増冨ラジウム鉱泉のススメ・前2013年10月23日 21時57分49秒

★低温浴で至福の快感を貴方も
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 人間はいくつかのタイプに分別できると思うが、一つに風呂の長さがある。風呂好き、風呂嫌いではない。長湯ができるかどうかだけだ。

 この世には、家の風呂だろうが、銭湯、旅先の温泉であろうとも何故か長く入っていられない人種が存在する。学生時代からの友人である、ウチの「社員」氏もそうで、風呂などは体洗って頭洗って一回湯に浸かればお終い、なのだと言う。何のために何回も湯に入り、出たり入ったりしなくてはならないのかと彼は訝しがる。だからせいぜい15分程度でさっさと出てしまう。
 そういう人とスーパー銭湯にでも行くと、すぐに姿が見えなくなるので、ああもう風呂から出て服着てしまったかとわかるからおちおちのんびり湯に浸かってはいられない。こちらも一時間そこらで物足りない気分でも出なくてはならない。それでも社員氏は、外で待ちくたびれた、湯冷めしたと文句言う。なのでもうこいつとは一緒に風呂へ行かないようにしている。彼はのんびりできない、せっかちな性格なのかというとそうではないのだから、要するにただ「長湯できない体質」なのであろう。まあ極言すれば、風呂好き、風呂嫌いかどうかということなのか。

 せっかく温泉に行く。温泉でなくても昨今は銭湯などでも各種いろいろな風呂が設備されている。露天風呂も付いていることが多い。打たせ湯、泡湯、寝湯まである。自分など一通り入らないとモッタイナイと考えるし、せっかく金出して行ったからにはできるだけ長く入っていたいと思う。
 風呂は単純に体を洗うだけが目的ではなく、そこでリラックスして疲労回復、心身ともにのんびり癒したいと考える。が、風呂などただ退屈だしのぼせるからとても長く入っていられないという人もいる。ウチの親父などもそうだ。だから親父との風呂は目が離せないだけでなく、すぐにもう出る、出る、と騒ぐのでやはりこちらものんびり長く入っていられない。

 昔、うんと若かったころ、北海道で一か月ぐらいぶらぶらしていたことがあった。小樽の近くの余市町にかつてお世話になった北星余市高校で教鞭をとられた元教師のご夫妻がいるので、そこを拠点に大沼のそばの駒ケ岳をはじめいくつかの山を登ったりトレッキングしてひと夏を過ごしていた。
 そのとき、もうなんて山だったか思い出せもしないが、麓まで行ったが、雨が降り続いて山へは登れず数日、格安の湯治場に宿とって雨の止むのを待っていたことがあった。ともかく何もすることがなく、源泉かけ流しの古びた内外にある風呂に入ったり出たりして日がな一日過ごしていた。

 風呂に入る以外は昼寝してたから、真夜中に起きてはまた風呂に入るしかすることがない。しかし、不思議に退屈はしなかった。誰とも話さず、ただ雨に煙る山を部屋から眺め、何も考えず気が向けば風呂に入ることの繰り返し。手持ちの金が尽きたので結局山にも登らず余市に戻ったと記憶するが、考えてみればあれは「湯治」初体験だったと今気づく。
 じっさいその宿は格安で湯治客も迎え入れていて、自由に使える調理場も食器もあったから温泉宿なのに何日も泊まれたのである。以来、湯治というのは自分にとって憧れで、どこかの秘湯で、一切の俗世間とは遮断されたところで、ただのんびりと誰にも会わず温泉にひたすら浸かっていたいと常に夢想している。
 しかし、この忙しいご時世と現況ではとてもそんな逃避はゆるされない。せいぜい社員と近所のスーパー銭湯に行き、彼を待たせぬよう慌てて出ては湯上りのビールを呑むぐらいしか風呂贅沢はできないでいた。それではリフレッシュもろくにできないし、気分転換程度でしかない。

 まして山間の秘湯での湯治など夢のまた夢で、北海道でなくてもそんなふうに温泉にのんびり何時間もただ浸かることなどもう親たちが生きている間は不可能だとあきらめていた。ところが、山梨の古民家と出会い、近くにあった絶好の秘湯・増冨の湯を知ることができた。そこは宿泊施設は付いていないので湯治という趣はないのが残念だが、自分が考え理想としている湯治、つまり温泉療法が思う存分できる素晴らしい温泉であった。

 前置きが長くなったが、次回その温泉の素晴らしさについて書いておきたい。