死んでいくのもまた大変だ2011年04月25日 23時05分19秒

★今月を終える前に諸々の近況を

 おかげさまで、母は退院後日増しに体力も戻り、食欲も復活し、まだ下痢気味ではあるものの元通り以上に食べられるようになった。おかげで体重も増えてきたようで、胃腸の手術した人はほとんど体重は戻ることはないという定説を覆しつつある。

 このところの母は長い入院中口から一切食べられなかった反動が出たのか、テレビや雑誌などで見る料理は全てあれもこれも食べたい食べたいと「食欲の鬼」と化してしまった。食べると後でつい食べ過ぎて苦しいと悔やむくせに、また少しするとおやつとして甘いものを食べたりしていて、こちらがそんなに食べて大丈夫なのかと心配するほどである。
 
  でも吐いたり後から大さわぎする事態にはなっていないし、腸が短くされて、食べても吸収される割合が少ないのならともかく量を食べることでしか栄養はとれないのかと思うので本人の好きなように食べさせている。体重が増え、体力もつけばガンを抱えつつもこれからの抗がん治療にも耐えられると思うし、何はともあれ人はまず食べることから生きることに繋がっているのだからこれは良いことなのだと思うしかない。

 しかし母が元気になった反面、彼女と反比例するように父の具合が全体的に弱ってきて、ボケも進んだこともだが、何より今度は彼が食べられなくなってきてしまい、どうしたものかと頭を痛めている。長年の便秘気味で便が溜まって食べられないのかとも思うものの、70代は凄い健啖家で肉でも揚げ物でも周囲が止めてももっともっと食べたいと懇願していた人が、この数年入退院する度に食欲が低下してきた。

 励ましてともかく無理ムリにでも食べさせるようにしてきたのだが、母の入院中はともかくも退院後、母が元気になって食べられるようになってきたら逆に父のほうがほとんど食べられなくなってしまった。ボケのせいなのかとも思うが、最近食欲は常にないし、食べるスピードも遅くちっともご飯が減っていかない。同じくボケた親を介助した友人からも聞いていたが、食事の途中で飽きてしまい、他のことに気が散って食べなくなるようでもある。特にテレビがついているとそっちに夢中になって全く食べなくなるから今では食事中はテレビは必ず消している。おまけにこの数日はまた風邪ひいてしまい熱はさほど高くはないが変な咳が続いている。正直なところちょっと憂鬱である。

 食べなくなれば痩せていくし、痩せれば体力も筋力も衰え弱っていく。まあ、老人というのはたいがい痩せているものだし、最後は全てが衰え衰弱して死ぬのが人の最後の筋道かとも思うが、家族としては食べないなら食べないでかまわないと放っておくわけにもいくまい。なだめすかし、頭を下げたり叱りつけたりあらゆる手を使ってともかくご飯一杯食べさせるだけでヘトヘトになる。

 それもこれも長生きしてほしいからであるが、生きていくためというより、もはや死に臨んだ年代の今は、死んでいくための道筋もなかなか大変だとつくづく思うこの頃だ。
 生きていくのも大変だが、死んでいくのもまた大変だ。長患いはしてほしくはないと思う反面、ポックリと事故や突然死で急に死なれれても困るし、このままボケがさらに進めば家では面倒見切れなくなる。今でさえ目がなかなか離せない。
 願わくば、ボケはボケとして目をつぶるとして、時間がかかろうともともかく自ら食べられて、徘徊しようとも寝たきりにならないでこの家で共に暮らせていけたらと思う。

 母が元気になってきて手がかからなくなってくると今度は父が手がかかる。今は母がいてくれるから大いに助かるが、シーソーゲームのように老いた親たちというのは必ず一方が良くなればまた一方が悪くなるものなのかと呆れ果てた。まっ、それでも生きているだけで有り難いと思うしかない。
 自分の歳で八十過ぎの親が双方とも健在なのは稀で僥倖なのだから、感謝しないとバチが当ろう。何にせよ、人は老いて死んでいくのもまた大変なのだ。