キャンディーズとその時代、70年代とはどんな時代だったのか。2011年04月24日 22時53分41秒

★今に繋がるオタク文化の先駆け、キャンディーズ。

 近くの昔通った小学校での市議選の開票に立会い、今帰ってきた。幸いのこと応援した、母のことでちよっとお世話になったこともある新人女性候補は当選できた。開票全ての確認はまだだが、現在の票と順位ならばもう当確であろう。とりあえずほっとした。


 さて、増坊はこのところ今30代前半のミュージシャンたちと懇意にすることが多いのだが、彼らは70年代後半の生まれだとして実際のところ70年代とはどんな時代だったか幼すぎて当然のこと知らないであろう。
 自分の十代はほぼ70年代と同時にシンクロしているので、中学、高校、大学時代と、70年代の青春を生きてきた。その中には、大阪万博から深夜放送とフォークソング、自主映画、ニューミュージック、そしてピンクレディー、テクノ・YMOまでごった煮のようにあれこれ詰まっている。そしてキャンディーズというアイドルグループも。

 むろん、70年代前半は子供だったし、まだ社会に出る前の若造の目で捉えた感じでしか語れないが、その10年間はとてもエキサイティングで面白い時代だったと思える。興味深いのは、前半と後半の色あいというのか、時代の感覚、雰囲気が全く異なることだ。
 70年代の前半は、まだ68、69の大学紛争や、反戦運動、フォークムーブメントの余韻が覚めやらぬ気分が続いていて、問題意識を抱えた若者の熱い時代の熱気がかなり残っていた。時代は閉塞に向かってはいたけれど、そうした若者たちは自らの手で何かを作り始めていた。

 それが後半になってくると、若者たちのその熱気はほぼ完全に冷めて、自由を求めたヒッピーや学生運動どころか、大学では無気力無感動、シラケの三無主義が蔓延してくる。そして俗に言われるオタク的な人たちも実は80年代以前に既にそこに萌芽してきている。というのは、プロデューサー秋元氏自ら語っているように、今超人気の女子アイドルグループのAKB何たらというユニットだって、そのルーツはキャンディーズであることは間違いない。彼女たちを支えた男たちこそが今思えば元祖オタクであったのだ。

 その頃、自分はフォークソングやロックバンドなど聴く事も演ることにも夢中になっていたので、アイドルには特に関心も興味もあまりなかったのだが、キャンディーズにはむくつけき男のファンがかなりいて、ダミ声を上げて、ミキちゃーん、スーちゃーん、ランちゃーん!とイベントやコンサート会場で叫んで熱く応援していたことは知っていた。女子が男性歌手や人気グループにキャーキャー騒ぐことは日劇のウエスタンカーニバルの頃からよくあったことだし、驚くに値しなかったが、大学生の男たちが、女のアイドルグループに声を枯らして夢中になって応援するとは当時は正直奇異に思えたし内心恥ずかしいとも思っていた。

 それは60年代末や70年代前半ならば、まずありえない話であり、騒乱と喧騒の時代が落ち着いて、とりあえず社会への問題意識が収まって、ヒマで時間を持て余した男の子たちが熱狂する矛先が女性アイドルに向かったのではないだろうか。
 そうしたオタク文化はコミックスやゲームを交えて今や世界に発信するほど花盛りとなっているがそのルーツは70年代後半から生まれて原点はキャンディーズだったと自分は考えている。

 というのは失礼だが、キャンディーズというグループは、一人ひとりはちっとも可愛くなかったし、踊りも唄が巧いわけでも大してビッグヒットに恵まれたわけでもなかったのだ。どこにでもいるごく普通の女の子というのが彼女たちの持ち味であり、三人揃ってキャンディーズとしての人気こそ高かった。才能もないし特に美人でもないけれど親しみやすい可愛いキャンディーズ。男子学生たちはそんな普通のアイドルだからこそ熱く燃えてがんばれーと必死に応援した。今のAKB人気だって同じことで、好みの女の子をまだ無名の頃から目をつけて、必死に応援して支え育てていく。そのマニアックさ、コダワリこそがオタク的であり、それは今の時代にもずっと続いている。

 これは不思議なことだが、女の子というのは、何人か集まると、しかも皆同じ格好をしていると何故か可愛く見えてしまう。それは女子集団に対する男子が持つ幻想に過ぎないのだが、オニャン子クラブにせよ、AKB48にせよ、よく指摘されるように一人ひとりはちっとも美人でも可愛くも何ともない。それがただ集まって沢山いるだけでパワーを発し男たちは魅かれてしまう。そうしたオタク向けアイドル、ガールズグループのルーツこそキャンディーズであり、同時代にピンクレディーはいたがあれでも個々のアーチスト、パフォーマーの実力派コンビであった。ゆえにピンクレディーは女子供にすごく人気があったし、キャンディーズはほぼ男子大学生専門と言って良かった。

 彼女たちの残した有名な言葉に「普通の女の子に戻りたい」というのがあったが、そう、まさに元々は普通の、どこにでもいる女の子が集まってアイドルとして人気が高まり、男たちが夢中になって応援していった。世の大人たち、識者は、いい歳した男が何を騒いでいるんだと眉をしかめた。フツーだから可愛い、あるいはダメだから応援したい、そしてそんな女の子を人気アイドルとして育てていきたい。こうしたファン心理は自分にはもう一つ理解できないが、男性、それも現実世界ではあまり女性と縁のない若い男の中には、70年代半ば以降今も続いているオタク的心情だ。その最先端のアイドルが今ならさしずめAKBの落ちこぼれ“さしこのくせに”であろうか。
 オタクとは実に奥が深いものだと嘆息してしまう。

 それはともかくスーちゃんお疲れ様でした。本当はアイドルを引退してプロの役者となった彼女のことについて書くべきだったが紙面が尽きた。昔から実は一番好きでした。合掌。