高坂一潮さん再び 追悼番組に向けて2011年07月06日 17時26分02秒

★一潮さんについて思い出や情報をお寄せ下さい。

 先だって、青森のシンガーソングライター高坂一潮さんが闘病の末に亡くなられたことを当ブログで書いた。かえすがえすも本当に残念であり、今もふと時折彼の「だびよんの鳥」のメロディーが頭をよぎっていく。

 一度しかお会いしたこともない自分が、書くべきか迷いもし僭越を承知で書き記したわけだが、幸い何人か彼のファンの方々から反響が届き、自分なりの彼に対しての思いを書き残せてよかったと安堵した。

 青森の放送関係の方で、伊藤さんという方が、拙ブログのその回のときコメントをくれた。以下それを改めてここに転載しておく。


 現在(2011年6月)、青森ケーブルテレビで一潮さんの追悼番組を企画しています。01年11月~02年10月まで、一潮さんと一緒に青森市内およびその近郊を歌で旅する「一潮のぶらり一人旅」というコーナーを制作・同行しました。その映像を中心に何とかできないかと考慮中です。
 一潮さんとは知り合いですが、当方はミュージシャンの世界には疎く、本人にも歌について深くたずねたことがありません。ぜひ、みなさんが知っている一潮さんの人となり、エピソードがあれば教えていただけませんでしょうか。番組の完成は今年中にはと考えています。(欲を言えば2時間番組にしたい)よろしくお願いいたします。
 申し遅れました。私こと、青森ケーブルテレビの嘱託として勤務する者です。だびよん劇場が閉店する際に縁あって、「さよなら会」の司会を担当しました。(青森にて)


 
 増坊も知る限りの情報をさっそく伊藤さんのところにメールいたしたが、むろん思い出は人の数だけあるのだから、追悼の番組により多くの情報が寄せられることを望む。※コメント欄にご連絡先など書き込んで頂ければ、伊藤さんのほうに転送いたします。

 自分はだびよん劇場も青森の音楽シーンについても詳しくない者だが、一潮さんのステージを一度でも観れたことは光栄に思うし、五郎さんに倣って、彼のことと彼のうたは歌い継いでいきたいと思っている。

 それにしても青森の沿岸部も今回の大震災でかなりの被害があったことだろう。彼はこの大災害にも意識目覚めることなく逝ったわけだが、こんな時代だからこそ彼のうた=暖かい人柄と明るい歌声が強く求められていると思う。その彼がいないことは残念でならない。きっと彼の魂は被災地をさまよい人々を影ながらはげましつづけていることと信ずる。

8ミリ映画とキッド・アイラックホール・12011年07月06日 21時20分47秒

★「過去」を今一度見直して考えたことなど

 時は過ぎ行く。
 何かしようと、何もしないでいようと時は休みなく過ぎ行く。
 あの日から早くも四ヶ月が経とうとしている。そして何一つ解決も進展もしていないのに時間だけは確実に過ぎていく。
 
 どうしたことかこのところ体はガタガタで、疲労感がとれず体は重くともかく足がだるく重たい。ふつう眠ればいくぶん疲れは抜けて体は軽くなりスッキリ起きられるはずなのだが、今日も朝起きたときから両足が重くだるく痛い。どうしたことか。

 男にも更年期があるというし、先月はあれこれ雑事や搬送に追われてかなり無理したから疲れも溜まったはずで理由なくもない。が、このところは大した作業もせず出かけることも少なく家にいられるのにこの疲労感である。まだ老人だという認識はないが、これが50代相応の肉体の現実なのだろうか。ともかくだるい、かったるい。理由なく疲れている。単なる夏バテに思えない。
 ならば知っている60代のフォークシンガーたちのほうがよっぽど元気で心身ともに若々しいではないか。フォークソング健康法というものがあるのかもしれない。まあ、それは日々人前で唄うことなのだろうが。

 浅川マキがけだるく歌う「こんな風に過ぎていくのなら」が今日は頭の中を流れている。こんな風に過ぎて、時は過ぎ、箱舟は去り、気がつけば歳だけとってしまった。
 よくも悪くも、いや、良い悪いではなく、全てこれが現実であり、新たな出会いもなくはないが、人は次々消え去っていく。今週末にはまた葬式ができた。
 寺山修司は、M・デュシャンの言葉をひいて、「死ぬのはいつも他人ばかり」と口にしていたと聞くが、そういった当人が若くして死に、気がつけば自分も彼の死んだ歳をとうに越えてしまった。
 今こう体調がおかしいと、この肉体のどこかに病気があるのではないかと不安になるし、もしかしたら先行きも長くないような気がしている。

 先日久しぶりに8ミリ映画を観た。しかも場所はキッド・アイラック・ホールであった。その映画も70年代に撮られたものであったが、改めて今この自分が21世紀に生きていて、あの頃、あの時代を振り返るきっかけとなった。そしてそこにある「距離」に驚かされた。
 山登りしていると、ふと今まで歩いた道を振り返って見たとき、あの山からここまでずいぶん歩いてきたんだとその距離に驚くときがある。それと同じように、じぶんがかつて慣れ親しみ、自らも回した8ミリフィルムの映画は今の目で見直すとずいぶん大昔の「過去」のものでしかなかった。※何回か書き足せたら書き足す予定です。