世界を自ら終わらしてはならない ― 2011年08月04日 16時59分22秒
★さまざまな自死に思う。
今日も朝からどんよりとした曇り空。時おり晴れ間も覗くが、小雨がぱらついたりとすっきりしない。気温はさほど高くはないが湿気が多く蒸し暑い。
8月に入ってから梅雨に逆戻りしたような鬱陶しい日が続いている。節電が叫ばれるこの夏だが、涼しくて助かるとか言う前に、やはり夏は夏として陽射しが照りつけるような暑さがほしい。何しろまだ8月に入ったばかりなのだ。このまま秋になっては暑さが苦手な自分でさえ困惑してしまう。
このところ自分にとって関心あるある意味重要な人たちの死の報が続いている。小松左京は歳相応に迎えた死だと思うしさほどファンでもなかったので思うところは少ないが、原田芳雄の早すぎる癌死もこたえたが、それよりも伊良部や中村とうようの自殺が気にかかる。
もとより野球など関心ないし、大リーグであろうと真剣に観ることのない自分だが、伊良部のことはずっと気にかかっていた。複雑な環境に育ち、類稀なる才能を持ちながら、人間的に問題を抱え、結局球界ではそこそこの成績は残したものの大成はせず、問題児としてトラブルで知られ、結局日本に戻ることなく米国の地で自ら首を括ってしまった。
まだまだ若く、やり直せる人生もたっぷり残っていたのにどうしてこんな選択をしてしまったのか。しかし、その悲報を知った時もさほど驚きはしなかった。強面で知られいっけん豪気に見える人こそ、実は誰より弱さを抱えて、さびしがり屋であり、根幹の部分が脆い。
人を威圧し虚勢を張るのは弱い人間だからで、本当に強い人は威張らないし怒りも暴れもしない。だから伊良部のことが気になるというのは、良いときはともかく悪いときは下手すれば自殺するだろうという予感があったからで、その報を知り、ああやっぱりかと思う反面それにしても早すぎるではないかという憤るような思いさえあった。
中村とうようのことはまず先に死の報を知り、まあ、歳も歳だから仕方ないかと思っていたら後から飛び降り自殺だと知り驚かされた。
個人的に面識もなく、若いときからどちらかと言えば好きな人ではなかったが、それでも彼からは多くのものを教わったし、ニューミュージックマガジンを創めとして彼の音楽文化に対する貢献は高く評価すべきだと思う。それに対して新聞記事の扱いが不当なほどに小さくて、この国のサブカルチャー、ロックやフォークに対する文化としての認知度は今も昔と変わらずに低いことを痛感した。そのことは先に今野雄二氏のときも感じたことだったが。
とうようさんの業績や自分が彼から教わったことなど後日書き記したいと思うが、それにしても何故に自ら命を絶ったのだろうか。身辺整理として、彼の膨大なレコードから楽器まで音楽コレクションは武蔵美に全て寄付したことも聞いていたし、やはり死後のこともきちんとさせての覚悟の死だと思うとなおさら理解に苦しむ。怒りのような感情さえ湧く。
それはあの加藤和彦のときに感じた驚きであり、今野雄二のときもまた近しいものがあるように思える。とうようさんの場合は決して若くはないが、皆それぞれ音楽を深く愛し、素晴らしい仕事をたくさん残した人がその世界を自らの手で早く終わらせてしまう。音楽は音楽人の自死を食い止める力はないのか。
むろん皆それぞれ深い悩みを抱えたり病苦に苛まれていたのだろうと想像するが、そのときは一人暮らしで孤独であり、淋しさもあって死の誘惑はいつしか心を深く侵食してしまったのかも。誰か止める人はいなかったのか。
告白すると自分もまた孤独に耐えきれなくなれば、自死を考えるタイプの人間であり、決して他人事として彼らのことを非難も擁護もできやしない。何度もことに及ばないだけでその誘惑に襲われた。
しかし、フクシマの地で、津波に襲われ破壊尽くされた廃墟の町に立ち「世界の終り」を一瞬でも垣間見てからは、だからこそ人は生きねばならないと気がついたし、どんなに破壊されてようとも世界は絶対に終わらせてはならないと誓った。
人は、生き物はいやでも間もなく必ず死んでいく。何も慌てて自らその世界を終わらせる必要はない。生きて生き抜いてその世界を少しでも長く続けていくこと、変えていかねばならない。世界は変わる。生き続けること。生き続ければ世界はきっと良くなると信じて。
今日も朝からどんよりとした曇り空。時おり晴れ間も覗くが、小雨がぱらついたりとすっきりしない。気温はさほど高くはないが湿気が多く蒸し暑い。
8月に入ってから梅雨に逆戻りしたような鬱陶しい日が続いている。節電が叫ばれるこの夏だが、涼しくて助かるとか言う前に、やはり夏は夏として陽射しが照りつけるような暑さがほしい。何しろまだ8月に入ったばかりなのだ。このまま秋になっては暑さが苦手な自分でさえ困惑してしまう。
このところ自分にとって関心あるある意味重要な人たちの死の報が続いている。小松左京は歳相応に迎えた死だと思うしさほどファンでもなかったので思うところは少ないが、原田芳雄の早すぎる癌死もこたえたが、それよりも伊良部や中村とうようの自殺が気にかかる。
もとより野球など関心ないし、大リーグであろうと真剣に観ることのない自分だが、伊良部のことはずっと気にかかっていた。複雑な環境に育ち、類稀なる才能を持ちながら、人間的に問題を抱え、結局球界ではそこそこの成績は残したものの大成はせず、問題児としてトラブルで知られ、結局日本に戻ることなく米国の地で自ら首を括ってしまった。
まだまだ若く、やり直せる人生もたっぷり残っていたのにどうしてこんな選択をしてしまったのか。しかし、その悲報を知った時もさほど驚きはしなかった。強面で知られいっけん豪気に見える人こそ、実は誰より弱さを抱えて、さびしがり屋であり、根幹の部分が脆い。
人を威圧し虚勢を張るのは弱い人間だからで、本当に強い人は威張らないし怒りも暴れもしない。だから伊良部のことが気になるというのは、良いときはともかく悪いときは下手すれば自殺するだろうという予感があったからで、その報を知り、ああやっぱりかと思う反面それにしても早すぎるではないかという憤るような思いさえあった。
中村とうようのことはまず先に死の報を知り、まあ、歳も歳だから仕方ないかと思っていたら後から飛び降り自殺だと知り驚かされた。
個人的に面識もなく、若いときからどちらかと言えば好きな人ではなかったが、それでも彼からは多くのものを教わったし、ニューミュージックマガジンを創めとして彼の音楽文化に対する貢献は高く評価すべきだと思う。それに対して新聞記事の扱いが不当なほどに小さくて、この国のサブカルチャー、ロックやフォークに対する文化としての認知度は今も昔と変わらずに低いことを痛感した。そのことは先に今野雄二氏のときも感じたことだったが。
とうようさんの業績や自分が彼から教わったことなど後日書き記したいと思うが、それにしても何故に自ら命を絶ったのだろうか。身辺整理として、彼の膨大なレコードから楽器まで音楽コレクションは武蔵美に全て寄付したことも聞いていたし、やはり死後のこともきちんとさせての覚悟の死だと思うとなおさら理解に苦しむ。怒りのような感情さえ湧く。
それはあの加藤和彦のときに感じた驚きであり、今野雄二のときもまた近しいものがあるように思える。とうようさんの場合は決して若くはないが、皆それぞれ音楽を深く愛し、素晴らしい仕事をたくさん残した人がその世界を自らの手で早く終わらせてしまう。音楽は音楽人の自死を食い止める力はないのか。
むろん皆それぞれ深い悩みを抱えたり病苦に苛まれていたのだろうと想像するが、そのときは一人暮らしで孤独であり、淋しさもあって死の誘惑はいつしか心を深く侵食してしまったのかも。誰か止める人はいなかったのか。
告白すると自分もまた孤独に耐えきれなくなれば、自死を考えるタイプの人間であり、決して他人事として彼らのことを非難も擁護もできやしない。何度もことに及ばないだけでその誘惑に襲われた。
しかし、フクシマの地で、津波に襲われ破壊尽くされた廃墟の町に立ち「世界の終り」を一瞬でも垣間見てからは、だからこそ人は生きねばならないと気がついたし、どんなに破壊されてようとも世界は絶対に終わらせてはならないと誓った。
人は、生き物はいやでも間もなく必ず死んでいく。何も慌てて自らその世界を終わらせる必要はない。生きて生き抜いてその世界を少しでも長く続けていくこと、変えていかねばならない。世界は変わる。生き続けること。生き続ければ世界はきっと良くなると信じて。
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