着るもの考・その3 ― 2017年05月09日 13時50分54秒
★人は自ら若い時のセンスに囚われる。
今日はうす曇りでひんやりとした風が吹き、Tシャツ一枚だとうすら寒く心許ない。
我は基本的に、ジーパンかチノパンにTシャツで春夏は過ごす。暑い時は家の中では半ズボン、短パンは穿くが、外では、まず履いて出ない。それも人と会う時などは素足は出さない。男は毛脛など人前で出すのは見苦しくみっともないと考えるからだ。我は毛深い方ではなくとも。
我にファッションセンスがあるとか、拘りのおしゃれなど一切ないが、着る物には多少のこだわりがなくもない。
去年の夏前の頃は、母の通院などもあって、よく立川の病院に通った。ぐうぜん支払いの時、待っている間に見たある男の姿が今も目に浮かぶ。
ギンガムチェックの半そでシャツに半ズボン、頭には麦藁帽か、野球帽を被っていたかと思う。小さなバックをたすき掛けにして、立って彼も会計で呼ばれるのを待っていたのかと思う。
最初みたとき、少年だと思った。夏休みなど、虫取りに行く格好の少年のようだった。が、顔見たらギョッとした。シワシワの疲れた顔の初老の男で、もしかしたら我と同世代かもしれないが、そんな老いた男、もはや「老人」なのに格好は「少年」のファッションなのである。
それ以降、気をつけて街を歩いているとこうしたいい歳した世代であるのに少年のような恰好の男たちがときたまいることに気がつくようになった。
我は恥ずかしくてとてもそんな恰好はできない。が、彼にとってはそれは当然であり、自ら選んだファッション、カッコいいスタイルなのであろう。その歳でその格好は似合っているとはとても思えない。しかし、人がどう思おうと彼にとっては当たり前なのである。
吉祥寺周辺に住む某マンガ家氏のことも思い出す。我も敬愛するその漫画家は、写真などで見る限り常にピンクの横縞のロングTシャツ姿である。で、実際に何度か街で見かけたりもしたが、やはりそのボーダーの長袖を着ている。
お歳もたぶん70過ぎたかと思うのだが、ご当人はそのファッションが好きで、若い時からずっと変わらないようだ。お年寄りがそんな格好していたらやはり違和感を覚える人も多いかもしれない。しかし、それが彼にとっては、若い時からのアイテムであり、おそらくその色と縞は死ぬまで離さないのだと思う。
それでわかって来た。その人のファッション、衣服の好みとは、若い時に自ら選んだそれに生涯規定されてしまうのだと。それは我もまた同様に。
女性はよくご存じない男性下着に、股引(ももひき)、とか猿股(さるまた)と呼ばれるアイテムがある。ステテコというものもある。猿股とはブリーフ、いわゆるパンツの類で、肌に直截触れる下着であるが、股引、ステテコは、ズボン下とも称され、パンツ類など肌にふれる直に下着とズボンの間に履くものである。
我は若い時からこれが嫌いであった。基本的に履かない。その習慣がない。ただ、ある世代、我より上の世代、団塊ではなく、さらにもう少し上、我らの父世代まではこれら「ズボン下」を欠かさず履く。夏でも履いている。
以前バイトに行ってた先の頭領、オヤジさんも仕事の前、着替えを見ると、夏でもズボン下、ステテコを作業着の下に履いている。暑いのでは、と訊くと、夏でも冬でも履かないと何か落ち着かないんだ。履いてた方が夏は涼しいとまで言っていた。
彼らにとっては若い時からそれをズボンの下に履くのが慣れ親しんだ変えがたい習慣であり、履かないほうが逆に違和感を持つのである。
我が父もまた同様であり、父の場合は、パンツの類も、ラクダ色した猿股であり、それ以外は与えても絶対に履かない。仕方なく猿股を探し回る羽目となるが売っているところを見つけるのが今では難しい古典的下着となってしまった。そしてその上に「コシタ」と彼が呼ぶ股引の類を春秋冬は履く。夏は薄手の丈の短いステテコを履く。
父が死んだらそうした衣類は後に遺されるわけだが、新品でも我は絶対に履かない。若い時から履く習慣がある世代ならともかく、その習慣がない我らの世代ではまず「ズボン下」は履かないのではないか。※我はスーツ上下を着て勤めた経験がないのでわからないが、今のサラリーマンはどうか聴きたいくらいだが。
そんな我もこのところ年老いてきて、おまけに寒い山梨へ行くようになってから冬の寒さが辛くてたまらない。仕方ないので、ズボン下として黒めの防寒タイツなるものを冬季は履くようになってきた。とても素肌にズボン一枚だけ、ジーパンだけではいられない。
しかし、そこにも拘りがある。ジーパンの下には、絶対にズボン下は履かない。いや、履けない。それも若い時からの習慣でしかないが、ジーパンとズボンはまた別物で、ジーンズとは素肌に密着して履くものであり、いくら緩いだぶだぶのそれだとしてもズボン下の類はジーパンの下に履いてはならない。それは耐えられない。
たぶん我と同世代でもあまり気にしない人は、ジーンズの下にも股引を履いたりもするかもしれない。しかし、我はそういう人を密かに軽蔑している。理由なんてない。履けば暖かいし履かないのは寒くて痩せ我慢でしかない。単なる若い時からの習慣に過ぎない。
しかし、人は老いても意識あるうちは、こうしたファッションのこだわりを皮膚感覚的に持ち続けるものだと思える。それも若い時に自ら選び規定したファッション感覚に囚われるのである。
こう書いてきて我がもっと忌み嫌う衣類があることを思い出した。「ジャージ」である。【さらに続く】
今日はうす曇りでひんやりとした風が吹き、Tシャツ一枚だとうすら寒く心許ない。
我は基本的に、ジーパンかチノパンにTシャツで春夏は過ごす。暑い時は家の中では半ズボン、短パンは穿くが、外では、まず履いて出ない。それも人と会う時などは素足は出さない。男は毛脛など人前で出すのは見苦しくみっともないと考えるからだ。我は毛深い方ではなくとも。
我にファッションセンスがあるとか、拘りのおしゃれなど一切ないが、着る物には多少のこだわりがなくもない。
去年の夏前の頃は、母の通院などもあって、よく立川の病院に通った。ぐうぜん支払いの時、待っている間に見たある男の姿が今も目に浮かぶ。
ギンガムチェックの半そでシャツに半ズボン、頭には麦藁帽か、野球帽を被っていたかと思う。小さなバックをたすき掛けにして、立って彼も会計で呼ばれるのを待っていたのかと思う。
最初みたとき、少年だと思った。夏休みなど、虫取りに行く格好の少年のようだった。が、顔見たらギョッとした。シワシワの疲れた顔の初老の男で、もしかしたら我と同世代かもしれないが、そんな老いた男、もはや「老人」なのに格好は「少年」のファッションなのである。
それ以降、気をつけて街を歩いているとこうしたいい歳した世代であるのに少年のような恰好の男たちがときたまいることに気がつくようになった。
我は恥ずかしくてとてもそんな恰好はできない。が、彼にとってはそれは当然であり、自ら選んだファッション、カッコいいスタイルなのであろう。その歳でその格好は似合っているとはとても思えない。しかし、人がどう思おうと彼にとっては当たり前なのである。
吉祥寺周辺に住む某マンガ家氏のことも思い出す。我も敬愛するその漫画家は、写真などで見る限り常にピンクの横縞のロングTシャツ姿である。で、実際に何度か街で見かけたりもしたが、やはりそのボーダーの長袖を着ている。
お歳もたぶん70過ぎたかと思うのだが、ご当人はそのファッションが好きで、若い時からずっと変わらないようだ。お年寄りがそんな格好していたらやはり違和感を覚える人も多いかもしれない。しかし、それが彼にとっては、若い時からのアイテムであり、おそらくその色と縞は死ぬまで離さないのだと思う。
それでわかって来た。その人のファッション、衣服の好みとは、若い時に自ら選んだそれに生涯規定されてしまうのだと。それは我もまた同様に。
女性はよくご存じない男性下着に、股引(ももひき)、とか猿股(さるまた)と呼ばれるアイテムがある。ステテコというものもある。猿股とはブリーフ、いわゆるパンツの類で、肌に直截触れる下着であるが、股引、ステテコは、ズボン下とも称され、パンツ類など肌にふれる直に下着とズボンの間に履くものである。
我は若い時からこれが嫌いであった。基本的に履かない。その習慣がない。ただ、ある世代、我より上の世代、団塊ではなく、さらにもう少し上、我らの父世代まではこれら「ズボン下」を欠かさず履く。夏でも履いている。
以前バイトに行ってた先の頭領、オヤジさんも仕事の前、着替えを見ると、夏でもズボン下、ステテコを作業着の下に履いている。暑いのでは、と訊くと、夏でも冬でも履かないと何か落ち着かないんだ。履いてた方が夏は涼しいとまで言っていた。
彼らにとっては若い時からそれをズボンの下に履くのが慣れ親しんだ変えがたい習慣であり、履かないほうが逆に違和感を持つのである。
我が父もまた同様であり、父の場合は、パンツの類も、ラクダ色した猿股であり、それ以外は与えても絶対に履かない。仕方なく猿股を探し回る羽目となるが売っているところを見つけるのが今では難しい古典的下着となってしまった。そしてその上に「コシタ」と彼が呼ぶ股引の類を春秋冬は履く。夏は薄手の丈の短いステテコを履く。
父が死んだらそうした衣類は後に遺されるわけだが、新品でも我は絶対に履かない。若い時から履く習慣がある世代ならともかく、その習慣がない我らの世代ではまず「ズボン下」は履かないのではないか。※我はスーツ上下を着て勤めた経験がないのでわからないが、今のサラリーマンはどうか聴きたいくらいだが。
そんな我もこのところ年老いてきて、おまけに寒い山梨へ行くようになってから冬の寒さが辛くてたまらない。仕方ないので、ズボン下として黒めの防寒タイツなるものを冬季は履くようになってきた。とても素肌にズボン一枚だけ、ジーパンだけではいられない。
しかし、そこにも拘りがある。ジーパンの下には、絶対にズボン下は履かない。いや、履けない。それも若い時からの習慣でしかないが、ジーパンとズボンはまた別物で、ジーンズとは素肌に密着して履くものであり、いくら緩いだぶだぶのそれだとしてもズボン下の類はジーパンの下に履いてはならない。それは耐えられない。
たぶん我と同世代でもあまり気にしない人は、ジーンズの下にも股引を履いたりもするかもしれない。しかし、我はそういう人を密かに軽蔑している。理由なんてない。履けば暖かいし履かないのは寒くて痩せ我慢でしかない。単なる若い時からの習慣に過ぎない。
しかし、人は老いても意識あるうちは、こうしたファッションのこだわりを皮膚感覚的に持ち続けるものだと思える。それも若い時に自ら選び規定したファッション感覚に囚われるのである。
こう書いてきて我がもっと忌み嫌う衣類があることを思い出した。「ジャージ」である。【さらに続く】
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