嗚呼! 若松孝二 急死とは・・・・2012年10月18日 08時44分35秒

★人の一生はまったくわからない。

 朝、パソコンを再起動させると、まずインターネットのヤフーのトップページが表示される。そこに前日からのトピックスとしてニュースの一覧が並んでいるのだが、下のほうに「はねられた若松孝二監督死去」とあり思わず目を疑った。
 彼が先日12日都内で道を横断中にタクシーにはねられ交通事故に遭ったことは同じくネットで知っていたが、そのときは腰をうった程度で意識もあり命に別状はないとのことだったので、まあ、そんなこともあるだろうと気にもとめなかった。

 が、入院中に容態が急変したとのことで、今朝突然の訃報である。呆然とした。人はいつか必ず死ぬものだが、よりによってこんなかたちで彼が死ぬとは誰も当人でさえ思いもよらぬことに違いない。76歳。決して若い世代ではないし、病気などで死んでももうおかしくない歳ではあるが、近年まさに油が乗って意欲作を撮り続け老いをまったく感じさせない旺盛な活動ぶりだったので、まさかこんな不慮の事故で死ぬなんて言葉もない。こういう人は新藤兼人のように性懲りもなく長生きするだろうと誰もが信じていた。ともかくタフネス、旺盛な創作力、情念と時代や社会、体制に対しての怨念と呼ぶべきエネルギーを燃やし続けた孤高の映画人であった。

 60年代から多彩なジャンルの映画を数限りなく撮り続けてきた人だったが、近年は、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』など問題作、話題作を次々と生み出し自分も含めて生ぬるいふやけ切った今の日本人に、衝撃を与え続けていた。この映画は私的邦画ベストテンでは生涯上位3作内に入る傑作であった。

 彼の思想や作品を全面的に手放しで評価しない自分だが、もっともっとこれからも衝撃的な問題作、時代と体制を告発するような意義ある映画を撮り続けてくれると信じていた。こんなどうしようもない時代でも、若松孝二常にここにあり、というのが邦画にとってほぼ唯一の希望であり救いであった。その男が突然死んでしまった・・・。でもこれもまた天命なのかとも思うしかない。救いはある意味、ものすごい作品を既に沢山彼は生み残していることだ。

 ともかく先のことは誰にもまったくわからない。死はいつ誰に訪れるのか。そこに理由も意義もない。まさに神の気まぐれだとつくづく思う。そこに神の計らいはあるのか。今は胸が塞がれただ暗澹たる思いでいる。

 合掌はしない。冥福も祈らない。若松孝二、これからも平将門のように怨念をもってこの世に留まれ! この腐りきった世相を呪え!祟れ!まだまだ撮り残したことがあるだろう。今ここで死ぬなんてあろうことか!