今年のええかげん祭の報告・①2011年08月11日 08時24分48秒

★浮かれすぎて撮影失敗しました(泣)・・・

 京都から戻って二日目、今日11日も出かけたり、食事、家事の合間を縫ってはひたすら昼寝した。ようやく体調は戻ってきたかと思うし、今回のミニ関西旅行のまとめと決算を早くしないとならない。

 で、持っていったデジカメから撮影データをパソコンに取り込もうとしたのだが、暑さのせいなのか立ち上がりも悪くカメラから出したSDカードをノートパソコンに差し込んでも反応がない。旧いパソコンのときは、カメラとPCをケーブルで繋いでデータを転送していたのだが、ようやく最近になって、カードからも直截繋げられることがわかったのだ。

 しかし今回は何故かうまくゆかず、ようやく今日になって、撮影データの取り込みに成功した。で、確認してみて愕然とした。というは、7日のええかげん祭りの画像として撮れていたのは、最後のほうの中川五郎さんのステージからで、以降ラストシーンまではあったものの、その前の昼からのステージから村上律氏までの分、全てが何も撮れていない、いや残っていないのである。

 昼から始まったこのイベント、自分としては、出たミュージシャンは各自それぞれ一人最低でも4~5枚は撮っていたはずだし、いちいち確認はしなかったが、撮れているはずだった。それが全部消えてしまっている。
 デジカメの構造上、その時点まで撮れていなかったとは思えないし、また意識して消さない限り一括して消えてしまう理由がわからない。カメラから出したカードをあれこれいじっているうちにキズでもついて再生できなくなってしまったのか。手元の2×3センチにも満たない薄いプラスチックの板をまじまじと見つめて溜息をつくばかりであった。まあ元からこんなものに全幅の信頼はおいてなかったのであるが。

 昔の35mmフィルムなら現像ミスやフィルム自体の紛失はあったけれどこれほど大量な撮影失敗はありえなかったはずで、本当にデジタルの世界は怖いし油断ならぬとつくづく思った。
 考えてみれば、昨年の第二回隅田川フォークフェスだって、頼んでいたビデオ撮影は、ライブ自体が長時間になりすぎて収録できる時間を超えたため、自動的?にまた頭から消しての撮影となってしまったようで、今手元にあるのは、盛り上がったエンディングの場面だけ数分だけだ。
 アナログの時代ならたとえ何か失敗したとしてもその局所に留まったはずのものが、デジタルはデータはすべて一気に失われてしまう。そして修復はまず不可能だ。一つのミスや不具合がシステムを通して一気に広がってしまう。本当に常に心して覚悟の上で注意しないとならなかったのだ。

 まあ、音楽とは目に耳に焼きつけ、心で楽しめという風太の論理でいけば、自分のやっていることは邪道であり、これもまた彼らの呪いなんかなあとも思う。一度ケチのついたカメラはお祓いでもしないとダメなんやろかとも。
 まあ、これからも懲りずにオレはこうした記録をやっていくし誰かが書き記していくことでしかサブカルチャーは存在したことにはならない。画像がなくとも文章で何とか補足して報告していきたい。

 そう、考えてみれば今回もええかげん祭りに行けて、大好きな素晴らしいミュージシャン達のうたをたっぷり聴けて、多くの人たちと出会うことが成った。人と会い、人と人を結び繋げる役割を少しでも担うことができたかと思う。それだけでも行ったかいがあったし、無駄ではなかったと信ずる。※今回出合えた人たちのことはまた稿を改めて書きたい。

 失敗とトラブルは我が影法師。だからといって臆してどこにも出かけず誰とも会わなければ閉ざされた人生はますます窮していく。後悔はしても反省はしないバカな自分だが、これからはできるだけ注意してやっていこうと思った。

大震災から五ヶ月が過ぎた日に2011年08月11日 08時25分33秒

★人それぞれの生活の柄

 今日も朝から猛烈に暑い。7時過ぎると焼けつくような陽射しが照りつける。
 昨晩は冷房を入れて早めに寝て久しぶりにぐっすり熟睡できた。
 こうして狭いベッドであろうと、誰にも気兼ねせず手足を思う存分伸ばして眠れるのは実に有難いことだとつくづく思った。今も避難先で個室など持てない暮らしをされている被災された方々には本当に申し訳なく思う。
 短くとも家を空けて移動のバスの中や現地の小屋の中で仮眠としての浅い眠りをとることになって、改めて睡眠の重要さを痛感した。食べることの大切さと同様かそれ以上に休養と回復のためにも眠ることの質と量の確保に人はもっと気を配るべきではないか。


 ご存知、高田渡のうたった和製ホーボーズソング『生活の柄』の原詩は沖縄の詩人山之口獏のものだが、浮浪者は夏はどこでも草叢の中でも眠れたが、秋になり寒くなっていくと野外では眠れないとうたっている。また、「長距離トラックの響きがオイラにゃ子守唄」というフレーズを記憶する『ホーボーズララバイ』など旅での眠りはよく唄に歌われている。が、我が身に置き換えるとこれはじっさいのところはかなり辛いと言わざるえない。

 増坊は近年、全国どこでも出かけなくてはならないときは、まずは深夜の高速バスの便があるかネットで値段とルートを調べ一番安い便を利用している。都心を夜11時頃に出て、目的地に早朝着くというのは一泊分の宿泊費と交通費が一緒になったようなものだから肉体的に辛くても安さ至上主義でトイレ無し四列シートに乗って大阪でも徳島でもどこでも行っていた。

 しかしこのところ件の詩に倣えば、「この頃は眠れない。高速バスでは眠れない。寝たかと思うと寝たかと思うと、トイレ休憩で起こされ眠れないのです」なのである。四列シートは当然のこと狭いわけで、まったくの他人と肩を寄せ合って眠らねばならない。隣がデブだと窮屈で押し潰されそうだ。窓際の席ならともかく通路側なら停車の都度揺り起こされる。
 登山も趣味であった自分は山小屋にも多く泊まったことはあるが、あそこも狭いことは狭いがとりあえず眠ってしまえば車の振動などはないから熟睡してしまうし出発まで自らの意思以外起こされることはない。

 それでも昔は高速バスでも眠れたように思えるし、大して辛いと思ったことはなかった。あくまでも格安の移動手段であり、たとえ次の日がしんどくとも安さと朝着くという利便性は魅力的だったからだ。
 しかしこのところはそうした「生活の柄」が回を重ねるごとに辛くなってきたようで、今回の三泊旅行は、現地できちんとしたホテルで眠らなかったこともあって睡眠に関してはある意味地獄だと思ってしまった。要するにそれだけ老いてきたということなのか。

※長くなったのでもう一回続きを書きます。