人生がようやく動き出した、少しづつだけどね2017年11月30日 22時39分49秒

★11月の終わりに思う。

 年とると時間の経つのが早くなるものだが、今月こそまさにあっという間に一か月が過ぎてしまった。これほど早く一月が終わったことはない。
 気がつくといつの間にか毎週末になっている。父をショートでのお泊りに送り出し、少しだけほっとしたと思ったら週明けには迎え入れ、一日おいてまた一泊二日で別施設に送り出し、また翌日夕方迎える。金曜は訪看さんが来るので朝から掃除に追われ、そして土曜日また父を送り出す。
 そんな風に父を中心に我家は、いや、我の生活は動いていく。父が不在の間は、送り出したその日だけは夜まで終日まったくの自由が得られる。かといって、父が汚したシーツや下着類の洗濯したり、今の季節は庭の落葉掃きに追われたり、夕方には疲れが出て昼寝したりと、のんびりできるどころか、父がいないからこそ溜まった家事に追われる。
 特に今月は、23日に、かけこみ亭での前々から企画していた大きいコンサートもあったので、その準備や連絡もあって、ともかく慌ただしく、それでさらにあっという間に過ぎた一か月だったのだ。
 そして今年も残すはラスト12月の一月だけとなった。今年もこれで、こんな風にして終わってしまう。村上春樹的に言うならば、やれやれ、である。

 こんな風に過ぎてゆくのなら、と、浅川マキの物憂い歌声が、このところ頭の中をふと流れる時もあるけれど、今夜程淋しい夜はない、という気持ちには今はならない。
 先だっても書いたが、逆にようやくほんの少しづつだけど、幸いにして我が人生もやっと動き出してきたという感がしてきている。

 それは、一つにこの秋は幸いにして父の体調が安定していること。急な発熱などがなく、介護施設に送り出せば、変調期すことなくその間は向うに任せきれることが大きい。以前は父を送り出してもいつまた携帯が鳴り、父が吐いたり熱出したから迎えに来いという連絡があるかと不安で落ち着かない気持ちがあったが、このところそれは消えた。
 ようやく腰を据えてまず家のこと、そして自分のことに向き合えるようになってきたのだ。
 そして母の死から一年が過ぎ、本当にようやくその現実、つまり母のいない我家、父と我の二人だけの生活スタイルが馴染み、習慣化してきたことも大きい。
 一年以上過ぎて、今さらながら母の最期の頃のもの一切、薬や衣類、書類などそのままにしてあったものに今さらながら向き合えるようになってきた。いなくなった子猫たちや老犬の残したものも。むろんその都度また母や犬猫たちが生きていたあの頃を思い出しては哀しみの涙にくれることもままあるけれど。

 母が生きていた頃、母との日々が次第に遠くへ過ぎ去ってしまうのは何とも悲しい、辛い気もしているが、思い出にひたるよりも今は父との生活こそ第一であり、いつまで続くかわからないからこそ父との毎日を大切にしてやっていかねばならない。
 当初は、もう特養にすぐさま入れてしまおうと、呆けて弱って来た父のあまりに手のかかる面倒さにねを上げたこともあったが、今はショートで週に何日も施設でお泊りしてくれているので、我の負担はだいぶ軽減された。ただ逆に利用料がかさみ、今は金の工面に日々頭をいためる羽目とはなったが。そう、ともかく金がない。

 女友だちから誘われ、彼女が出るライブに行きたいと考えはしたが、そのチャージが2500円、その他ドリンク代は別で、都心までの交通費も加味すれば、最低でも4千円~5千円は、一回のライブで消えてしまう。 それが世間の普通なわけだが、かけこみ亭で我らがやっている共謀コンサートなどは、観客の自主申告である「投げ銭」制で、あれだけの豪華かつ素晴らしいミュージシャンがたっぷりみられるのだから実に「良心的」だと思えて来る。まあ、それで出演者側にはギャラは時間均等割りなので少額となってしまうわけだからゆゆしきことかもしれないが。

 さておき、そんなで来月15日の父の年金支給日までは、我家は食費も控える緊縮財政なので、我はもう外出どころか買い物すら自由にできない。ただ、もうどうしても出かけなくてはならぬ用事や人と会う約束も年内はないので、父の世話だけすれば後は我が事に専念できる。今はそのことが喜びだ。
 そう、ようやく母の死から一年以上過ぎて、人生がまた動き始めた気がする。そして今そのことで、久しぶりに心は平安に、落ち着いた心持でいる。良い意味で、もうすべてどうでもいいという気持ちでいる。

 ただ、この平安は、冬を前にした小春日和のようなもので、束の間のものだと言う覚悟をせねばと思う。父が今、幸いにして元気で体調が安定しているからそんな気分にもなれるわけで、いつまた肺炎や転倒、骨折などて入院してしまうかわからない。そしてそのまますぐさま逝くことも父の歳からすれば当然のこととして覚悟しておかねばならない。
 そうなればまた煩雑かつ面倒極まりない「死後の後始末」に追われて、また半年から一年も我は何も手つかずの状態となろう。

 しかしそんな束の間、ひと時の平安でも本当に有難い。少しづつだけど、少しだけようやく動きはじめた我が人生の歩みをこのまま維持していきたいと願う。
 父はまだ生きている。その老いた父と共に還暦の我はまた新たな人生を来年こそ生き直したい。ようやく「自由」とは何か、届きはしないが、見えて来た気がしている。
 健康に留意してあと10年は何とか動けるようがんばっていきたい。すべてきっとできる、思いはかなうと信じて。