあと感心している。
と、そのコンサートの当日、ようさんが、ステージで1曲唄い終わって、ディランⅡ時代の曲です、と話したとき、前のほうにいた若い観客が、ディランⅡ?!と不審な反応を返していたので、我は、あえて説明にしゃしゃり出て、「昔、大阪の難波に「ディラン」という喫茶店があり、そこでながいさんたち音楽好きの若者が集まって、そういうバンドが出来たこと」をお話した。※といっても我は東京人なので、「ぐゎらん堂」には入り浸っていたが、じっさいに大阪のその店は子供過ぎて行ったことも見たこともない。あくまでも人から聞いたり、ものの本や雑誌で読んで知っただけでしかない。
今そのことを思い返して、そうか、今の人はもうディランⅡ自体も、そもそも伝説の「ディラン」という店も、西岡恭蔵さんらの「オリジナル・ザ・ディラン」などもまったく知らないのだなあと思い至った。
その観客だって十代のほんとうの若者ではない。たぶん三十代ではなかろうか。かけこみ亭に来てこのライブに参加してくれたからには多少はこうした音楽にも関心や知識もあるはずなのに・・・。
草田男がその句「降る雪や 明治は遠く なりにけり」を詠んだのは調べてみると昭和6年だそうだが、平成ももうすぐ30年、おそらく今の人には、昭和、それも戦前の昭和ではなく、戦後の昭和でさえも、自らの生まれるずっと以前の、大昔のうんと過去のことなのだなあ、と今さらながら気づかされた。
70年代だって、考えればもう半世紀近く経つのである。中川五郎氏が人前でのうたい始めてデビュー50年過ぎたのだから、もうディランⅡどころか関西フォークムーブメントも、彼らを世に出したURCレコードも歴史的事件の域なのだ。
ならば今の人たちが知らないのが当たり前であり、我ら中高年、壮年、老年の老いぼれ世代はリアルにその時代を生き知り、当たり前のように記憶にとどめていても、それを前提に、「常識」として語ってはならないのだと気づかされた。
今の人たちを招き、彼らを前にしてこうしたシンガーを紹介するのならば、何よりそうした歴史的前提から話さなければならなかったのである。
自分が知っている、わかっているからそれが誰もが同様に知っていて当たり前だと考えてはならない。特に今の人たちを前にするのならば、まずそうした点に配慮して、当時はどういう時代であったのか、そしてどういう動きがあったのか、から話して説明していかねばならなかったのだ。
まあ、そうは言ってもいつの時代も後追いで、昔に関心を抱き、新たに知識を蓄えていく感心な若い人たちも常にいる。
今回出てもらった青梅から来た女性シンガー水野美里はまだ二十代なのに、有難いことに日本のフォークシーンにもとても詳しく、当時の楽曲を自ら唄い、吉祥寺にあった、ライブ喫茶店「ぐゎらん堂」に深い憧れを抱いている。そう、彼女が生まれた頃にはとうになくなってしまった店なのに。
我の周りには当然のように、老いも若きもそうした昔のこと、昭和のことを知っている人たちばかりが集まる。が、それが当たり前だという前提で動いてしまうと結局、知ってる、わかっている人たちだけしか集まらない。それではいけなかったのだ。そう、それは反戦平和や護憲のことも同様に。
残念だが、昭和は遠くになってしまった。やがては昭和生まれの人が少なくなってくるのだろう。国民の大方が平成生まれ、21世紀人ばかりの時代もそう遠くはない。
ならばこそ、戦前の昭和はともかくも、「戦後」とはどういう時代であったのか、戦後生まれの団塊の世代の若者たちが当時何を思い、どう生きていたのか、それこそ今の人たちに語り継がねばならないのではないのか。
「歴史」とは、歴史的事件だけで成り立つものではない。そこに当時生きていた人たちの人生そのものこそが歴史であるはずなのだから。
「うた」とはそうした生きた「歴史」そのものでもあるのだ。

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