ほんの少しでも先行きが見えてきました。2011年07月13日 22時24分26秒

★ようやく人生再建と生活復興の兆しが見えてきた。

 今も避難所で暮らすことを余儀なくされている被災地の方々、また放射能汚染に振り回され農漁業に大きな打撃を受けている方々には本当に申し訳ないという思いあるが、私ごとにおいてはほんの少しではあるが、今後の先行きがようやく見えてきた気がしている。


 連日の猛暑の7月も半ばを迎えようとしている。私ごとを書かせてもらうとようやく今頃になって生活復興の兆しが見えてきたように思える。人生再建というと大げさであるが、去年2010年はともかく狂瀾狂気怒濤の忙しさで生活も何もすべてがめちゃくちゃとなってしまった。

 それは春先から音楽企画で忙しかったこともだが、そこに家の工事が始まり、ようやくライブ活動が一段落したと思ったら体調を崩していた母の病気が悪化して、年明けから入院となり、かなり進んだ癌が発見されその転移で腸閉塞を起こして一時は死も強く覚悟した。幸いおかげさまで癒着部分の大腸を1m近く取り除く手術は成功し、3月末には退院し家に戻ることもできた。

 その後の経過はまあこともなく、体調も体重も病気前に戻ったわけではないが、検査数値を見る限り癌の再発は抑えられているようで、本当に喜ばしい。今は家事などもずいぶんできるようになってきたし、増坊の家事にかかる負担もだいぶ軽くなってきた。

 しかし昨年の春先から今年の春までの丸々一年間、そんな超多忙の慌ただしさに自分の人生はふりまわされ、お金のことも物もきちんと整理も記録もないがしろになって部屋も机の上も頭の中さえも混乱の極み、しっちゃかめっちゃかになってしまっていた。忙しさは言い訳にならないがともかく毎日忙しく出かけてばかりいたからだ。

 おまけにそこに春先に家の工事が一応「完成」終了したことで、近くに借りている倉庫に預けてあった本や衣類、雑貨類などが新居に戻すこととなって、ただでさえモノが溢れて混乱していた自室にまたさらにモノが増える結果となった。足の踏み場がないどころか、例として適切ではないが、津波に襲われた沿岸部のガレキの山状態になってしまったのだ。
 それをこのひと月ほど、友人を招いて公開イベントも企画したこともあって、親たちの病院送り迎え以外はほとんど出かけずけんめいに片づけていた。ガレキと同じくまずは分別し整理し保存するもの以外は処分していく。正直なところまだまだボーダイな量が残っていて、果たして年内に整理分別が終わるか心もとないが、それでも当初よりは整理が進んで先行きが見えてきた。

 ようやくだが、今この自らの人生をもう一度再建、再生させたいと思う。家もできたし、親たちもとりあえずは回復している今、最後のチャンスかもしれない。

 残りの人生あと何年あるのか、いつまで体が動くのか不安に思う夜もあるが、焦っても慌ててもしょうがない。ゆっくりでいいから確実に、ていねいに人生の目標に向けて止まることなく歩を進めていくことだ。