世界を変えたいと望むなら2011年08月03日 22時33分07秒

★自らが変わらない限り世界は変わらない。

 このところ古本商売のほう、少しづつだが、注文が戻ってきた。理由は簡単で、家にこもって精力的に出品しているからだ。
 今、Amazonマーケットプレイスでしか古本は売っていない自分であるが、それでも常に売れた分以上に新たに本を補充していかないことには売り上げは落ちてくる。当たり前のことではあるが、たくさん新たに出品すればたくさん注文が来るし、何もしなければ出品中の本であってももはやそれは売れ残りの不良在庫でしかなく、値段を下げるかして再度出品しなおなさない限り絶対に売れることはない。
 
 何だかんだ家のことやら雑事に追われて落ち着いてパソコンに向かう時間がなく、このところ新規出品を怠っていたら先月ぐらいから一冊も注文がない日が何日も続くようになり、売り上げは数千円という情けなくも悲惨な状況に陥りさすがに奮起した。
 ともかく新しく出品さえすれば早いときは出した当日にすぐ注文が入る。まさに右から左に売れていく。だったら真剣に商売に取り組めばそれなりの儲けは間違いないのであるが、いかんせん、本の検索にも時間がかかるしパソコンに向かう時間も限られるので捗っても日に10冊出せるかどうかだ。それでも意を新たにしたし、すべて自らアクションを起こさない限り何も始まらないし動かないのだと思い直した。

 歳とって良いことは昔はわからなかったことが見えてきたことだ。
 このところの確信として天啓のように閃き、わかったことがある。それは、もし何かを変えたい、変わりたいと望むならば、まずは自らが変わることから始めないとならないということだ。つまり自分が変わらない限り世界は何も変わらない。
 これは政治だって社会だって国の在り方だって同じで、人任せにして、変わってほしいなあ、そろそろ変わっても良いころだと思ったとしても絶対に何も変わらない。変わったとしてもそれは自民党から民主党に代わった程度の変化であり、本質も実態も何一つ変わることはない。

 人は実は何だってできるし何だってなれるのだが、漠然と〇〇になればいいなあ、なりたいなあと思っているだけでは変わるはずがない。棚からボタモチという運の良い話はまずないし、あったとしても人生が狂わされてしまう。ますはそれなりの最低限の努力やアクションを起こさないとならない。俗に買わないと宝くじは当たらないの喩えがあるように、もしそれを真剣に望むならそのためには新たなことを始めないとならないのだ。

 だから変えたい、変わりたいと思うならばまず自らが変わらないとならないし、逆に変わりたくないと願うならば今までの習慣を頑なに守ること、保守に徹するしかない。その中間は決してないし今の管首相のようにその場しのぎの日和見主義と化していく。

 そして世界とは、実は自分の外の目に見える世界に過ぎないのだから終わらせることだってできる。つまり自分が死んでしまえばその時点で世界も終わる。しかしそれは個人の意思でしてはならないことだ。何故かって? それは命は自分だけのものではないからだ。

 最近になってわかったことがある。家が人間の体を包み込む入れ物であるように、この肉体も魂を包み込む器、入れ物なんだと気が付いた。その話は長くなるのでそこまでにしておく。

 自分はずっと変わりたい、自らを変えたいと望んできた。しかし、じっさいのところ安楽な場所で安閑として、漠然と変わっていくことを夢想していた。それでは人生は何一つ変わらない。そしてこの世界も変わっていかない。それが何故かようやくわかってきた。
 そう、自分が変わらない限り世界は何一つ変わらないのだ。