また新しい春を迎えて2018年03月10日 05時50分53秒

一昨年の春のひととき。猫のキャラコは、その秋、事故死、犬のブラ彦も昨春死んだ。
★過ぎた昔はいつだって懐かしいが

 人はいつだって今を、その与えられた生を、そして残された生を、精いっぱいともかく生きていくしかないわけだが、過ぎた昔が恋しく思うことがこのところよくある。

 特に夢の中で、亡き母も犬たちも出てきて家族皆でどこか旅行先に行っている楽しい夢を見て、目覚めたときなど、寝床の中で、ああ、もうそんな日々、あの頃は二度と戻らないのだと思い至り、深い感慨に襲われることが多い。
 泣くこともあるが、それよりも母もかつて共に過ごした犬たちもいない、身動きの取れない「今」という辛い「現実」にはたと気づき、絶望的な気分に襲われる。過ぎた昔がほんとうに良かったのか楽しかったのか、そのときはそう思っていたのかはわからない。
 その頃もそうした「現実」にうんざりしていたような記憶もあるけれど、ともかく昔は、皆自由に動けて今よりははるかに何でもできた。少なくとも年に一度は家族皆でマイカーで、犬も連れて海や山へ旅行に出れた。
 今のように介護保険代、その施設利用料などで金が吹き飛ぶことなどなかったから、父母の年金だけで十分事足りて我が家ははるかに裕福であった。
 そういう日々、我家のそうした時代が懐かしいと思うのは、もう今はそのすべてが戻らないからだろう。特に死んでしまった者たちは二度と帰らない。

 去年の春三月、梅花の頃は老い衰えてもまだこの世にいた黒い老犬ブラ彦も既にいない。骸は庭先の冷たい土の下に埋まっている。その上には一本の小さな枇杷の木が植わっている。
 父は老いぼれてもまだこの世にいるが、もう自力ではほとんど歩けなくなり、ときに今日の日時さえもわからなくなり繰り返し我に問い大声上げて騒ぐこともままある。もう何もわからなくなってしまったのだ。

 先日、父に留守番を頼み、我は立川の歯医者に行き、夕刻大慌てで戻ってきたら、父はコタツでうとうと居眠りしていて、「今帰ったよ」と起こしたら、父は寝ぼけていたこともあるが、真顔で「おっかさんは?どこ、帰って来た?」と問われて返答に窮した。呆けた父の中では、我が母、彼の妻が死んでしまったこともわからなくなってしまい、まだ「あの頃」のままなのであった。
 父の問いに窮して、「何をバカなことを・・・」と口ごもりつつ涙が溢れ出てきていたたまれなくなり、犬たちを連れ慌てて夕方の散歩に出た。涙を堪えながら顔をくしゃくしゃにして犬連れて歩く初老の男を見て道行く人は不審に思っただろうがそんなことはもうどうでもよかった。
 これが「現実」。それでも父も逝き、そのすべてが過去になれば、父がいた「あの頃」が懐かしく良かったと思えるのであろうか。

 つまるところ人生とは、人が生きていくとは、こうして失っていくことに尽きるのだと気づく。かつて持っていた幸福な日々も、時間も物も何もかも失って、最後はこの肉体、身一つすら失って何も無くなってすべてが終わる。
 考えてみれば、自分も無から生まれ、身一つでこの世に出て来たのだった。だから生々流転、また元の無に戻るのは必然であった。
 ただ人間だからそこに哀しみが伴う。失うこと、別れ離れることの痛苦が残る。だが、それこそが生きていくことの本質なのだから、堪え受け容れていくしかない。
 そのうえでこの辛い現実、どうしようもない人生を少しでも良くなるよう、その中で喜びを見出し楽しみ、味わい、少しでも良いものにしていかねばならない。

 過去は戻らない。過ぎた日々は帰らない。辛い現実だけは確実に目の前に横たわっている。それをどう乗り越えていくか。
 山城ヒロジさんが言っていたように、辛く大変だからこそ楽しく面白がってやっていかねば何だって続かないのだと思う。
 惜別の哀しみは哀しみとして、ことさらに嘆くことなく、いま在るもの、まだ世にある者たちを大事にし慈しみ生きていく。そう、それしかない。それが人生というものなのだと。