8ミリ映画とキッド・アイラックホール・12011年07月06日 21時20分47秒

★「過去」を今一度見直して考えたことなど

 時は過ぎ行く。
 何かしようと、何もしないでいようと時は休みなく過ぎ行く。
 あの日から早くも四ヶ月が経とうとしている。そして何一つ解決も進展もしていないのに時間だけは確実に過ぎていく。
 
 どうしたことかこのところ体はガタガタで、疲労感がとれず体は重くともかく足がだるく重たい。ふつう眠ればいくぶん疲れは抜けて体は軽くなりスッキリ起きられるはずなのだが、今日も朝起きたときから両足が重くだるく痛い。どうしたことか。

 男にも更年期があるというし、先月はあれこれ雑事や搬送に追われてかなり無理したから疲れも溜まったはずで理由なくもない。が、このところは大した作業もせず出かけることも少なく家にいられるのにこの疲労感である。まだ老人だという認識はないが、これが50代相応の肉体の現実なのだろうか。ともかくだるい、かったるい。理由なく疲れている。単なる夏バテに思えない。
 ならば知っている60代のフォークシンガーたちのほうがよっぽど元気で心身ともに若々しいではないか。フォークソング健康法というものがあるのかもしれない。まあ、それは日々人前で唄うことなのだろうが。

 浅川マキがけだるく歌う「こんな風に過ぎていくのなら」が今日は頭の中を流れている。こんな風に過ぎて、時は過ぎ、箱舟は去り、気がつけば歳だけとってしまった。
 よくも悪くも、いや、良い悪いではなく、全てこれが現実であり、新たな出会いもなくはないが、人は次々消え去っていく。今週末にはまた葬式ができた。
 寺山修司は、M・デュシャンの言葉をひいて、「死ぬのはいつも他人ばかり」と口にしていたと聞くが、そういった当人が若くして死に、気がつけば自分も彼の死んだ歳をとうに越えてしまった。
 今こう体調がおかしいと、この肉体のどこかに病気があるのではないかと不安になるし、もしかしたら先行きも長くないような気がしている。

 先日久しぶりに8ミリ映画を観た。しかも場所はキッド・アイラック・ホールであった。その映画も70年代に撮られたものであったが、改めて今この自分が21世紀に生きていて、あの頃、あの時代を振り返るきっかけとなった。そしてそこにある「距離」に驚かされた。
 山登りしていると、ふと今まで歩いた道を振り返って見たとき、あの山からここまでずいぶん歩いてきたんだとその距離に驚くときがある。それと同じように、じぶんがかつて慣れ親しみ、自らも回した8ミリフィルムの映画は今の目で見直すとずいぶん大昔の「過去」のものでしかなかった。※何回か書き足せたら書き足す予定です。

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