本音と建て前と「必要悪」、橋下氏の慰安婦論2013年05月15日 22時01分20秒

★大阪市長の「慰安婦容認」発言に思う。

 何をとち狂ったか、橋下日本維新の会共同代表が、参院選を前に「旧日本軍には慰安婦制度は必要だった」と不規則発言を自身のツィッターなどで繰り広げている。
 まあ、彼個人の持論を、床屋や居酒屋で私的に放言するのならちっともかまわない。が、大都市大阪の市長であり、しかも衆院第三党の代表という公人である。対外的にも当然注目されるだろうし、内外に与える影響は相当大きい。近隣諸外国から反発、連日各党からも批判され反省するどころか彼はさらに躍起になって正当化に腐心している。

 一部のネット上では、彼のこの発言をあえて「本音」を口にした勇気あるものと評価する声もある。もとより軍と売春婦の関係は、確かに彼の言うように、日本軍だけの特別のものではない。しかし、彼は大きな間違いをしている。それは男の性衝動と戦争という極限の異常な状態とを混同し、「一般論」で語っていることだ。

 男には抑えきれない強い性衝動があるのだと彼は言いたいようだ。ただ、同性の一人として、自分は性風俗産業に通った経験は一度もないし、身近の同性知人友人にもそうしたフーゾク通いに性を出す(うまい表現ですね)輩は誰かちょっと思いつかないしそんな話は出たことも聞いたことがない。ただ、かつてバイト仲間たちの間や工事現場にいたときなどは、確かにそうした店に通う人もいたし、行った話をよく訊いた。だからそうしたところを利用する層は確かにいることも知っている。

 ただ、橋下氏が言うように、それは男性なら誰でもという「一般論」では括れない。独身だってソープに行かない自分のような者もいれば、妻帯しているのにせっせっと風俗に通うツワモノもいる。妻との間に子だくさんの上でかつて愛人とのスキャンダルを報じられたように、市長はかなり性衝動がお強いようだからこうした発言をしたのかもと勘繰ってしまう。
 彼は大阪市役所で記者団に語っている、(日本は軍を使って国家としてレイプをやっていたというすごい批判を受けているがその事実は証拠に裏付けられていないとした上で)、「あれだけ銃弾が雨、嵐のごとく飛び交う中で、命をかけて走っていくときに、猛者集団、精神的に高ぶっている集団をどこかで休息させてあげようと思ったら慰安婦制度というものが必要なのは誰だってわかる」。
 またさらに沖縄で海兵隊の司令官に話したこととして「もっと風俗業を活用してほしいといった。米軍は禁止といっているというから、そんな建て前みたいなことをいうからおかしくなる。性的エネルギーを合法的に解消できる場所を真正面から活用してもらわないと、海兵隊の猛者のエネルギーをきちんとコントロールできない」。

 この「発言」に対して女性ならずとも違和感を覚える人も多いかと思う。要するに彼の持論は「人間、特に男に、性的な欲求を解消する策が必要なのは厳然たる事実」とツィッターで書いたように、故に男性兵士には「慰安婦制度」は必要だということになる。勢力絶倫の彼個人においては、性的な欲求を解消する策が必要、なのかもしれないが、自分=マス坊はそんなことは全くないし、もしフーゾクに通う金があれば、ギターや楽器、オーディオやレコード、本に金をつぎ込む。またはライブ企画のために貯めてく。そうした性的要求が高まったとして交際している女性がいなければ自慰行為で事足りる。昔も今も風俗業に関心はないし行くことも未来永劫あり得ない。それは女性の尊厳を傷つける以前に自分にとって不要なものでしかない。
 ただ、軍隊には「慰安婦」が必要だというならばそれは理解できる。

 うんと若い頃、ビニ本産業やAV業界でほんの一時アルバイトしたことがある。あるときそうしたフィルムに出ないかと誘われたが、もちろん断った。ただその男優さんから聞いた話だと、カメラやスタッフの前で「本番」をするためには、満腹だったり、体調万全だとかえって昂たない。あえて徹夜したり、空腹だったり逆に極限まで疲労しているほうがしっかり昂ってなかなか萎えない、のだという。「疲れマラ」という言葉をそのバイトで知った。つまり男は疲労しているとき、瀕死の状況のほうが性衝動は強く高まるのである。それは危機的状況がもたらすところの種族保存のためであろう。

 そうした「極限状況」の最たるものが戦場であり、閉ざされた軍隊組織なわけで、彼らが性に悶々として内地にいるときは女郎を買い、戦地においては慰安婦を、さらには現地の女性をレイプしたことは想像以前に、多くの小説や映画で常に描かれている。つまりいつ死ぬか殺されるかわからないという非常時、異常な緊張体験故に、性衝動が大いに高まることは「厳然たる事実」なのである。※沖縄の基地で米軍海兵隊の兵士が何度でも性的犯罪事件を繰りかえすのは、要するに彼らは軍隊という極限までに閉ざされた異常な組織にいるから故なのだ。
 つまりそもそも軍隊、そして戦争さえなければ男の性的エネルギーは異常なまでに高まらないし慰安婦も必要でなくなる。海兵隊へのフーゾク活用のススメ以前にまず米軍基地をなくすべきである。それがまっとうな考え方であろう。

 それをまるでスポーツのように、「猛者集団、精神的に高ぶっている集団をどこかで休息させてあげようと思ったら慰安婦制度というものが必要なのは誰だってわかる」とほざくのは、まさに詭弁であり、戦争そのものを肯定、是認するためのすり替え論でしかない。
 つまり彼に言わせれば男はそもそも性衝動を抑えられない生物であるに加えて、兵隊という猛者集団の休息、息抜きのためには「慰安婦、売春婦」も必要であり、ゆえに軍隊、そしてさらには戦争そのものも容認ということとなってしまう。

 「必要悪」という言葉がある。そんなことばがあるぐらいだから、この世には悪いことだけれどこの世には必要なものがある、ということなのだろう。橋下氏の論の根底には、性衝動はどうか知らないが、慰安婦も性風俗産業も、さらには軍隊、戦争さえも必要悪だと考え容認しているようだ。いや、そもそも「悪」としてとらえているのかさえ怪しい。なぜなら慎太郎ともども内外の批判に対して臆面もなく開き直っている。

 しかし、悪いことを悪いと認識し、それを反省しない限り、永遠に事態は改まらないし、またすぐにそれを繰り返す。男性には抑えきれない性衝動がある、だから慰安婦も必要、仕方なかったと「容認」していく思想の先には、戦争すらも容認肯定する、思想が見え隠れする。再び戦争の惨禍が待ち構えている。
 
 そうした輩が憲法改正を口にしていることを国民ははっきり認識しないとならない。