終わり、始まり、そして続けていくこと2022年06月02日 11時24分20秒

★6月に入りました。
 
 今年も前半最後の月となった。季節の移ろい、月日の早さにただ驚かされる。
 このペースでいけば、夏が来、秋となり、また冬が訪れ、今年もあっという間に終わってしまうことだろう。
 それもまた仕方ない気もするが、だからこそ、そのときどき、今できる、すべきことをどれだけやっていけるか、だろう。
 今思うことを少し。終わり、と始まり、についてだ。

 言うまでもないが、すべてのことには「終わり」がある。つまり、生成、始まったことは、どんなに長く続いたとしても最後のときが必ず来るということだ。
 人の一生がまずそうであろう。
 何もないところからこの世に生まれ出で、その年月は人それぞれだが、間違いなく確実に誰もが死ぬ、一生の終わりのときを迎える。
 どれほどの長寿だとしても死ななかった人は一人もいないし、始まったことは、いつか必ずそのように終末のときがくる。
 一個人のみならず全ての生き物も無機物も、この地球そのもの、太陽系、銀河系さのものさえも、いつの日か「終わり」のときがくる。
 ただ、思うに、終わりということは、また「始まり」とほぼ同義でもあり、常にまたそこから新たな「始まり」を孕んでいるいるともいえるかと思う。

 我はよく思うのだが、始めるとの終わらせらるのとどちらがタイヘンか、カンタンかと脳内でよく比べてみる。
 たいがいのことは、始めることは大変だが、終わらせることは存外カンタンではないかと思える。
 たとえば、商売としてある店、客相手の飲食店を考えてみる。
 たいていの場合、常連客が付くまでがかなり大変で年月もかかったという話をよく聞く。昔、故中山ラビさんからも、この店、ほんやら洞を始めて5年間?(※詳しいことは失念した)、ずっと赤字だった:けど、ようやくこの何年かやっと黒字になってきた、と話していたのを、ずいぶん昔、カウンター越しに聞いたのを思い出す。
 しかし、店自体を終わらせるのは、それぞれ様々な事情があるとしても存外カンタンで、内部の後始末はともかくも対外的には、店のシャッターに客に向けて「閉店のお知らせ」を告知する紙を貼ればよいだけのことで、済むのではないだろうか。店を始めるときのタイヘンさを思えばごくごく簡単なことだ。

 では、逆に、始めるのと終わらせるのを比べたとき、どちらも大変なのは、仮に「恋愛」だとして、それはさておくとして、始めるのは簡単で、終わらせるのは大変なものはいったい何だろうか。そんなものは あるのだろうか?
 拙ブログの読み手ならばお分かりだと思うが、それはたぶん唯一、「戦争」ではないか。

 戦争というのは、今日のロシアのウクライナ侵攻もだが、かつての日本軍の太平洋戦争開始時に見るように、米国ハワイの真珠湾攻撃に端を発するが如く、ごくごく簡単に、ある日あるとき突発的に始められるのである。
 しかし、問題はその終わらせ方、終結の方法であって、どのように始まったとしても、終わりにするにはとてつもなく時間がかかるだけでなく面倒かつタイヘンなこととなるのが、今も長引くウクライナ情勢を見るまでもなく、「戦争」というものの本質、現実なのである。
 当初は、始めた国自身が、ごく簡単に終わる、収まると考えていたはずだ。ロシアも日本帝国も。
 しかし結果としてその相手側の報復と同時に抵抗もあるし、双方の国のメンツもあり、おいそれとは鉾を納められなくなる。まあ、誰だってやられっぱなしで、おめおめ大人しく引き下がるはずはない。やられたら倍返しということすら考えてもおかしくはない。
 つまり戦争というのは、ひとたび始まってしまえば、とことん続き、どぢらかがギブアップするまで長引くものだと考えてまず間違いはないだろう。

 かつて子供の頃に「泥沼化したベトナム戦争」、という言葉をよく昔訊いたが、戦争はまさに始まれば常に長引いて泥沼化していくものなのである。
 そして戦争のさらにもっとも面倒なことは、仮にようやく「終わった」としてもその後の「復興」という「始まり」である。カンタンにすぐさま元へと始められはしない。
 またそれがとてつもなく時間も費用もかかる、タイヘンなことなのである。敗戦国日本の「戦後」を少しでも知る者は、よって、戦争というものは、絶対に「始めて」はならないものだと決意したはずなのだ。
 町々を砲撃や戦闘で破壊するのはカンタンだが、また一から元のように作り直すことはものすごく大変なのである。人の命もまた同様に。

 もう一回書きます。これで「終わり」にせずに。

終わり、始まり、そして続けていくこと・続き2022年06月06日 08時35分08秒

★この身が尽き果てるそのときまで~亡き人・ゾウさんを思う

 考えてみれば、人生というもの、つまり人の一生とは、始まりと終わりの繰り返しだと気づく。
 誰もが通る道だって、小学校から、中学、高校、またときにさらにその先の進路先も、そのときどき入学と卒業、ときに中退という「始まり」と「終わり」を繰り返していく。
 そして社会に出たとしても、どんな仕事に就くことでさえ始まりがあり、いつかは退職、その仕事をやめるとき、という終わりが必ずやってくる。まあ、研究者や学者、作家、芸術家のような「趣味的」稼業の人などは、生涯現役という、生ある限り終わりのない人生も有り得るが。

 人との出会いもまた同様であり、会うは別れの始まりという至言のとおりに、必ず別れという「終わり」の日がやってくる。愛する人とでさえも。
 人生とは、そうした始まりと終わりを繰り返して、やがてその人にとって、本当の「終わり」がやってくる。そして残念だが、この地上の世界、現世では、その先の「始まり」はもうない。
 だからこそ、この世では、命ある限り、始まりと終わりを乗り越えて、この身が尽き果てる、真に「終わり」の日まで「続けて」行かねばならぬと気づく。

 このところやっと少しだけ時間的余裕ができたので、友人から頂いた本、『プカプカ~西岡恭蔵伝』を読み進み、時間はかかったがようやく読み終えた。
 約10年近く取材から執筆に時間をかけた労作であり、いろんな意味で感慨深く同時代を知る者として示唆に富み多くのことを考えさせられた。
 近いうちにきちんとこの本の「評論」というか、感想文を書き上げたいとも思うが、恭蔵こと、ゾウさんは、けっきょく人生の三分の二のところで、自ら命を絶ち、終わらせてしまったんだなあと今更ながら思い至った。

 ゾウさんが死んでもう20年以上過ぎた。生前のステージは一度だけ70年代の天王寺公園の春一番で観れた。
 彼は、愛妻KUROとの25年間の結婚生活を終え、先に癌で逝った彼女の後を追うように50歳で亡くなったわけだが、それも仕方のないことだと思えるものの、やはり何ともやるせない、音楽界にとっても実にもったいない人を失ったと今でも強く思う。
 当時の日本人男性の平均寿命が約75歳だとして、まだ25年間も人生は残っていたのだ。偉丈夫な人だったから、ロープに手をかけなければたぶん今も健在だったのではないか。
 けっきょく、愛妻との死別という「終わり」のあとに、彼女のいない新しい人生を「始める」ことができなかったのだと今思える。※2年間は追悼の後始末し終えたものの。

 自死の理由や原因は当人以外わからないし、他者があれこれ推察したり言うことはセンエツであり控えるべきだが、愛する人との別れの後に、その大きな不在の中で、また新なスタートはやはり辛く大変だったのだろうと容易に推測はできる。
 この我も母の死後は、数年間、何もかもが意味を失い、見るものすべて色さえ失って見えて何もかもやる気が失せてしまった。
 ただ、ゾウさんには素晴らしい音楽があったし、善き仲間たちもたくさんいた。まだまだ生きていればきっと彼にしか作れない素晴らしい楽曲を多々またつくり唄ってくれたはずで、その使命と役割は間違いなくあったのに、残りの人生を始められず自ら断ち切ってしまったことは本当に悔やまれる。

 古今東西、人は、終わりある人生だからこそ、永遠と永遠的なものを乞い求め憧れる。そしてその一瞬を、永遠にしていきたいと心に刻む。
 ゾウさんはいなくなって久しいけれども今でもまだこうして評伝が書かれ、彼の歌は今日もあちこちのライブハウスで様々なシンガー、ミュージシャンたちに唄い継がれている。
 誰が言ったか、書いたものか失念したが、ソングライターにとって唯一の願いは、その作者の死後も、書いた楽曲が世に残り、誰が作ったのかわからなくなったとしてもその「歌」がいつまでも歌われていくことだ、と。
 確かに、小説家であらば、その作品が死後も読み継がれることを願うだろうし、芸術家でないとしてもクリエーターの願いは、ただ一つ、作者の死後も世に残る作品を遺せるかどうか、ではないか。
 そう、その一瞬を「永遠」にして残したい、のだ。

 ソングライターは、皆誰もが1曲でもそうした自らの死後も世に残る楽曲、作品を書きたい、遺したいと強く願う。
 ならば、ゾウさんは存分にそうした楽曲をKUROと共に遺している。
 個人的に、そうした中から1曲を選ぶとしたら、我は、「プカプカ」ではなく『街の君』を推したい。唄っているのは、ゾウさんのももちろん良いが、はちみつぱいをバックにした、あがた森魚のバージョンである。

 この稿、終わり。

すみません、土曜日に次は更新します。2022年06月09日 21時53分59秒

★ともかく父が帰ってくると・・・

 今夕から明後日、土曜日の朝まで父が在宅で、訪問看護とかもあるので、その対応と世話で落ち着いて時間がとれません。
 すみませんが、次の更新は、土曜日、父を介護施設に無事に送り出せてからということで。

宵闇迫れば悩みは果てなし2022年06月12日 08時02分52秒

★父と我のこれからのことなど

 足腰たたない、という言葉があるが、昨日は、父を朝、介護施設に何とか送り出したら、その後、家の雑用など済ませつつ、まさに青息吐息、日中も断続的に寝て、さらに夜も早く寝入ってしまった。
 ともかく腰が痛くて、ぎっくり腰ではないものの、たまった疲れと酷使で痛くて歩くこともしゃがむこともままならない。
 まさに足腰たたねえ~という状態となり本当にまいった。下手すると悪化させたらしばらくまた寝たきりとなってしまう。
 いろいろ書きたいことや報告したいこともあるのだが、けっきょくそんなで昨日は机に向かう時間も気力もなく、拙ブログ更新できず、先日の約束果たせず申し訳ありません。

 さて、宵闇迫れば~とは、ご存じの方は、フランク永井の唄う『君恋し』の唄い出しだとお分かりかと思う。
 我も、子供の頃から、魅惑の低音が唄うこのムード歌謡曲をよく聞き親しんできた。
 しかし、実はこの曲は元々は、二村貞一(ふたむらていいち)という、日本で最初のレコード歌手とされる人が昭和の初めに吹き込んだものがあって、戦後その曲をフランク永井がリバイバルヒットさせたものだ。
 我はこの二村という歌手を、まずは名前だけ色川武大の記す芸能随筆本で知り、やがて彼の戦前のSP盤を復刻したCDなどを買い集め、この歌手のファンとなってしまった。
 ※原曲は、もっとアップテンポの曲で、二村は独特の高音でカラッと唄い飛ばしている。

 宵闇せまれば 悩みは涯なし みだるる心に うつるは誰が影
君恋し 唇あせねど 涙はあふれて 今宵も更け行く
 唄声すぎゆき 足音ひびけど いずこにたずねん こころの面影 
君恋し おもいはみだれて 苦しき幾夜を 誰がため忍ばん
君恋し 唇あせねど 涙はあふれて 今宵も更け行く 今宵も更け行く 今宵も更け行く

 戦前のものであるから、御覧のとおり文体は文語調である。そして、うつるは誰が影、の部分も、「誰が」は、「たが」と読まねばならない。
 今の人は、皆、「誰」という字をとうぜん「だれ」と読んでそう発音しているが、戦前は濁らず「たれ、もしくは、た 」であり、有名な小説や映画の『誰がために鐘は鳴る』も「誰が」と読まず「たがために」と発音する。
 まあ、そんなことは言わずもがな、とお思いの方はエライしワカッテらっしゃる、わけだが、今の人は、そうしたことも知らない方も多いだろう。このうたからヒントに芸名を得た?大昔の兄弟漫才コンビ、「いとしこいし」のお二方も今では覚えている方も少ないかもしれない。

 余談はさておき、我はまさにこのところ、「宵闇迫れば悩みは果て無し」という気分に苛まれている。
 昔の切ない恋心をうたった俗な歌謡曲だと思えなくもないが、やはりこのうたには今も変わらぬ恋愛の真実、真理があるし、まさに「宵闇迫れば~」の部分は、切々、ひしひしと痛感するところがある。
 そう、今、自分もその夕暮れ時、宵闇が迫ってきた頃に立ち尽くしているからだ。
 本当にこのところ悩みは果てしない。※長くなりそうなので、もう一回書き足します。

宵闇迫れば悩みは果てなし・続きの①2022年06月14日 22時57分43秒

★悩み多き者よ~それは我

 悩み多き者よ 時代は変わっている
 全てのことが あらゆるものが
 悲しみの朝に 苦しみの夜に
 絶えず時はめぐり 繰り返されている

 ああ人生は一片の木の葉のように
 ああ風が吹けば何もかもが終りなのさ
 流れゆく時に遅れてはいけない
 移りゆく社会に遅れてはいけない  ※斎藤哲夫 「悩み多き者よ」

 とは、敬愛する斎藤哲夫のごく初期の名曲の一節だが、「若き哲学者」として、鮮烈かつ衝撃的なデビューの後、数々の音楽的にも素晴らしいアルバムや耳に残る楽曲を多く作り、先年一時闘病の時もあったが、今も現役で活動しているこの天才シンガーソングライターはもっともっと高く評価され厚遇されるべきだと思うのは我だけだろうか。

 さておき、百人の人がいれば人生は百通りあるわけで、ならば当然悩みも百通りある。
 さまざまな悩みはいつの時代も誰にもあるわけで、子供には子供の、若者には若者の、大人には大人の、老人には老人の悩みが当然ある。
 若い時は、学校の試験や進路のこと、将来のこと等に悩み、社会人になれば、仕事上の悩み、職場での悩みがあり、結婚すれば、家庭の悩み、夫婦の悩み、そして子供ができれば子育ての悩みがあり、老いてくれば、病や身体の悩みや老後、死後の悩みがある。
 まさに悩みは一生尽きない。お釈迦様は、生老病死を四大苦と説いたが、人が生きることとは、その時々の悩みとどう向き合うか、どう対処していくかとと同義とも言えよう。

 ただ若い時の悩みは、ごくごく目先のことや、あるいは高所大局的な社会に対する漠然とした不安のようなもので、自分の場合は、今思うとノンキな明るい悩みであったと思える。
 むろん、今では、学校でのイジメや家庭内の虐待、貧困のために進学ができない等非常に切羽詰まったリアルな悩みはいくらでもあり、そのために自死を選ぶ子供もたくさんいることも現実である。
 我も学校には常に馴染めず中退するか、とかその悩みの渦中にあるときは、悩んだ挙句に自殺も考えたことはあった。しかし今思えば、若い時の悩みは、一過性のものであって、自ら死を選ばずともやがて時が過ぎ去れば、解決はしないまでも何とか過ぎ去るものだと断言しよう。何とかなるわけでなくとも時が解決することも多々あるのだ。

 何故ならば、若いときならば、まだ人生にはたっぷり時間が残っていて、生きていれば何度挫折や失敗しようともまだやり直せるからだ。そう、何も学校や会社だけが必要かつ不可欠な居場所ではないのである。
 人は自分の、自分だけの人生なのだから、どう生きたって良いのだ。他者に迷惑かけなければ、何をしてどこでどうやって生きてもどれだけ身勝手だってかまわないではないか。
 どんなに絶望しても、生きていれば、つまり時間があるならば、人生は何とかなる。
 このとことんダメの、何一つきちんとできなかった、社会から落ちこぼれた我のような人間が、これでも何とか死なずにぬくぬくと臆面もなく還暦過ぎまで生きてこれたのだから、とりあえずでも人生は何とかなったのである。この先はわからないとしても。
 
 しかし、若い時の悩みと、今我が感じている老齢の悩みはやはり質も色合いも切迫感も全く違う。
 何故ならば、そこには残された時間の量が大きく関係しているからだ。まあ、若い時から、何度でもやり直せる、今度こそ頑張ろうと失敗の都度、自らに言い聞かせてここまで来てしまったわけで、いよいよ切羽詰まって焦ってきたという、まさに自業自得のお笑い種なのであるが。

 そう、夕闇迫れば悩みは果てなし、まさに日が暮れるときになって悩む悩みは、切実なものがある。もう、先延ばしもやり直すことも時間切れ、タイムアップとなってきたのだ。では、どうしたら良いのか?

宵闇迫れば悩みは果てなし・続きの②2022年06月15日 14時36分02秒

★死ぬ、そのときまで、どう「生きて」いくか。

 と、人の悩みについて考えていくと、若い時の悩みと老いての悩みの違いはどこにあるかがわかってくる。
 若い頃の悩みは、これから「生きていく」ための悩みであり、老いての悩みは、いよいよ「死んでいく」「死ぬための」悩みなのだと。
 つまり、若き日の悩みは、新たに人生を始めるための時点での、迷い、煩悶であり、我もだが、老人期の悩みとは、これから死に臨むにあたって、この人生を終わらせるため終焉の悩みだと気がつく。
 昨今、巷をにぎわしている、就活ならぬ「終活」という言葉にまつわる相談めいた悩みも、つまるところ、自らの死後についての「悩み」なのだとわかる。
 そう、死なない人はいないのだから、誰もが人生を店じまいするときがくる。できるだけ後腐れなく、親戚縁者、友人たちに死後に迷惑かけることなくキレイに死んでいくのはどうすれば良いのか、だ。
 しかし、母を癌で先年病死させ、今また百歳近くの父を、老衰死させる寸前の我としては、そんな自ら終活とか考えたり、悩める人はずいぶん幸福な人だと思える。
 つまり、その人たちは、もう今の人生自体には、喫緊の切迫した悩みはないようだから。

 推測だが、おそらく「終活」やらに悩む人は、それだけ現実においては、もう今生きていく日々の悩みはなくなったのであろう。つまり、退職して子育ても終わって、今は年金や貯蓄で何不自由なく、大きな悩みなどもなく悠々自適の老後を送っている。
 そして、親だけでなく同世代の友人知人が次々と逝くと、さて、では自らもそろそろ行く末を、とはたと考える。いつまで元気で動けるかわからない。ならば、まだ呆けない今のうちに、人生の後始末は、早く自らきちんと始末つけておこう、さすれば、死後、子供たちにも迷惑はかからない、と。
 立派な心掛けである。真っ当に生きたカタギの人生ならば、そうあるべきだし、極めて理性的かつ計画的な一生だと大いに感心する。
 そうできる人は、自らの死後について、葬儀のあり方も含め相続等もいろいろ手配し指示しておくのだろう。
 で、我は。
 恥ずかしく情けない話をするが、我などほぼ無年金で、今は、父が生きているから父の年金収入で何とか諸処の税金や光熱費など、家の支払いは収まっているが、父が死んでしまえば、現時点ではたちどころに生活は行き詰まってしまう。
 友人にそうした話をしたら、お前の家はデカいのだから、売れば即、金になり、死ぬまで何とかなるだろう、とアドバイス頂いた。ありがたや。
 まあ、確かにそうかもしれないし、それも考慮するとしても、まずは、父の死後は、我も時間ができるのだから本格的に真剣に働いて、この家と人生を維持していく金を拵えていくつもりでいる。
 ※ご存じのように何しろモノがいっぱいあってこの家を売るためにそれらを片付けていくだけで我の残人生はほぼ失われるだろう。思い切って一気に業者に処分依頼するとしてもそれだけで数百万はかかってしまうことは間違いない。で、何もなくなってやっと引越しできたアパートで、我はいったいその余生を何をして生きていくのだろう?ちょっと想像すらできない。
 ならば、この家に今後も住みつつ願わくば働けるだけ必死に働いて、何とか生活費をつくって、長く入院したり、誰かに介護されることなくその時が来たらスッキリ早く死にたいと願う。
 むろん我の抱えているボーダイな本類や音楽CD、レコード類、楽器等は、死後の処理について、手筈も考えていかねばならないわけだが。

 我に妻子や孫がいて、後々を託せるならば、と思わなくもない。しかし、彼らもまた別人格で、我の趣味嗜好、価値観とは異なるだろうし、理解しろとか、それらをぜひとも大事に保管してくれと求めるのは酷なことだろう。
 血縁にあるからといって、我の身勝手を押し付けたり課すことはしたくないしまたさらに後々も面倒なことに繋がる。
 ならば、何としても残りの人生、日々必死に生きながら我もまた我が「死後」のことについて対策を練らねばならぬ。
 あくまでも想定だが、父の死後、我も八十まで生きられるとして、幸いまだ約15年はある。あれこれ今も悩みは尽きないが、ともかく生きていく悩みと死んでいく悩みを同時に抱えつつ人生やっていくしかない。

 先のことはわからない。しかし、汝、明日のことは今日は憂い思い煩うなかれ、とイエスも言っている。明日のことはまた明日悩めばいいのだと。
 ならば、先のことは悩む時間があるならば、そのぶん今できることを少しでもやっていくしかないのだ。
 悩んで答えが出ることならば、悩め。我はバカだからもう先のことはあれこれ悩まない、ぞ。

申し訳ありません2022年06月20日 11時57分09秒

★明日、ゆっくり続きを書きます。

 また急に暑くなってきて、先日、父が熱射病気味で倒れてしまい、ちょっと一騒動が。救急車は呼ばずにすみましたが。
 幸い持ち直して今はまた何とか介護施設に行ってはくれてるのだけど、そんなこんなで我も慌ただしく疲れ果て、体調も悪くしてこの数日ブログ書けませんでした。
 参院選公示を前にして、いろいろ書きたいことも、その後の報告事項もあるので新たに明日、火曜以降に書き直します。
 今日は、父がまた介護施設から戻って一晩在宅の日なのだけれど、無事に一夜過ごして、明日また施設に送り出せるかどうか。
 そんなこんなでもう少々お待ちください。

宵闇迫れば悩みは果てなし・続きの③2022年06月21日 21時30分09秒

★すべてに終わりの時がくる

 父を何とかまた今朝方、介護施設に送り出してようやくほっと一息ついている。
 このところずっと梅雨寒の日が続いていたのに、先週末から突然また夏日かつ蒸し暑くなってしまい、先週金曜に父が帰宅してきたときは、家に入れる前に、買い物などついあちこち車で連れまわしたりしていたら、軽い熱射病を起こしたのか、父は、帰路、車中で意識を失い、車からも降りられず腰砕けとなって自ら歩くこともできず、我は抱きかかえて何とか冷房の効いた家に連れこみ、濡れタオルで身体を冷やして幸い事なきを得た。
 救急車を呼ぶことも考えたが、ともかくまず家に入れやがて意識も戻ったものの、トイレでオムツを替えたらば失禁だけでなく軟便も大量に漏らしていて、足首まで垂れている。素っ裸にして父の全身を拭くだけでも一苦労した。
 しかもその晩は、何とか食べてくれた晩飯も最後はほとんど吐いてしまい、父を寝かしつけても我はあれこれ考えてしまい寝付けず、疲労と睡眠不足で自分まで体調おかしくなりそうだった。
 幸いのこと、翌朝は体温も平常で、意識も食欲も戻り、朝食も食べてくれたので、土曜から昨日月曜までお泊りできるデイサービスに預けて、昨夜一泊だけでウチで面倒見たが、今朝はまた別ショートステイにいつも通りに行ってくれたので、やれやれという気持ちで今これを記している。

 これまでは、足腰がさらに弱らせないために、施設から帰宅時は、家にすぐ上げずにそのまま車に乗せて、近くのホームセンターやヨーカドーなどに連れて行き、買い物カートを押させて我も手を引き父を支えて店内を少しでも歩かせて、甘いソフトドリンクなどを飲ませて休憩してからウチに帰っていたのだが、もうこの暑さだと車中の移動だけでも危険だと、もう無理はすまい、させまいと今回痛感した。
 昨日の夕刻の帰宅時も、まだ猛暑ともいえる暑さだったので、もう連れまわさずそのまますぐ家に入れて、寝室で甘いものを食べさせ水分を摂らせてから晩飯までいったん昼寝させた。
 以前は、夕方仮眠させると、深夜に起き出して騒いだり、オムツを外したりする妄動があったのだが、最近では何時間でもただひたすら朝までじっと同じ姿勢で眠ってくれている。
 つまりそれだけ老衰が進んだという証で、やかでそのまま目覚めぬ朝が来るかもと、我はこのところ朝が来て、父の部屋の戸を開け父を起こすときはドキドキしている。そして声かけて、息しているのを確認するとホッと安堵している。
 父はこの秋が来ると満で98歳となるわけだが、人が百歳近くまで生きているということは、どういうことか、どんな状態かおそらく知っている人は少ないだろう。
 我もまさかこんな風になって、ここまで生きてくれるとはまったく予想も想像もしなかった。

 我としては、父より5歳年下の母のほうが父より長生きするものだと思い込んでいたし、母もまたそう考え、信じていたと思う。
 しかし運命は不思議なもので、健啖家で大男ではあったが、若い頃から結核をはじめ前立腺癌の疑いで手術や入退院を何度も繰り返した父よりも、癌が発見されるまでは一切大病も入院もしたことがなく元気の塊りのようだった母が先に逝くとは、まさに想定外であった。
 しかも、母が死んだときに既に認知症で90歳を過ぎていた父は、その後も6年も生き延びているのである。じっさい百歳までも指呼の先に見えてきた。
 しかし、さすがにこのところとうとうその「終わり」のときも見えてきたと思える。

 昨年は、一年間で、年明けには60キロあった体重が暮れには50キロにまで落ちてまさに骨と皮になってしまったし、このところはいよいよついに自ら食べられなくなってきてしまい、さて、どうしたら良いものかと我は思案している。
 そう、食べなくなってきてしまった。あれほどかつては食べられていた人が。彼が60代の頃だったか、メタボ気味と言われ、昔でいう六尺男、つまり180㎝近くの身長と体重も80キロ近くもあったのに。
 そうか、人は病気や事故で死なないと、とことん命が続く限りは生きるのだけど、最後は、ついに食べるという「機能」じたいが衰えて、瘦せ衰え全身が衰弱して、ろうそくの火がついえるように死に至るのだと。
 そう、これが「老衰死」ということの現実、じっさいなのだ。
 ※もう一回で終わります。

宵闇迫れば悩みは果てなし・続きの④・おしまい2022年06月22日 01時47分27秒

★父と亡き母、そして神の計らいにただ感謝す

 「死」には様々な形容がつくが、皆どれもあまり良いイメージがない。
 自死は当然のこと、事故死、病死、転落死、孤独死、虐待死、衰弱死、安楽死、災害関連死等など、死にまつわる「死因」はどれもほぼ暗く不吉かつ不幸な意味合いを伴う。
 まあ、それは当然であり、「死」そのものが人生の終わり、人の一生の最期のときだから、やはり不吉な悪しきイメージがつきまとうのも致し方ない。
 ※そもそも良い死に方のときは、「死」は用いず、大往生などとか別の言葉で代用している。

 そうした数多くの「死」の原因、理由として、このところ「老衰死」という言葉があちこちでよく見かけ用いられるようになってきた。以前は一般的ではなかったと思えるが。
 そもそも、その言葉を聞いたとき、昔は、どういう意味か、その「死に方」がよく我にはわからなかった。
 老衰という言葉はわかる、というか推測できる。が、それと「死」とどう関係してくるのだろうか。老衰して死ぬことがそもそもあるのであろうか、と。
 我には長年疑問であったが、いま、我父を百歳近くまで生かして見送るときにあたり、そうか、こういうことか!!と得心している。

 機能不全という言葉もよく聞く。国連が機能不全だとか言われて久しい。
 人の体も同様に、身体の部位のある器官が機能不全となることがある。例えば、肝臓とか腎臓が機能不全になり、腎不全などと言う。
 自動車などを考えればわかるが、長く使い乗ってるとあちこちの部位が劣化して来て、車検のたびにパーツ交換したり、いろいろメンテに金がかかるようになる。
 ヒトの体も同様に、長~く生きていると、しだいにあちこちにガタが出てくる。男も女もだいたい60歳ぐらい、つまり還暦の頃からあちこちの痛みや異常が出てくるものだ。機械のように古く劣化した部位を交換することはできないのが厄介であるが仕方ない。
 我も老眼や耳が遠くなってきたし、歯もずいぶん悪くなった。体力も衰えたし、記憶力も低下した。足腰の痛みは日常的だし過活動膀胱で失禁気味でもある。
 つまりそれが老化ということであり、いつまでも若若しい人もたまにはいるけれど、病気や事故などで早逝しない限り、歳とれば、やはり誰にも老化が現れ程度の差はあろうと、見た目も言動も「老人」と必ずなってしまう。
 昔、いくらでも走れたり遠くまで歩けた人でも、杖ついて何とかやっと、という状態にもなる。
 食べることも呑み込むこともその力が衰えてくる。肺活量も衰えるだけでなく腎臓や肝臓、その他すべての臓器の機能も落ちていく。
 癌などの進行性の病気がなくても、長く生きて老人となれば、そうした機能の多くが劣化して不全となる。それを多機能不全というらしい。

 我が父の場合、まず頭のほうがボケはじめ、昼寝したりすると朝と夜との区別がつかなくなったり、言動がトンチンカンになった。今では基本的なモノゴト、日常的なことすら何一つできなくなってしまった。
 さらにふらつきなども出て、自ら一人では自立歩行が難しくなった。
 そして、小便の失禁も出はじめて、常時紙パンツを履かないと垂れ流すようになり糞尿を自らの意思でコントロールできなくなった。
 目も耳も年齢の割には良かったが、さすがにこのところはそれも悪化してきた。
 ただ、近年まで、食欲だけはしっかりあって、硬いものは好まなくなったが、好物でなくてもほぼ何でもパクパク自分で食べてくれていたので、介護側の手を煩わせないでくれていた。

 しかしその「食欲」もついに、昨年に入ってからは落ちてきて、じょじょに食べる量が減り、それに合わせて体重も落ちてきて、とうとう今では、小柄な息子よりも体重は下になり、かつての大男は50キロそこそこのガリガリになってしまった。
 となると、とうぜん体力もなくなる。昼夜問わず起きていられなくなり、食事中もうつらうつらしたり、好きなテレビ番組を観ていてもすぐに眠りだしてしまう。
 医学用語で、「傾眠」(けいみん)というのだそうだが、日中でも傾眠状態が続き、ともかく眠ってばかりとなってしまう。

 数年前までは、昼間長く昼寝とかさせると、夜中に眠りが浅くなって深夜に徘徊もしたりしたのに、今ではともかく昼間も夜も起こさない限りすぐに眠ってしまう。
 ろくに食べていないし痩せたから体力がないこともあるのだろうが、ともかく眠ってばかりいる。最後はそうしてただひたすらに眠り続けて、意識もなくなっていき、そのまままさに眠るように呼吸も止まるのだろうか。
 「老衰死」とは、そんな風に多機能不全の末に、本当に何もできなく何もわからなくなって、ただただ眠り続けて意識もなくなってあの世へと旅立つことなのか。
 そのとき、たぶん死の苦しみ、痛みなどはないのかもしれない。天寿を全うするという言葉もあるが、ある意味、老衰死とは理想的な死に方ではなかろうか。酔生夢死というところの、夢見ながらの死ならば、極楽死、真の安楽死とも呼べるのではないか。

 思うに、死が怖く、忌み嫌われるのは、自らがいなくなってしまう、この世を先に一人で去る、という「意識」があり、死後の世界という「未知」への恐怖が死の悩み、苦しみの要因なのではなかろうか。
 老衰死は、けっきょく自らはもはや何もわからなくなって、ただこんこんと眠り続け、死の恐怖も現世への執着も死後の悩みも何もなくなって、まさに解脱して人生を終える。
 父を見ていると、かつてあれほど何でもできた、細かく几帳面だった人が、何もできなくわからなくなり、赤ん坊のようになってしまって情けなく悲しくも思ったが、それだけまさに出し殻になるまで、とことん無駄なく生きながらえたわけなのだから、素晴らしく理想的な最期ではなかろうか。
 以前は、ときおり、不意に我に対して「おっかさんはどこへ行った!?」、どうして帰ってこないとか、真顔で亡き妻のことを問い直してきて、その都度こちらも胸を突かれるような哀しみに襲われたが、もう今は、その母のことすら覚えているか、思い出すときがあるのかわからないほど、父は日がなうつらうつらしている。
 悲しみも悩みも現世の気にかかることすべてを離れて死にゆくのであれば、まさに成仏であり、イエスが言うところの神の国は近いのだと我は思える。

 いずれにせよ、その日は近いわけだが、その日まで父と一日でも長く無事に過ごしていきたい。嗤われるだろうが、まだまだ父にできることとすべきことがあると信じて。
 父と母というまったく別の異なる死に臨む「生き方」を我に示してくれた神に感謝、である。

近況とこれからのこと2022年06月25日 10時53分27秒

★新しい家電はどれも快適・快

 また異常に暑くなった。まだ6月のうちだというのに。昨日は、今年最高気温を更新し、涼しいはずの庭木のあるウチも外気温は日陰で33度。
 今日も朝から晴れて、外に出て陽射しを浴びると8時前なのに犬の散歩しただけで汗まみれになった。今日は昨日よりまたさらに暑くなる。
 夏本番前に記録的猛暑となってしまえば、今夏はいったいどれほど暑くなるのか。
 参院選も始まったし、いろいろ多々思うところや書き記しておきたいこともあるのだけど、まずウチのこと、父とのことなど「近況」を少し。