電気を極力使わない暮らし・後2011年04月20日 23時43分53秒

★低成長、脱消費社会を考えると

 経済を考えると、単純に、生産者と消費者がいて、工業製品も含め生産されたものを消費者が買い、お金が動き、それが活発化すれば景気も良くなるし、国全体が潤い国民も豊かになっていく。
 しかし、脱原発から電気消費も抑制を余儀なくさせられると、流通も含めてモノが動かなくなり、お金も動かなくなってしまう。竹中半蔵のような経済学者たちが望む国のあり方は、消費が活発になりお金が市場に溢れ、その結果、工業、農業、漁業などに従事する生産者たちも潤い、消費量に比例して生産量も増えていくことが理想とされるのだと思う。それが経済成長であり、今の新興国、中国などを見ていると、景気が良いというのはそうしたことかと得心できる。

 だから被災地、その近県の食品、製造品を購入し、お金を使うことが一番の復興に役立つのだと理解できる。さらにはこの国全体で国民がもっともっと消費して金を使えば景気が良くなって金が動き誰もが豊かになっていくはずだ。

 自分もまた、商人の端くれとして、生産者ではないが、物流、仲介業として、そのことは実感できる。やはり本の注文が相次ぎ、こちらの懐が豊かになれば、新しくパソコンもカメラも買えるし、オーディオやCDに使う金も増えていく。それが景気回復に繋がる。

 しかし、一方、もはやこれからはそうした消費社会、特に米国に倣ったような使い捨ての消費文明は20世紀はともかく、21世紀の今、福島の原発事故以降はまず難しいとも考えている。それを望んだとしても経済は元通りにとうぶん戻らないだろうし、まして経済成長の伸びはほとんどないような気がしている。
 自分としては不要不急のものには極力お金を使わないようにしていきたいし、モノを捨てないということをライフスタイルとするならばそれをとことん使わなくてはならない。新しく買い替えることは簡単にできない。すべてがリサイクル、リユースをモットーとして、質素で簡素な生活をしなくてはならない。
 それは自分だけではなく、多くの人たちが考えていることかもしれない。幸いにして古本屋というのは、古物を扱いその中で利益を見出す稼業のわけで、新しく本を出してベストセラーで大儲けするということはできないが、細々と昔の本を一冊一冊求める人に売っていくしかない。それはそれで低成長の時代に相応しい仕事かとも気がつく。

 景気回復にはお金を使うことだが、金はできるだけ使うべきではないというアンビバレンツな感情が自分の中で行き来するが、バブルの頃だって恩恵に預かったことはないし、たとえ金があっても衣類や食事に贅沢したり車に金かけたりする人間ではないので、どんな時代でも何とか生きていけるだろう。
 ただ、これからはもっと質素にできるだけ電気代から節約して生活の中から無駄をなくして生きていかねばならない。老親たちがいなくなったら、下手したら家はあっても生活保護となってしまうかもしれない。そうならないためにも景気が戻り、新刊も売れてついでに古本も売れる時代がくれば良いなあ。