本日は浅草木馬亭で岡大介独演会2012年10月13日 10時40分29秒

★戻ったらまた報告いたします。

 爽やかな秋晴れが続く。このところめっきり寒くなって秋も本番たけなわである。母のかかりつけの病院の隣にある小学校では今日が運動会であった。いよいよこれから紅葉の季節、そして木枯らしが吹くとすぐに冬が来る。

 さて、今年もまた岡大介の浅草での独演会のシーズンとなった。今回は、盟友ラッパ二胡の小林君に別れを告げ、ほぼ岡さん単独でのまさに「独演会」である。乾坤一擲、心機一転、満を持しての新たなカンカラワールドが見られるかカツモクしている。

 増坊は先の検査以後体調もう一つなのだが、長年の付き合いでもあるし今日は無理を押して出かけるつもりだ。果たして前回の雪辱なるか。またロケット団は登場してしまうのか。まさに岡大介、今後を占う正念場である。

 戻ったら報告いたします。ではまた。

良い確かなうたは観客の心をしっかりと掴んだ。2012年10月13日 23時53分46秒

★岡大介よ茨の道をあえて歩め!

 今晩の浅草木馬亭、岡大介の独演会から帰ってこれを記す。
 昨年のこの会があまりにひどかったから、深い付き合いある友人として、応援してきた一ファンとして、観客としてかなり厳しい苦言を書いた。次回もこの愚を繰り返すようならば岡大介に明日はもうないと。

 その意味で、もう後のない、言わばぎりぎりのところで、起死回生なるかと不安と期待が高まった今年、4回目となる独演会、彼は見事立ち直った。客席はほぼ満席しっかり埋まったし、補助席、立ち見も出るほどお客も集めたし、何よりも緊張感を持ったステージは、これまでとは一皮もふた皮も向けた気合の入った良い出来であった。万雷の熱い拍手を受けて、彼自身、初めてしっかりした、お義理ではない手応えを感じたことだろう。歳は離れているが友人として自分事のように嬉しい。

 ただ、手放しで誉めるわけにも心から満足したというわけではもちろんない。今回は、添田唖蝉坊生誕140年記念うた会とチラシに銘打ったように、唖蝉坊とその息子知道=さつきの曲中心に、ギターなど一切使わずにかんから三線1本のみで、フォーク色を完全に排除した「演歌」中心のステージに終始した。そしてそこに監修かつお目付け役として、唖蝉坊親子とは誰よりも詳しい、正統な伝承者としての土取利行氏がゲストかつサポートとして加わり、いわば師匠を前にしての唖蝉坊学校「発表会」という様相でもあった。

 これまでの岡大介の独演会は他の居酒屋でも同じく、常にアットホームで、ある意味観客、共演者との馴れ合い、グズグズでも成り立ってきた。またそれがある意味彼のライブの面白さでもあった。特に、ここ木馬亭での独演会は、独演といいつつも盟友小林寛明との二人会であって、いわば掛け合い漫才的どうしようもなさで間合いが何とか成り立っていたことは否めない。
 
 今回はそうした従来のだらだらグズグス度は極力廃して、岡は最初から最後まで師匠の顔色を窺うように緊張感を強く持ちつつ一人でステージを進めていった。そしてそれが今回はとても効をそうした。
 唯一の計算違いは、唖蝉坊親子=正統演歌の師、ゲストの土取氏に任せた30分枠の場であり、つい彼の話が長引いて予定時間をはるかに越えた芸能史の「講義」と化してややバランスを崩したことだ。しかしそれは自分のような芸能音楽研究者からすればそれこそ興味深く、意義ある場であったが、岡の独演会としてみればやや専門的、アカデミックになりすぎたきらいがあった。土取氏の話はあまりに学術的過ぎて一般観客にはほとんど何のことかわからない話で本来あろう。
 しかし、それでも今日のお客様は退屈はせず、じっと耳を澄ませ場もだらけなかったのだから今回は実に良い客層に恵まれたと今にして思う。まあ高齢者がかなり来ていたということもある。

 だから今日の岡は、これまでとは違い、彼の長年の持ち歌である唖蝉坊親子の曲もややキーや節回しを微妙に変えて、まさに正しく、正統派に調整してうたっていた。つまりこれまで高田渡たちがつけたカントリー的フォーク色を今回完全に抜いて、本家、元祖の姿にうたをもどしたと気づかされた。そうしたひたすらな努力と三線も新たに習いなおした成果が実を結び、はるかにこれまでの彼とは段違いの出来の演奏とうたとなった。じっさい今までの彼のかんから三線、そしてそれでのうたは実に小手先のものに過ぎなかったと改めて気づかされた。
 そう、小手先というならば、これまでの木馬亭の会はすべてそうした小手先、行き当たりばったりの安易な取り組みであったのだと今にして気づく。好漢岡大介は今ようやく、ほんとうにうたというものに目覚め、スタートを切ったといえるかもしれない。

 ただ、彼が気づいたほんとうのうた、それも唖蝉坊直系の「演歌」に真剣に取り組めば取り組むこそ、それは今の時代とはかけ離れて売れなくなっていく。何故なら、そうした正しいまっとうなものは今の時代にはなかなか受け入れられないし、そうした昔のことを知る者、関心を持つ世代はもうどんどんいなくなっていくからだ。おそらく大正演歌や唖蝉坊たちのことを少しでも知る世代は増坊たち50代までであろう。
 そのことは当の師匠土取氏がいみじくも指摘していて、岡大介はこれからますます大変な世界へと突き進んでいくことになっていく。むろんそれは覚悟の上だろうし、スポーツマン岡のことだからその苦しみも乗り切り糧とし得ると信ずるが、大変なことだと危ぶむところである。

 問題は、他の下劣といってもよいお笑い芸人たちと同列でステージにこれからも上がっていかねばならない彼が果たしてどうその差異をうまく調整できるかであろう。また、本当に真価が問われるのは、師匠を排しての次回からの独演会である。彼のルーツであるフォークソングとどう折り合いをつけるのかも気になるところだ。

 芸能文化史研究の講座ならまだしも、生き物としての「うた」をこれからもうたいかつ唖蝉坊親子正統のスタンスを保つというのは至難の技であろう。でも岡さんならきっとそれを示してくれる。ショービジネスとして観客を楽しませ満足させつつ本当のうたをしっかり聞かす、新たなショーマン、本物の演歌師、岡大介のこれからの動きを心から楽しみにしている。

 一つだけたしかなことは、良い確かな本物のうたは、何の説明も能書きがなくても世代を問わず聴き手の心を打つということだ。今晩のライブ、休憩もなしに結果として2時間を越す長丁場となったが、お開きとなって帰る客は老いも若きも誰もが皆口々に、良かった、満足したと話していた。そう、知る限り今日の独演会たぶん岡大介、最良最出来のライブであった。彼のこのライブにかけた思いが十分観客に伝わった。