古本稼業再考・消えていくのは本だけではない・2 ― 2012年09月18日 09時32分07秒
★本を殺したのは誰?
もう10年ぐらいも前になるが、 ひところ「誰が本を殺すのか」というテーマが書き手も含めた出版に携わる世界の人たちの間で喧しかった。
が、昨今ではそんな話は誰もしない。それは状況が良くなったからではむろんなく、要するにその話題で盛り上がった頃はまだ本はかろうじて元気で命脈を保っていたのが、今ではもう既に殺された、つまり本は死んでしまったか、瀕死の際にあるからだと思える。
出版不況が叫ばれて久しいが、モノが売れないのは、本や雑誌だけではなく、衣類も家電も食品も全てが売れない時代だ。そんな販売不振の時代に、消費税を近く倍に上げるなどと決めたのだから、愚の骨頂である。上げる直前には駆け込みで購買は伸びるだろうが、値上げ以降ますます消費は低迷し税収は伸びず個人の収入も減り国力は落ちるという負のスパイラルに日本は陥っていく。誰かの謂いではないが経済の再生には減税こそが筋であるはずだ。収入が増えて国民が金を使えばいやでも景気は良くなっていく。それはさておき・・・
ある作家が書くところだと、本を殺したのは、ブックオフなどの新大型古書店の登場と、出版社側の文庫も含めた本やマンガのコンビニ向け低価格路線、そこに図書館での新刊本の貸し出しだと断じていたが、その影響も確かにあろうが問題はそんな単純なところに発していない。
確かに今の文庫の出版、乱立とも思える書下ろし点数の増加は、本来の「古典」としての文庫の存在意義を無意味にしてしまった。出版社は本が売れないからより低価格へ、求めやすい値段へと本の価値を下げ続け結果、米国式ベイパーバックのような簡易製本の本ばかりとなってしまった。大衆向けにはそうした売れやすい文庫、簡易製本の本が増えた一方、人気作家のしっかりした単行本は法外な値段をつけるなどここでも二極化が進んでいる。
今でも雑誌では本の特集をよく組んだりするし、読書人口はある程度は常に少なからず存在していると信ずるが、出版文化という「文化」であった本、雑誌が安売り競争に陥ること自体、本が売れなくなってきていることは間違いない。出版界では近年ずっと大手老舗出版社も近く倒産するだろうと囁かれている。誰が本を殺したのか、いや、危篤状況にある本や雑誌をとりまく状況を考えるとその末端、おこぼれに預かるこの身も暗澹たる気分となる。
ただ、こうも考える。これもまた時代の流れなのではないかと。うたにもあるように、昔は「村の鍛冶屋」という職業が成立していた。だが、おそらく今日、個人でやっている鍛冶屋など日本には一軒もないかと思う。芸術の分野、例えば詩人などはそもそも商売ではないから自ら「詩人」と称すれば存在し得る。だが商売としての仕事、職業というのは客相手でありそのニーズがなければ成り立たない。それで金が入らなければやっていけない。昔は需要があった鍛冶という仕事も牛や馬がいなくなり、金具、農耕器具全てが大量生産され農協や量販店で求める時代には存在しえない。それは良し悪しではなく時代の流れだ。ならばインターネットの時代、本、雑誌などの紙モノはやがては消えていく定めにあるのかもしれないと思うときがよくある。
むろんこの世から本や雑誌が消えてなくなってしまうことはありえない。しかし、過去に出たものはともかくも新規にはこれから新聞社も含めた出版業界はその発行部数、点数は大幅に減らしていくことは確実だと断言する。もうどれほど大手であろうと出版業界には未来がないと叫ばれている。もはや一部の人気作家のベストセラーはともかくマジメな固い本、あまり話題性のない作家の本などはそもそも出版されなくなっていく。ということはベストセラー作家に縁のない手堅い本を出す、マジメな中小の出版社は当然ながら経営が成り立たない。出版の世界は今どこも火の車であろう。
※この話もう少し続きます。お付き合い下さい。
もう10年ぐらいも前になるが、 ひところ「誰が本を殺すのか」というテーマが書き手も含めた出版に携わる世界の人たちの間で喧しかった。
が、昨今ではそんな話は誰もしない。それは状況が良くなったからではむろんなく、要するにその話題で盛り上がった頃はまだ本はかろうじて元気で命脈を保っていたのが、今ではもう既に殺された、つまり本は死んでしまったか、瀕死の際にあるからだと思える。
出版不況が叫ばれて久しいが、モノが売れないのは、本や雑誌だけではなく、衣類も家電も食品も全てが売れない時代だ。そんな販売不振の時代に、消費税を近く倍に上げるなどと決めたのだから、愚の骨頂である。上げる直前には駆け込みで購買は伸びるだろうが、値上げ以降ますます消費は低迷し税収は伸びず個人の収入も減り国力は落ちるという負のスパイラルに日本は陥っていく。誰かの謂いではないが経済の再生には減税こそが筋であるはずだ。収入が増えて国民が金を使えばいやでも景気は良くなっていく。それはさておき・・・
ある作家が書くところだと、本を殺したのは、ブックオフなどの新大型古書店の登場と、出版社側の文庫も含めた本やマンガのコンビニ向け低価格路線、そこに図書館での新刊本の貸し出しだと断じていたが、その影響も確かにあろうが問題はそんな単純なところに発していない。
確かに今の文庫の出版、乱立とも思える書下ろし点数の増加は、本来の「古典」としての文庫の存在意義を無意味にしてしまった。出版社は本が売れないからより低価格へ、求めやすい値段へと本の価値を下げ続け結果、米国式ベイパーバックのような簡易製本の本ばかりとなってしまった。大衆向けにはそうした売れやすい文庫、簡易製本の本が増えた一方、人気作家のしっかりした単行本は法外な値段をつけるなどここでも二極化が進んでいる。
今でも雑誌では本の特集をよく組んだりするし、読書人口はある程度は常に少なからず存在していると信ずるが、出版文化という「文化」であった本、雑誌が安売り競争に陥ること自体、本が売れなくなってきていることは間違いない。出版界では近年ずっと大手老舗出版社も近く倒産するだろうと囁かれている。誰が本を殺したのか、いや、危篤状況にある本や雑誌をとりまく状況を考えるとその末端、おこぼれに預かるこの身も暗澹たる気分となる。
ただ、こうも考える。これもまた時代の流れなのではないかと。うたにもあるように、昔は「村の鍛冶屋」という職業が成立していた。だが、おそらく今日、個人でやっている鍛冶屋など日本には一軒もないかと思う。芸術の分野、例えば詩人などはそもそも商売ではないから自ら「詩人」と称すれば存在し得る。だが商売としての仕事、職業というのは客相手でありそのニーズがなければ成り立たない。それで金が入らなければやっていけない。昔は需要があった鍛冶という仕事も牛や馬がいなくなり、金具、農耕器具全てが大量生産され農協や量販店で求める時代には存在しえない。それは良し悪しではなく時代の流れだ。ならばインターネットの時代、本、雑誌などの紙モノはやがては消えていく定めにあるのかもしれないと思うときがよくある。
むろんこの世から本や雑誌が消えてなくなってしまうことはありえない。しかし、過去に出たものはともかくも新規にはこれから新聞社も含めた出版業界はその発行部数、点数は大幅に減らしていくことは確実だと断言する。もうどれほど大手であろうと出版業界には未来がないと叫ばれている。もはや一部の人気作家のベストセラーはともかくマジメな固い本、あまり話題性のない作家の本などはそもそも出版されなくなっていく。ということはベストセラー作家に縁のない手堅い本を出す、マジメな中小の出版社は当然ながら経営が成り立たない。出版の世界は今どこも火の車であろう。
※この話もう少し続きます。お付き合い下さい。
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