命の炎が燃え尽きようと2013年05月28日 08時28分18秒

★死に向かう老犬を見届けている今

 慌ただしく日々が過ぎていく。気がつくともう今月も終わりとなる。
季節は進み、九州、四国では早くも梅雨入り宣言が出た。例年のことだが梅雨が来てその先に盛夏がやってくる。

 今日も曇りがち、風もあり寒くはないがひんやりと涼しく過ごしやすい。さすがに疲れが溜まっている。が、特に予定のない日にこそがんばってやるべきことを少しでも片づけていかないとまたすぐに懸案のことが溜まり収拾つかなくなる。やるべきことは山積みなのだ。6月はまた新潟へ行くことになりそうだ。その前までに少しでも成果を出したい。

 今年18歳を越して人間でいえば百歳になろうとしている老犬バドのことは前にも書いた。まだ生きながらえてはいるが、歩行困難だけではなくほぼ寝たきり状態がさらに進み少しづつではあるが日々衰え弱ってきている。あと何か月、いや何週間生きているのか。この夏を越すことはまずできないだろうけれど。

 命の炎とか生命の光という表現がある。今バドを見ているとその炎がじょじょにかぼそく、衰え小さくなってきていることがわかる。後ろ足が萎えてしまい、自力歩行ができなくなって今はベルトで人間が下半身を持ち上げて散歩させていることは記した。
 今もそれは同じだけれど、それもかなり辛くなってきたようで、近くの駐車場の草の茂空き地まで行くと、しばらくへたり込み荒い息をして5分ほど休まないとならない。

 また、以前は後ろ足が動かなくても自力で這って犬小屋の出入りはしていたのに、今はもうそれもかなわぬようで、季節も良いせいか小屋にも入らず地べたで昼も夜も寝ている。水の入れ物までもなかなかたどりつけないようだ。
 まだ食欲だけは変わらず強くあるので命は生きながらえているわけだが、少しづつ日々弱って体力が衰えてきていることは間違いない。まさに命の炎、光が消えかかっていることを痛感している。

 そのことは隣の小屋にいる若いメス犬、ベル子を見ているとことさらだ。彼女は生を受けこの世に来てまだ一年にも満たない。だから命の炎が今燃え盛り溢れかえるほどの元気がある。成長してだいぶ大人しくなったとはいえ、散歩で空き地に放すと、一人で全速力で走り回って一時も休むことはない。見ているこちらが疲れ呆れかえるほとの体力である。

 バドも大昔はそんな風に元気があふれていた。その頃は自分も三十代だったはずで、もう死んでしまった他の犬たちと皆で近くの山々をよく軽登山したことを思い出す。彼らは飼い主の後になり先になり倍の距離を走っていただろう。
 それがいつしか中年、そして老犬となり、今は死に臨む段階となった。犬は人間の何倍も早く歳をとり人間の五分の一、六分の一しか寿命がない。だから子犬から老いてその死まで看取ることができるわけだが、過ぎた昔を思い今を思うと深い感慨がわいてくる。
 それでも兄妹犬、メスのロビンにちょうど昨年の春に先立たれ、その彼女よりも一年もまだ生きながらえているのだからまさに長命だ。大型犬には珍しく長生きだと言えよう。獣医にも驚かれ感心されている。

 もうこんなに長く生きたのだ。当人も飼い主としてもいつ死んでも悔いはない。幸いにも老いただけで特に病んで痛み苦しいところもないようだ。意識もまだしっかりしている。まさに肉体だけが老衰して死に向かっている。悲しむべきことではないはずだ。
 今、そうして命の炎が、その光がかぼそくなって消えていこうとしている。そうしてそれを見つめている自分がいる。これは人も犬もこの世に生を受けてきたものたちが誰でもたどる道筋なのだ。ちっとも哀しむべきことではないはずなのだが・・・。

 そう、誰もがこうしてしっかり生きてしっかり死ななくてはならない。