オタクは、男社会の男の特権なのか2013年08月27日 22時35分15秒

★社会の中でのオタク考     ランキング: 158位

 涼しくなってきた。今朝方はひんやりするほどで、午後からは晴れたがそれでも30度いくかいかないかであった。犬たちも室内に入れずにすんでいる。

 春眠暁を覚えずではないが、このところの涼しさと夏の疲れでつい深く眠ってしまい、今朝などは起きたのは8時だった。こんなに寝坊したのはこのところ記憶にない。
 いくつかの来客を迎えるイベントも終わり、とりあえず一段落である。そしてそこに涼しさが戻ってきた。暑いと昼寝もおちおちできないし、夜も扇風機つけっ放しだったからやはり深く眠れていなかったのだ。秋が近づきこれからは昼寝も快適であろう。今日は爽やかな風をうけて窓を開け放して夕刻まで寸時昼寝もした。

 だが、いつまでものんびりしてはいられない。良い快適な季節にやるべきこと、懸案のことを処理していかないとまたすぐに冬がやってくる。
 当ブログも書きたいことが山積みだ。裸足のゲンのこと、靖国神社と隣国とのこと、その他、この夏じゅう、8月のうちに書き残しておきたいことがいくつもある。作業の合間をみて書き進めていけたらと願う。

 さて、まず何からと迷ったが、このところ拙宅無頼庵でいくつかイベントを連続的にやって気がつくこと、思ったことなどを書いておきたい。

 映画塾にしろ、一昨日のサマークリスマスにしろ、このところのイベントで入れ代わり立ち代わり様々な人が訪れる。上は70代ぐらいの方もいるし、下は30代ではないかと思うが、ともかく圧倒的に男性なのである。この世には男女半々、まして女のほうが絶対数では多いはずなのに何故かうちには女が来ない。
 理由は一つ考えるに、やっている企画内容が男性向けということもある。そもそも映画塾などは映画マニア、映像オタクのためのものだ。そう、はっきりいってウチに来てくれる方々はオタク男ばかりだと言っても過言ではない。

 「オタク」というと、日本ではコミケ会場に集まる社会性を欠いたデブ、それも不潔な風体の怪しい独身男性という悪イメージがある。が、海外ではオタクはそんなイメージではなく、昔仏人たちと何かの集まりで話していて、彼らから「貴方はオタクですね」と評されちょっと嫌な気持ちになったが、よく聞くと、それは「専門分野に詳しい、卓越な人」という良いイメージの言葉であり、そういう意味でのオーソリティとして以下話を進めていく。

 となれば女だってオタクはいるはずだ。じっさい、宝塚のファンなどではむろんのこと圧倒的熱烈女性ファンが、オタク的に今も昔も集っている。また、古本屋としてたまに、女性ファンが集めた男性アイドルのスクラップブックなどが手に入ることがあり、それを見る限り、コアなアイドルファンは別に男だけでないと窺える。しかし現実の話、こうしたオタク的な集いには女性はまず来ない。
 もう何年も続けているサマークリスマスだって、そのクラブの会員、つまり林美雄アナウンサーによるラジオ番組を聴いていたファンは女性もいたはずなのに、男性会員が圧倒的だし、その集いでも女性が来ることは少ないのである。今だって女性会員の顔は数少ないからすぐに思い出せる。比率にして十分の一か。

 そして月一恒例で続けている「映画塾」でもごくたまに1名ほど女性の参加者が連れられ来た時もあったが基本的にはほぼ常に男性だけの集いで、要するに女性は主宰の三留まゆみだけという、蜂の社会でで言えば「女王蜂」状態が毎回なのである。三留まゆみの、と銘打っているから集まるのは男だけとなってしまうのか。

 いや、考えるに、そもそも「オタク」とはジャンルにもよるだろうが、男性特有のものではないのか。特有と言うのは正しくない。「特権」と言うべきか。その資質や嗜好は男女ともに変わりはない。女でもオタクになり得る。ただ、女性の場合、男性よりも社会的制約、親からの束縛や強制が強く熱く「オタク」を続けたくても長く続けられないのではないかと推測する。女性はオタクとして深化、特化しづらいのである。※「ひきこもり」も男性が圧倒的に多いこともそこに大きく関係していると思われる。

 女の場合、結婚などしてしまうと家庭の維持や子育てなどで、男よりも「趣味」を持てない。男は好き勝手できても女にはそれは許され難い。夫婦ともに「オタク」というカップルもいないことはないと思えるが、そうした夫婦にはまず子供がいない。つまりオタクとは、家庭生活も含めた社会性の放棄によって成り立つとも極論できる。

 その映画塾であるが、自分も相応の映画ファン、ある意味オタクだと漠然と思っていたのだが、とてもその三留さんをとりまく集団に入っていけない。あまりにオタク度が高くて立ちすくむだけ、眺めるだけなのである。そしてこれを企画して初めてわかったことは彼女のオタクとしてのポテンシャルの高さであり、学生時代から30年も付き合っていたのに知らない一面を見てしまったという驚きだ。

 マニアックという言葉でもいい。プロアマ問わず並み居る男性強豪オタクたちを前にして一歩引かず一心不乱に語りまくる彼女の姿は、まさに伝説のオタクたちのアイドルであろう。女子高生の頃からその姿そのままに自らも映画オタクとしてカルトな映画に命を捧げたディーバである。企画者として成功した企画は嬉しくないはずはないが、正直複雑な気持ちでいる。

 オタク道を究めるとは修羅の道である。そこには家庭生活はありえない。何故に女性にオタクが少ないのか。映画塾に女性客が少ないのか。そこには男性優位社会の社会的構造が大きく関係している。
 もっと女性の強豪オタクよ出でよ。今の時代、家庭などに入らずに自らの好きなこと、信ずることに特化した女性がもっといるはずだと信ずる。三留まゆみの牙城を揺るがす女オタクよ出でよ!

コメント

_ モジロー ― 2013/08/28 18時29分22秒

「オタクとジェンダー」論、おもしろい指摘。そう、女オタクがバンバン出てくるときが性差別のなくなる時代のひとつの目安だね。

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