持続可能な人生を生きていくために ― 2021年04月18日 08時52分22秒
★老いには老いの憂いあり
昨日17日、土曜日は、雨が朝から断続的に終日降り続き、特に夜になってからは夜半までかなり強くたっぷり降った。
今、日曜の朝は、雨も上がり強い陽射しが出て濡れた街並みを照らしている。空は雲ひとつなく降り続いた雨ですべてが綺麗に洗い流された感がある。
ひんやりしているが晴れて雨後の瑞々しい気持ちの良い朝だ。開けた窓からは爽やかな風が吹き込んでくる。
昨日は、日中も雨の音を聴きながらひたすら眠り続け、昨夜も夜中まで起きることなくたっぷり眠ったのでやっと頭も気持ちもようやくスッキリした。
16日のかけこみ亭のイベントに次回の「共謀コンサート」のチラシを持っていくため、木曜から作成に取り掛かってたのだが、父も施設から帰宅し在宅だったことと、金曜の昼過ぎには訪問介護があったり、ともかく他のやらねばならぬことも多々あってともかく慌ただしかった。
いつもの金曜は、その父は、終日家に居てウチで一泊し、翌土曜の朝にまた介護施設に送り出すのだが、16日はその金曜の夜開催のイベントだったので、けっきょく施設に無理言って前倒しで夕方から父を預かってもらうことにした。
一泊多くの利用となるため、また利用料はかさむが仕方ない。父を一人で家に残しておくと何をしでかすかわからず、おちおちライブなど楽しめない。徘徊も火の元も猫たちのことも心配となる。
その夕方、父を車で施設に連れて行き、それから大慌てで荷物まとめて即急で印刷したばかりのチラシも持ってかけこみ亭に向かったのだった。
そのイベント、感想などは先に別項で書いたので割愛するが、数年ぶりにシバや村上律氏、のろの加藤さん他、敬愛する方々とお会いできお話もしほんとうに懐かしく嬉しかった。
お互いさまと言えば、この我もだが、皆またさらに以前より少し老いた感もあり、この先いつまた会えるかも定かではなく感慨深いものがあった。そう、60代、70代ともなると、皆さん元気そうに見えたとしても先のことは何もわからずまさに一期一会の思いが強くわいてくる。
そろそろ人生の終演の時期にさしかかり、残りの時間はあとどのくらいあるのか、誰もがその長さを勝手に予測、想定しながら、「その中」で何をどれだけ、どうすべきか手探りで模索している感がある。
若いときは、時間はたっぷりそこにあり、常にいつでも明日は来るし、人生はこの先も続いていくと「確信」もあるから、ある意味、先のコトは考えず、その日その時、思いのまま刹那的にも生きられる。
また、我はともかく誰もが人生設計のようなものも立てる。どう生きていくか、ということはまさに若き日の目的・主題であろう。
が、誰もが相応に老いて、還暦を越したあたりからは、主題は、どう生きるかではなく、どう死ぬか、どう死んで行くか、という自らの終末の有様に移っていく。
本当に日々刹那的、無計画に、まさに「アリとキリギリスの寓話」中のキリギリス的に生きてきたこの我でさえもこのところよくそのことを考えるようになった。
人生が二度あればとか、あの日に帰りたい、若い頃に戻りたいとかは考えても意味がない。
人生は一度きりで、イエスが説いたように「永遠の命」があるとしても、ともかくこの今皆と生きている人生、つまり現世はこれだけ、ここで終わりなのである。
世界はこの先もある意味、永遠に続いていくが、死んでしまえば死んだ人はそこで終わりで、百年もすれば同時代的な人たちも皆すべて死に絶えて、何もかも消えてなくなり、そこにそんな人たちが生きていたことすら誰一人知る人はない。
古代ローマの遺跡は今も残って、当時の人たちの暮らしは窺い知れるが、そのときそこには実際どんな人が生きていたのかその個々の姿はもはや誰もわからない。
断捨離とか考える以前に、我は、自らの人生の「店じまい」について、さてどうしていくべきかさすがにこのところ考えるようになった。
妻や子、子孫がいる方は、幸運、幸福なのである。自らにある日突然不測の事態が起きたとしても、彼ら家族が対応してくれて事後処理もしてくれよう。
死後に家族を煩わせたくないとかよく聞くが、その家族をつくり養い守り育ててきたのだから、彼らはその恩に報いるためにもそれは当然なのである。それを拒み厭う者は恩知らずの人でなしであろう。
我にはそれらはいない。今も昔も一人者だから。そして今さらながら結婚したいとか老後のパートナーが欲しいなんて気持ちもさらさらない。
とことん自分勝手に生きてきたのだから、一人のほうが今も昔も心地がいい。我にとって人生とは=生活であり、生活とは自分だけのものだ。むろん友達や気の合う仲間は求めるし、多いに越したことはないのは当然だが。
父を看取った後、ではどう生きていくのか、いや、どう死んで行くか、真剣に考えるときが来ている。
ただ、まずは、そのためにもそのときまで、いかにこのどうしようもない人生を「持続可能」なものにしていくかだ。
昨日17日、土曜日は、雨が朝から断続的に終日降り続き、特に夜になってからは夜半までかなり強くたっぷり降った。
今、日曜の朝は、雨も上がり強い陽射しが出て濡れた街並みを照らしている。空は雲ひとつなく降り続いた雨ですべてが綺麗に洗い流された感がある。
ひんやりしているが晴れて雨後の瑞々しい気持ちの良い朝だ。開けた窓からは爽やかな風が吹き込んでくる。
昨日は、日中も雨の音を聴きながらひたすら眠り続け、昨夜も夜中まで起きることなくたっぷり眠ったのでやっと頭も気持ちもようやくスッキリした。
16日のかけこみ亭のイベントに次回の「共謀コンサート」のチラシを持っていくため、木曜から作成に取り掛かってたのだが、父も施設から帰宅し在宅だったことと、金曜の昼過ぎには訪問介護があったり、ともかく他のやらねばならぬことも多々あってともかく慌ただしかった。
いつもの金曜は、その父は、終日家に居てウチで一泊し、翌土曜の朝にまた介護施設に送り出すのだが、16日はその金曜の夜開催のイベントだったので、けっきょく施設に無理言って前倒しで夕方から父を預かってもらうことにした。
一泊多くの利用となるため、また利用料はかさむが仕方ない。父を一人で家に残しておくと何をしでかすかわからず、おちおちライブなど楽しめない。徘徊も火の元も猫たちのことも心配となる。
その夕方、父を車で施設に連れて行き、それから大慌てで荷物まとめて即急で印刷したばかりのチラシも持ってかけこみ亭に向かったのだった。
そのイベント、感想などは先に別項で書いたので割愛するが、数年ぶりにシバや村上律氏、のろの加藤さん他、敬愛する方々とお会いできお話もしほんとうに懐かしく嬉しかった。
お互いさまと言えば、この我もだが、皆またさらに以前より少し老いた感もあり、この先いつまた会えるかも定かではなく感慨深いものがあった。そう、60代、70代ともなると、皆さん元気そうに見えたとしても先のことは何もわからずまさに一期一会の思いが強くわいてくる。
そろそろ人生の終演の時期にさしかかり、残りの時間はあとどのくらいあるのか、誰もがその長さを勝手に予測、想定しながら、「その中」で何をどれだけ、どうすべきか手探りで模索している感がある。
若いときは、時間はたっぷりそこにあり、常にいつでも明日は来るし、人生はこの先も続いていくと「確信」もあるから、ある意味、先のコトは考えず、その日その時、思いのまま刹那的にも生きられる。
また、我はともかく誰もが人生設計のようなものも立てる。どう生きていくか、ということはまさに若き日の目的・主題であろう。
が、誰もが相応に老いて、還暦を越したあたりからは、主題は、どう生きるかではなく、どう死ぬか、どう死んで行くか、という自らの終末の有様に移っていく。
本当に日々刹那的、無計画に、まさに「アリとキリギリスの寓話」中のキリギリス的に生きてきたこの我でさえもこのところよくそのことを考えるようになった。
人生が二度あればとか、あの日に帰りたい、若い頃に戻りたいとかは考えても意味がない。
人生は一度きりで、イエスが説いたように「永遠の命」があるとしても、ともかくこの今皆と生きている人生、つまり現世はこれだけ、ここで終わりなのである。
世界はこの先もある意味、永遠に続いていくが、死んでしまえば死んだ人はそこで終わりで、百年もすれば同時代的な人たちも皆すべて死に絶えて、何もかも消えてなくなり、そこにそんな人たちが生きていたことすら誰一人知る人はない。
古代ローマの遺跡は今も残って、当時の人たちの暮らしは窺い知れるが、そのときそこには実際どんな人が生きていたのかその個々の姿はもはや誰もわからない。
断捨離とか考える以前に、我は、自らの人生の「店じまい」について、さてどうしていくべきかさすがにこのところ考えるようになった。
妻や子、子孫がいる方は、幸運、幸福なのである。自らにある日突然不測の事態が起きたとしても、彼ら家族が対応してくれて事後処理もしてくれよう。
死後に家族を煩わせたくないとかよく聞くが、その家族をつくり養い守り育ててきたのだから、彼らはその恩に報いるためにもそれは当然なのである。それを拒み厭う者は恩知らずの人でなしであろう。
我にはそれらはいない。今も昔も一人者だから。そして今さらながら結婚したいとか老後のパートナーが欲しいなんて気持ちもさらさらない。
とことん自分勝手に生きてきたのだから、一人のほうが今も昔も心地がいい。我にとって人生とは=生活であり、生活とは自分だけのものだ。むろん友達や気の合う仲間は求めるし、多いに越したことはないのは当然だが。
父を看取った後、ではどう生きていくのか、いや、どう死んで行くか、真剣に考えるときが来ている。
ただ、まずは、そのためにもそのときまで、いかにこのどうしようもない人生を「持続可能」なものにしていくかだ。
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