少しでも、少しづつでも2016年05月23日 21時26分57秒

★残された限りある時間の中でベストを尽くしていく

 今日も暑かった。玄関の庇下にある、外の寒暖計は、30度を軽く超していた。仕方なく犬たちも玄関の中に入れ、老犬ブラ彦は二階に上げてクーラーも入れた。この暑さで食欲も落ちてきている。
 全国あちこちで真夏日が報じられているがまだ5月なのだ。真夏が思いやられる。我は、家にいて、せいぜい午前中庭周りの仕事しかしていいからいいものの、外回りの仕事の人たちは大丈夫かと案じてしまう。

 さすがにこのところの疲れが出たのか、いや、疲労は慢性的だからなのか、いったん午睡すると、もう夕方すぐ起きられない。
 昼までは、掃除や洗濯やら溜まった家事を片付けて、母と昼食をとり、午後は少ししてイタリアや仏人のように昼寝している。そうしないと頭痛がしてきて、頭が重くフラフラしてとても起きていられなくなる。

 今日は、父の見舞いには夕方行く予定でいた。が、一度眠ってしまうと、犬がどんなに吠えようが、目覚ましが鳴ろうが、起きることができない。意識としては、起きて父の松病院に行く時間だとわかっている。起きなくてはと思っている。が、体はまさに鉛のように重く、起きることがどうしてもできやしない。
 普通なら、その時間になれば、ぱっと目が覚めて重たい体を引きずってもベッドから起き上がられる。が、もうこのところ、昼寝してしまうとまず簡単には起きられない。

 気がついたら、目覚まし時計は午後6時を過ぎていた。父の食事の時間は既に始まっている。昨日は昼前に行った。昼間なら行けるが、夕方はこのところどうにも起きられず行けなくなってしまっている。
 父が入院したのは、先月の11日だから、既に一か月をだいぶ過ぎた。病院の中で、対社会的なことは、看護師たちやリハビリの職員と話すぐらいしかないわけで、男は女に比べて極めて社会性が閉ざされている。
 見舞いも親戚は皆高齢だから、一人も来ないし、せいぜい我と母が顔出す以外に、誰とも話さない。その母も週に2回行けたら良いほどの体調だから、我がせっせっと行って、話しかけて父の嘆き、退屈した、飯がマズイ、いつ退院できるのか、に耳を傾けないとならない。
 そうしないと、リハビリの時間以外は、ひたすらベッドに横になりうつらうつらしてしまい、曜日や時間の感覚も失われていく。
 だから、ともかく父のところに行かなくてはならない。が、どうしたことか午前はともかくも夕方は疲れて一度昼寝してしまうともう起きられなくなって立川へ行けなくなってしまう。情けない。
 
 あと少しの辛抱だと行くたびに父に言い、励ましている。それはこの自分にも言い聞かせている。退院できなくても、ウチの近くの、系列の病院の方に転院できるとか、何かメドが立てばと思う。そうすれば、その日を指折り数えて、一日一日が動き出す。

 一方、我のこともなかなか進まない。内心忸怩たる、焦り苛立つ気持ちを抱えている。食の進まない母に、何とか食事を工夫して摂らせて、今風呂に先に入れて、出たの確認して寝かせて、ようやく我の時間が始まる。
 その前に、犬たちの夜の散歩がある。今は外の小屋にいるからまだマシだが、寝る前に散歩させないと早朝からまた吠え出して、こちらもおちおち寝ていられない。
 吠えるのは老犬のほうで、こちらも人と同じくボケも入ってきているのだろう。夜中吠えると隣近所まで起こしてしまう。
 
 歳をとること、歳とって面倒かつ大変になっていくのは人も犬も変わらない。
 ともかく、今は少しでも、少しづつでも今できること、今すべき出来ることをやっていこうと思う。
 限りある時間の中で、どれだけできるかだ。焦っても苛立っても仕方ない。少しでも少しづつでもだ。