生活はどこまでも追いかけてくる2012年10月16日 23時32分51秒

★「生活」とどう折り合いをつけるか。

 このところ胃の具合が悪く、食べるともたれてなかなか消化せずスッキリしない。いくつか抱えている事案もあって精神的なことも関係しているのかもしれないが、そんなで先日、胃カメラを呑んで検査したのだ。

 まだ結果は出ていない。せっかくの良い季節なのに気分はともかく体調がすぐれないのは不快である。要するにあれこれやることに追われてなかなか片づけ、処理がおっつかない。ライブに行くにせよ、何かをすることはまた新たな課題を抱え込むことになる。で、ひたすら家にこもって片づけや整理、掃除に専念しているわけだが、探し物は出てこないし、また次の用件が迫ってきて焦り気味なのである。そうしたときはパソコンまで調子が悪くイライラさせられる。

 それにしても「生活」というものはどうしてこう面倒なのだろう。新しく思い通りの家を建てれば、快適な生活がおくれると信じ夢と期待でそれを実現した。しかし、モノはまたすぐに溜まるし、ピカピカだった床や階段台所もすでに薄汚れてきている。もっと磨き上げ、常に手を入れていけば「新品」のままがいくらかは続くのだろうが、そう毎日掃除ばかりする時間はとれないし、商売やら家事やらやることは山ほどある。

 つくづく思う。「生活」はいつでもどこにいようと永遠について回ってくるものだと。どうしたらそうした生活のこと、家事=炊事、洗濯、掃除などに追われ振り回されずに生きられるのだろう。よその人はそんなに生活に時間はとらないですむのだろうか。

 昔、橋本治が書いていたことと記憶するが、マンションと一戸建ての違いは、部屋数ではなく、庭、外回りの有無、それにかける時間の違いなのだと。つまりマンションなら、通路などの共有部分は、管理人や清掃業者が掃除してくれるので基本的に生活は自分のマンションの室内だけですむ。しかし戸建ての家は、小さかろうが庭も自分で管理し掃除や手入れをしないとならない。まして庭だけでなく、家の前の道までも掃き綺麗にしておかないとご近所がうるさい。

 今の季節、そろそろ落葉の始末もあり、庭木がかなりあるウチは家の前の道を掃くだけでも時間をとられる。そして親たちの飯の支度、洗濯や掃除、犬の世話、怠けているわけではないが、時間はあっという間に過ぎ、一日があたふたしているうちに終わってしまう。
 これは自分に妻がいないからかとも考えるが、妻の立場ならまたそこに育児までも加わったりするのだろうしパートにも出たりもするので同じことだろう。それよりも愚図で手際が悪いから余計に時間がかかるということもある。

 今はどうかしらないが、昔の小説を読むとちょっと裕福な家では女中さんを雇っていた。男の一人暮らしなどだと、必ず婆やのような賄だけでも来てやってくれる下女がいた。昔は労賃も安かったし雇用関係もかんたんだったからそうした雇い人も多かったのかもと考える。
 また、今のように家電が普及していなかったから、家事掃除はかなりの難事であったのかもしれない。だから夫婦二人でも女中や地方からの小娘を雇い家事をさせていたのだ。また大家族制ということもあった。
 今はほぼすべて核家族だし、基本的にぜんぶ家事は家庭内でやっていく。それをやるのは妻、女の役割なのかは知らないが、誰であれ家族の誰かがやらなければ家はゴミ屋敷に化すし生活自体が成り立たない。

 よく、英米の小説、特に好きなミステリーを読むと、主人公は一人暮らしだとホテルに暮らしている。ホテルで週ごと?に代金を払ってずっとそこに住み続けている。その代金は日本の感覚とけた違いに安いのかもしれないが、ある意味憧れる。そこでは掃除はメイドが来てやってくれるだろうし、たぶん部屋では料理なども作らないのだろう。そこでは「生活」に時間をとられることはかなり少なくてすむ。

 そんなことは日本では無理だと思うだろうが、ヨドチョーさんこと映画評論家の故淀川長治さんは、生涯独身だったこともあって晩年はずっと都内の名のあるホテルで暮らしていた。どういう契約だったのか、そんなに収入があったのか訝しくも思うが、うらやましくも思う。たぶんその部屋には生活はもう追いかけてこないだろう。

 何にせよ、生活は生きている限り永遠に続く。どんなに振り切ってもまとわりつきどこに暮らそうと常に追いかけてくる。ならばうまく折り合いをつけるしかない。そこにコツがあるとしたら・・・ともかくすべてを増やさないことと溜めないことだ。核のゴミと同じく、稼働している、つまり生きている限り、ゴミは出るしモノは増え続けていく。だからこそもうできるだけ増やすべきではない。とわかっている、頭ではわかっていてもなかなかそうスッキリできない。

 今は長年の溜まったゴミの処分に追われて体調もおかしくなってしまった。まあ、自業自得なのだが。家事に追われて自分の人生に手を入れることができないのが悩みの種だ。