懐かしのキッド・アイラック・ホールへ行った。2011年07月04日 00時10分41秒

★原将人監督「初国知所之天皇」を部分的に8ミリで観てきた。

 今これを書いているのは7月3日の夜零時過ぎ。正しくは4日の午前零時を回ったところだ。
 このブログ会社のシステムは、その日のうちに書かないと、後追いで過ぎた日の分を書き込むことはできない。なので、空白日を作らないためにも帰りが遅くなりそうな日は予め出かけに、見出しとかちょこっとだけ書いてアップさせなくとも送信だけはするようにしている。さすれば後ほど時間あるときに書き足し書き直したりしてもその日のうちに書いたことになる。

 今日3日は友人に誘われて京王線明大前駅近くのキッド・アイラック・アート・ホールへ夕方から出向いた。観なくてはならない映画の上映会がそこのホールであったからなのだが、体調もすぐれず最後までおらず、向こうを10時過ぎ先に出たので、零時前には家に戻れた。※その映画については後ほど別に書き記しておきたい。
 が、シャワー浴びてから夜食を作ったりしてそれを抱えて二階に上がり零時5分前にパソコンに向かったのになぜか起動に時間がかかり零時を過ぎてしまい今日3日分に間に合わなかった。

 出かけても日付が変わらぬうちに家に帰る。このところの自分のモットーはこのことで、たとえ不義理をはたらいて付き合いを抜け出してもともかくその日のうちに帰宅したいと決めている。むろん、立川からの青梅線が動いているうちに帰れれば問題はないのだが、そこにリミットを合わすと果たしてその終電に乗れるかドキドキハラハラするし、結果として乗り遅れてまたとぼとぼ歩いて一時間以上かけて帰るはめとなる確率が高い。
 ならばともかく、日付が過ぎる前に家に帰ることに決めておけばそうした災難からはまず逃れられる。出かけてもできるだけ早く家に戻っていたい。それは体調も悪いからだが、もはや体力は若いときのようになく、夜更かししたり無理すると後々疲れがずっと残る。

 このところ私淑している京都の詩人、有馬敲氏の生き方を見、いかに自己管理が大切か深く思い至ったこともある。人との付き合いも大切であるが、無理して、まして深夜に一時間も酔っぱらって歩いたりするととうぶん立ち直れない。何日も寝込む。命を縮めるだけだ。義理を欠いても御身大事だとようやく気がついた。
 
 もう若くないし先も長くない。まして看取ってくれる身内もいない。ならば自らが節制して自制することだ。出かけたとしても日付が変わらぬうちに家に戻るようにしないと後が怖い。
 自分にはまだ成すべきことがあるかとも思う。いや、なくたって誰にも頼れないし誰も助けてはくれない。自分も身勝手だが人もまた身勝手なのだ。みんな身勝手なのだからそれはそれで仕方ないではないか。

 もう無理して人に合わせたり辛いことを我慢するのもやめにした。人のために生きたいと切に願うが、そのことと御身大事であることは矛盾しないと思っている。よくも悪くもまずは自分の体が資本なのだから。