人の痛みがわからぬ者に政治は任せられない2012年10月25日 18時19分56秒

★ああ妄言暴走老人慎太郎!

 年寄りというものは、世知に長けているはずであるが、それも一定の歳を越えた本当の老人になってしまうと、ボケも入ってきてもう何でもアリ何でもゆるされる存在となって、妄言、放言いい放題となってしまうようだ。

 ウチの親父も相当なよぼよぼのボケ爺でありながら、人様のことはボロくそに言い放題で、何だあの格好は、あいつはバカだ、とか、世の中のことはすべて、下らない、つまらん、何のつもりだ、バカバカしい、と放言が留まらない。相当呆けてトンチンカンのくせに自分だけは正しく正気であると思っている。そんな爺さんをウチでは妄言自由人(モーゲン・フリーマン)と呼んでいるのだが、そうした人の典型が石原慎太郎であろう。
 しかしこの人の場合、決して歳とったから妄言、放言が目立つのではなく、若いときからずっと無責任に問題発言、不規則発言を繰り返しては物議をかもし出してきた。しかし今回はちょっと驚かされた。そして絶対にこんな人間に国政を任せてはなるものかと思いを強くしている。

 かけこみ亭での勇造・五郎のコンサートに出かけるため、一応メールをチェックするためパソコンを開き、ネットにアクセスしたらヤフーのサイト、トップページのニュースの見出しに「石原知事辞表」とある。ついに高齢のあまり体調不良になって都政を投げ出したのかと思い詳しく内容を確認したら何と国政に新党を作って転出するためだという。もう心底呆れ果てた。たとえ元気だとしても80歳のご老人がである。しかも都知事の職を中途で投げうってだ。毎度の妄言、放言も呆けも入ってついに本格的に暴走してしまったとしか思えない。

 都知事は先日も定例会見の席で、横田基地周辺の住民が、国を相手に夜間早朝の飛行機騒音差し止めを求める裁判を始めたことに対して、「眠れないほどの騒音があるわけではなくナンセンスだ」とか横田基地の現状を「飛行機なんて飛んでいない」騒音訴訟は住民の「エゴ」だと批判した。
 その横田基地の米軍飛行機が通過する真下に住む住民の一人として、原告団にも入っている自分=増坊は心から抗議する。確かにべトム戦争の頃に比べればだいぶ飛行回数は減った。しかし、飛ぶときはかなりの回数が夜間早朝を問わずに飛ぶ日もかなりある。飛ばない日は飛ばないことも事実だが、一度世界のどこかで有事が起きれば、もうガマンの限界というほどデカイ騒音で住民は苦しめられる。

 慎太郎は、ここに住んでいるわけでも実際にその騒音を長期的に体験したわけではない。なのにその住民の気持ちを逆撫でするようなこの発言である。むろん彼が内心でそう考えるのは何も問題ない。また私人として話すなり書くことも許されはしよう。言論の自由だから。
 しかし、公人、しかもその横田基地を抱える都の知事として、どうして住民側に対してこんな侮蔑的発言ができるのだろうか。住民=都民は苦しんでいるから訴訟を起こしたのである。だのに、それを住民のエゴだとかナンセンスと吐き捨てる首長がどこにいる。この男の人権感覚も甚だ疑わしいが、それよりもこんな男には政治を任せる資質、資格がそもそもない。
 政治とは、まず自分のことではなく、他者の痛み、苦しみがどれだけ理解し行政として手を差し伸べられるかであろう。つまり人の痛みがわかるということが絶対的に求められる。慎太郎にはそもそもそうした感覚は欠如しているようだ。常に唯我独尊、自分の立ち振舞い、保身のことしか考えていない。

 今回の再びこりず国政進出、当人は今の国難を救うヒーロー気取りで、また多くの都民だけでなく国民の支持が集まると考えての決断なのだろうが、そもそも尖閣諸島の問題で「国難」を生み出したご当人が、再び国政に加わること自体がさらなる国難となることをここに告発しておく。

 たまに、高速道路で車が逆走して大事故が起きる。たいていそれは呆けも入った老人である。慎太郎という「暴走老人」どこまで逆走していくのか。早く国民が止めなくてはならない。その同乗者は大阪市長か。