それぞれの「今」について、「今」考えてみたこと・②2013年10月28日 07時26分53秒

★8㎜というアナログと付き合うことの大変さ  アクセスランキング: 124位

 おかげさまで無頼庵映画塾、8ミリ映画の特集上映会は無事終わった。映写機もかろうじて何とか無事動いた。三留さんのフェイスブックで呼び掛けて予備の映写機も参加者が持ってきてくれたので不測の事態も対応できた。改めてこの場で御礼申し上げると共に大盛況となったこともおしらせしておく。20人の観客が集まった。ともかく無事に終わり胸をなで下ろした。
 そして一夜明けこれを記している。イベントのあとはいつも「祭りの後の淋しさ」のような気分に襲われるが、今朝は感じたのは「兵どもが夢のあと」である。その感は8㎜映画のことを言っている。

 今の人たちは生まれた時からデジタル環境にあり、それが当たり前だと思っている。しかし、自分のような戦後生まれの、いわば「三丁目の夕日」的昭和三十年代に生まれ育った世代は当然のこと純アナログ人間でありその文化にどっぷり浸かって生きてきた。

 そのアナログ及びアナログ的なことが今風前の灯である。いや、正しくはもう完全にデジタル化が終わり、かろうじてそれはレコード盤とか、カセットテープなど今も現存するカケラのようなものがいくらか生息、もしくは化石化して前時代の名残としてまだ世に残っているに過ぎない。今日の世界はもはやすべて地デジ化的にアナログ化が進み、その中で自分のようなアナログ世代のニンゲンが生き残っているだけだ。

 そしてそんな自分さえもデジタル化は生活の隅々まで進み、テレビからパソコン、CD、DVD、携帯電話、デジカメ、ICレコーダー、SDカード、USB・・・と、もはやアナログの機械・メディアはハードもソフトも日常的には全く用いていない。これが21世紀も半ばに向かう今の姿なのだ。
 確かに自分はアナログレコードのコレクターでもあり、今も録りためたカセットテープなどは膨大に持っている。しかしそれは非日常であって、昔のように日常的に使うことはない。ただ、デジタル化もせずに持っている、昔から今もそこにあるだけだ。フィルムカメラの写真、ネガもである。それらを何とかしなければならなかったとようやく気づいた。

 パソコン用語で、「記憶領域の復元」という言葉があった。今回のイベントで8ミリ映画の上映会をやることとなって、ウチにある映写機やフィルムなどを探すことになった。が、それがどこにあるのか全く記憶になく本当に困り苦労したことを告白する。これまでの映画塾でいちばん大変で夜も眠れないほどだった。ともかくちゃんと動く8ミリ映写機がみつからないのだ。
 昔の家、建て直す前の自分の部屋ならば今も何がどこにあるかありありと思い浮かぶ。机の後ろのスチールのラックの上に映写機は箱に入れて載せてあったし、フィルムはまとめて広間の一角の古い本棚に保管してあった。今回、探すにあたって記憶をたどるとすぐにそれは思い出す。が、もう改築してしまった今そこは存在してないのである。ではとこかに移動させたはずだ。しかしその移動したことも移動させた先の記憶が全くない。

 大事なものだから捨てるはずもないし、どこか外の倉庫とかに、保管中に火事に遭ってしまった大工の青梅の倉庫に持っていくはずもない。この家は二度にわたって建て直しているからその都度工事中でない側に移動させてきたはずなのである。そして今、家は成り、こうして新たな広間は無頼庵としてイベントで活用している。では映写機もフィルムもいったいどこへしまったのか。どこへ消えたのか。その記憶が復元できない。いや、そもそも古い記憶が上書きされていないのだ。

 けっきょく、当時自分が使っていた映写機も撮った映画もみつからないままに、屋根裏にもぐり未整理のガラクタの山にもぐりこんで探し回っていたら、別のわりと程度の良いSANKYO社製写機がみつかった。それまでも旧いエルモのが二台、フジカのが一台、発見はできたのだが、リールが正常に回らなかったりランプが切れていたりで役に立たなかった。
 が、それもリールは問題なく動いてもランプが切れていた。ネットで8ミリに関してあれこれ調べ回り、札幌に8ミリ機器専門店、福岡に、修理とランプなどの販売を請け負う工房があることがわかり、早速電話かけて代引きでランプを注文した。すぐに翌日届いた。

 ただ、それでも動く映写機が一台だけでは心もとない。何十年も使っていないので不測の事態が起きたらお手上げだ。8ミリフィルムによる上映会を銘打っての企画でお客も来る。で、三留さんのほうから観客として参加する方々にも広く呼びかけもらい、ランプが切れているが動くものなど幸い他に3名の方が映写機を予備としてお持ち頂いた。重たいのにご持参頂き本当に助かった。ようやく安心できた。

 と、ここまで記してこれから立川の病院へ前回の映画塾の晩、酔って転んで痛めた右腕の診察に行かねばならない。続きは帰って書く。

それぞれの「今」について、「今」考えてみたこと・②追記2013年10月28日 23時05分41秒

今回活躍したsankyoのOMS-850T ランプ交換したばかりなのにベルトが切れた。どうしたものか・・・
★8㎜映画の現在は・・・

 三留まゆみの映画塾で、8ミリ映画の特集をやった。その報告を書いている。
 この映画塾の参加者のほとんどは、ブロアマ問わず映画関係に関わりのある方ばかりで、若い時からその8㎜フィルムで自主制作映画に携わり自主上映活動をやってきた人も多くいた。だから当日彼女の呼びかけで何台も映写機が集まったのだ。
 実際彼女自身がかつてそうした8ミリフィルムによる自主映画界の主演女優としてアイドル的人気があり、今もカルト映画界のディーバとして著名人でこの企画が盛況なのはひとえに彼女の人気に負うところが大きい。よって、久しぶりに昔の8ミリ作品を映写してみようと考えたしだいであった。

 が、先にも書いたが、まずその映写機がなかなか出てこないし、見つかっても長十年も放置していたから稼働させるベルトが切れて動かなかったり、ランプが切れていて点かなかったりと使用に耐えるものがなく大いに苦労した。

 けっきょく、ランプは新しいものを着払いで取り寄せて、万が一のために球は切れているがリールは動くものを予備用にも持ってきてもらい当日を迎えたのだった。で、何を上映したのかというと、参加者であるそのかつての自主映画少年たちが若い頃、学生時代に撮っていた作品を持ちよってもらい順次かけていった。しかし、今も自主映画活動をされている方はたいていが、過去のその8ミリ作品をビデオ化していて、DVDにして持ってきてくれた方も多かったので、当日前半はまずDVDでのそれをテレビで観た。

 そして後半は、それこそ何十年ぶりかに昔撮ったフィルムを撮った当人も久々に映写機にかけたという感じで、映写機でそれぞれの8ミリ映画作品を次々と上映していった。幸い無事にどれも映写でき、音声がややうまく再生されなかったりした作品もあったが、いちおう予定していたものはすべて終わるところまで来た。と、最後のフィルムの上映が終わる寸前、突然モーターが止まり、フィルムのコマがランプの熱でぶわっと溶けてしまうという惨事が起きた。もうほぼ終わりのところまで来てついにベルトが切れたらしい。
 けっきょく予備に持ってきて頂いた別の映写機でリールを巻き取り、最後はまたDVD化した作品をテレビで鑑賞して映画塾8ミリ映画特集の回はようやく終わった。

 今思うとよく数十年ぶりに稼働させた映写機がほぼ終わるところまで無事に動いたものだと感心する。最後のフィルム作品の方には申し訳ないが、8ミリ映画とはこうしたフィルムが焼けるトラブルは付き物であったのだ。それをも観客に示せたのは反面教師的に良かったことだったと思う。
 そして今回も映画塾に参加された「レトロ商会」という今も8ミリフィルムの販売から現像まで手掛けている会社の方からもお話を伺うことができたのも有り難かった。かつての作品をビデオ化する(これをテレシネと呼ぶ)だけでなく、2013年の今現在も8ミリフィルムで映像を録り作品を作る人たちがごく少数でも存在していることとそれを可能にする環境がまだあることを知ることが出来たのは幸甚であった。フィルムとフィルムを繋ぐスプライシングテープもデットストックのものが流通しているらしい。

 その他、今回の一件で映写機や自分の8ミリ探索騒動でいろいろなことを考えさせられた。長くなるからまた稿を改めて書きたいが、昔自分たちが8ミリを撮っていた頃からずいぶん時間が経ってしまっていたのだと今回ようやくはっきりと認識した。

 バカだから気持ちはあの頃のままで、それだけの時間の経過を浦島太郎的によくわかっていなかったのである。頭の中ではまたすぐに8ミリも作れると思っていたし、上映もいつでも簡単にできると考えていた。だが、そこには数十年の歳月、いつの間にか30年もの年月が過ぎていたのだった。だから映写機も当然劣化して使えなくなっているし、8ミリ映画を取り巻く環境はさらに大きく変化していたのだった。
 ならば自分も過去の撮ったフイルムがこのままより劣化し朽ちて見ることができなくなってしまう前に、他の8ミリ作家たちのように一日でも早くテレシネしておかねばならなかったのである。今回の上映でそのこともはたと気づかされた。

 いずれにせよ、カタチあるものはすべて歳月と共に朽ち劣化していく。どんどんボロボロになって動かなくなっていく。そうこの老いた我が身さえもそうなのだから、かつて愛好し夢中になったアナログ文化すべて、ハードもソフトも同様なのであった。そのことは8ミリだけでなくカセットテープもラジカセもレコードプレーヤーも然り写真のネガフィルムも含めて他のアナログ機材どれもが同じことであった。そうしたことを愚かにも今回の件でようやく思い至った次第である。

 まさに今回の8ミリ映写機の騒動は自分にとって玉手箱を開けた浦島太郎だったと気づかされた。それだけの歳月の経過をはっきり認識するきっかけとなった。ならば老いた太郎はどうやってその現実を受け入れて生きていくかまた考え直さねばならないだろう。
 これが「今」ということ、2013年の現在、現実現状ということであったのだ。