記憶の中の懐かしき風景~谷中のヒマラヤスギのパン屋 ― 2013年08月29日 20時52分15秒
★思い出の樹とその木の下のパン屋さんが消えていく。 アクセスランキング: 174位
誰にでも忘れ難い、思い出に残る風景があるはずだ。瞼を閉じればありありと変わらずに今も思い浮かぶ懐かしい風景。昔からうたにうたわれているように「別れの一本杉」、「柿木坂の家」とか、何故かそうした景色は木々と大きく関係しているように思える。
昔、まだ時代は20世紀だった頃、一時期だが、都内上野界隈に住んでいたことがあった。上野といっても駅や公園の辺りではなく、谷中、根津、千駄木、後に谷根千として下町散策のブームにわいた地域で、路線で言えば千代田線根津から千駄木あたりである。西日暮里にも近い。むろん歩いて上野駅方面にも出られる。住所は台東区根津であった。
住んでいたのは、谷中で、その辺りは不忍通りが一番低く、谷のようになってい。大通りの西側は東大などのある高台、一方は言問通りになどに代表される桜木の高台で、東京はこんなに段丘、坂道があることを住んで初めて知った。うたでも有名な喫茶店カヤバコーヒーも近かった。
東大のある側と反対側の段丘は、寛永寺の末社なのかともかくやたらに寺院が多い。戦災にも逃れたらしく戦前からの古びた建物も多い。よって風情は京都にとてもよく似ている。散歩にはもってこいだからその頃は朝晩よく目的もなくぶらついた。車が通るのもやっとという路地をめぐるといつしか谷中墓地や日暮里駅にたどりつく。
その木は、そうした路地、狭い三叉路の真ん中にぽつんと聳え立ってその下というか傍らに、昔ながらの駄菓子屋のような小さな古いパン屋があった。あたかもその風景はとても東京都内とは思えない。まるでジブリのアニメの世界の風景のようにどこか牧歌的であり田舎じみて懐かしい。
そうした風景は夢では見ることがあるが、その頃でもちょっと現実離れした光景であった。その木はヒマラヤ杉で、信じがたいが今もそこにそのままあるそうだ。実は今そこいら一帯が再開発でその木も伐採されるのだと先日知った。
東京新聞の8月23日の夕刊の三面記事に、写真入りで「残して!ヒマラヤスギ」との見出しで、「開発業者が伐採予定 『谷中のシンボル』署名募る」という記事が載っていた。
それによると、昨年の三月、大阪の不動産会社が宅地造成目的で一帯の土地を所得し、住民側に伐採の意向を示したのだという。そして今現在、谷中地区町会連合会では協力してその木を守るための署名活動を始めているとのことだ。報道だと二か月半で三千五百人分余りが集まり今もホームページでオンライン署名を呼び掛けているとある。
不動産業者は、基本的には木を切り、全ての土地を更地にする方針と言っていると、この記事は括られている。
実はこの樹に関しては以前、当ブログでもマス坊抜きで、読者の方同士で話題になったことがある。マス坊が先年その地を訪れた際に書いた記事に寄せられたコメントに書かれたことに、また別な読者の反響があり、読者だけで話が勝手に盛り上がっていた。
そのヒマラヤスギ、東京新聞の記事だと、高さ20メートル、幹回り3メートル、樹齢90年とある、そんな大樹がこのままだと切られて消えてしまう。都内でそんな懐かしい自然風景が今も残っていること自体奇跡というか夢のような気がするが。
東京はまたしてもオリンピック景気で今また再開発に沸いていく。どうかパン屋ともども大樹の聳え立つ懐かしい風景がそのまま残ってほしいと願うが、これもまた時代の流れなのか。複雑な思いでいる。
「思い出の風景」は記憶の中だけとなってしまうのか。
誰にでも忘れ難い、思い出に残る風景があるはずだ。瞼を閉じればありありと変わらずに今も思い浮かぶ懐かしい風景。昔からうたにうたわれているように「別れの一本杉」、「柿木坂の家」とか、何故かそうした景色は木々と大きく関係しているように思える。
昔、まだ時代は20世紀だった頃、一時期だが、都内上野界隈に住んでいたことがあった。上野といっても駅や公園の辺りではなく、谷中、根津、千駄木、後に谷根千として下町散策のブームにわいた地域で、路線で言えば千代田線根津から千駄木あたりである。西日暮里にも近い。むろん歩いて上野駅方面にも出られる。住所は台東区根津であった。
住んでいたのは、谷中で、その辺りは不忍通りが一番低く、谷のようになってい。大通りの西側は東大などのある高台、一方は言問通りになどに代表される桜木の高台で、東京はこんなに段丘、坂道があることを住んで初めて知った。うたでも有名な喫茶店カヤバコーヒーも近かった。
東大のある側と反対側の段丘は、寛永寺の末社なのかともかくやたらに寺院が多い。戦災にも逃れたらしく戦前からの古びた建物も多い。よって風情は京都にとてもよく似ている。散歩にはもってこいだからその頃は朝晩よく目的もなくぶらついた。車が通るのもやっとという路地をめぐるといつしか谷中墓地や日暮里駅にたどりつく。
その木は、そうした路地、狭い三叉路の真ん中にぽつんと聳え立ってその下というか傍らに、昔ながらの駄菓子屋のような小さな古いパン屋があった。あたかもその風景はとても東京都内とは思えない。まるでジブリのアニメの世界の風景のようにどこか牧歌的であり田舎じみて懐かしい。
そうした風景は夢では見ることがあるが、その頃でもちょっと現実離れした光景であった。その木はヒマラヤ杉で、信じがたいが今もそこにそのままあるそうだ。実は今そこいら一帯が再開発でその木も伐採されるのだと先日知った。
東京新聞の8月23日の夕刊の三面記事に、写真入りで「残して!ヒマラヤスギ」との見出しで、「開発業者が伐採予定 『谷中のシンボル』署名募る」という記事が載っていた。
それによると、昨年の三月、大阪の不動産会社が宅地造成目的で一帯の土地を所得し、住民側に伐採の意向を示したのだという。そして今現在、谷中地区町会連合会では協力してその木を守るための署名活動を始めているとのことだ。報道だと二か月半で三千五百人分余りが集まり今もホームページでオンライン署名を呼び掛けているとある。
不動産業者は、基本的には木を切り、全ての土地を更地にする方針と言っていると、この記事は括られている。
実はこの樹に関しては以前、当ブログでもマス坊抜きで、読者の方同士で話題になったことがある。マス坊が先年その地を訪れた際に書いた記事に寄せられたコメントに書かれたことに、また別な読者の反響があり、読者だけで話が勝手に盛り上がっていた。
そのヒマラヤスギ、東京新聞の記事だと、高さ20メートル、幹回り3メートル、樹齢90年とある、そんな大樹がこのままだと切られて消えてしまう。都内でそんな懐かしい自然風景が今も残っていること自体奇跡というか夢のような気がするが。
東京はまたしてもオリンピック景気で今また再開発に沸いていく。どうかパン屋ともども大樹の聳え立つ懐かしい風景がそのまま残ってほしいと願うが、これもまた時代の流れなのか。複雑な思いでいる。
「思い出の風景」は記憶の中だけとなってしまうのか。
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