岡大介は誰に向けて何を唄うのか・木馬亭独演会20132013年10月07日 08時36分39秒

★岡大介がフォークソングに別れ?を告げた日    現在のアクセスランキング: 170位

 好漢岡大介が毎年秋に浅草木馬亭で催している「独演会」が今年も昨日10月6日行われた。早や5回目である。5年前、オフノートの神谷氏と「岡が木馬亭でソロで公演やりたがっているんだけどどうでしょうかね」と電話で話あってからもうそんなに時が経ったのかと改めて驚かされる。
 その独演会の報告をしていく。

 記憶に間違いなければ、自分はその岡大介が木馬亭で毎年この季節に行う「独演会」に確か一回だけは欠席したが、初回からずっと通い続けて見続けてきた。
 当初は、その頃彼が親しくしていた超絶的二胡奏者の「ラッパ二胡」小林寛明と二人での「二人会」の趣で始めて、やがて「かんから楽隊」なる、熊坂るつこらCD作成時のバックバンドを率いての回もあったし、昨年は演歌の鼻祖・添田唖蝉坊親子のオーソリティと呼ぶべき芸術音楽家・土取利行をゲストに招いて唖蝉坊特集の回を行った。

 そして5回目となる今年は、初めて岡大介たった一人ソロでの「岡一人会」、まさに本当の「独演会」となった。客の入りは何と過去最高の超満員で、椅子席は満席どころか、通路全てにパイプ椅子で補助席を出しても座り切れず、後方で立ち見の観客も多勢でるほどだった。おそらく200人近く入ったのではないだろうか。新記録だ。今の岡大介の人気、人脈の豊富さ、動員力を知らしめたと言えよう。正直、脱帽感服した。

 しかし、興行的に成功したことは大いに喜ばしいが、果たしてライブとしてその内容はそれに見合ったものであるかである。忌憚なく書けば、失望はしなかったが大いに戸惑った。不満あると言うよりもファンとして長い付き合いある友としてこれからに危惧を強く覚えた。

 そもそもこの木馬亭での独演会、岡大介にとってその時どきの「今」をファンや支持者たちに示し報告する、発表の場であったと思う。つまり毎年、岡が今どこにいて、何をやっているのかその「報告」を木馬亭でファンに定点観測的に披露していたと言える。

 よしだたろくろうに憧れてフォークソングの世界に足を踏み込んだサッカー少年が、ストリートミュージシャンとしてギターを手に唄いだし、やがてかんから三線と出会い、高田渡らにも強い影響を与えた唖蝉坊にたどり着く。そして近年はそのユニークな楽器で、若いのに旧い明治大正の演歌をうたう奇特な若者としてマスコミで注目され広く取り上げられ小沢昭一に請われ武道館にも出るほどの人気者となっていった。

 そして現在では、フォークシンガーとしてではなく、かんから三線を手にした「演歌師」として寄席から演芸会、居酒屋、喫茶店、各地のイベント、路上と所選ばず全国各地を廻って唄い続けている。「うた」一本で喰えているのはその世代で彼以外にいるのか自分は知らないが実に大したものだと思う。
 その彼がソロで2013年秋の今、我々旧知のファンの前に示したのはチラシの表題にある「フォーク発~演歌行き」であり、私感では、今回のライブは近年かんから三線での演歌活動に重点を置く彼の「フォークソング決別宣言」だと受け取れてしまった。それぐらい今年の木馬亭は演歌寄りとなってしまった。

 もともと岡大介は、フォークシンガーとして出発し、筆者にとって彼の演歌やかんから三線は、適切な喩ではないが、タイガー・ジェットシンの「サーベル」、フレッド・プラッシーの「尖った入れ歯」、ザ・シークの「火炎」のごとき「ギミック」だと思っていた。何のことだかわからない方もいるかと思うが、要するに観衆の耳目をひくための小道具である。つまり本当は才能あるフォークシンガーである彼が話題を呼ぶために用いているのがかんから三線であり、昔の演歌だと考えていた。いわば聴衆を彼のフォークソングへと誘う手段として「演歌」もやっているのだと理解していた。

 しかし近年彼の活動の軸足は、フォークよりもかんから三線での「演歌」により重きを置くようになってきていて、それは土取氏との出会いによって決定的となったようだ。理解はしていた。それもまた仕方ない。だが、それでも昨年の独演会までは、演歌とフォークが半ば混然一体と化していて、これまではたいがい最後はギターで〆るというパターンで岡大介はやっぱりフォークシンガーなのだとかろうじて矜持を示していたと思える。
 だが、今回は休憩なしと本人は言いつつも、一部二部とに分ければ、一部はギターでの彼のフォークソングを45分。短い衣装替えのタイムを挟んで、いつもの半被姿で演歌を1時間とアンコールも含めてかんから三線の比重がついに大きくなった。

 と書くと、それが悪いと言っていると思われるだろうが、じっさいのところ出来は圧倒的に演歌のほうが良かった。フォークのほうは、声がフラット気味で上ずって聞き苦しかったし、ギターもあまりよくなかった。つまり今の彼の心は既に演歌のほうに移っていると図らずも知らしめたようだ。それが哀しいかと、同行して頂いた楽四季一生さんに訊かれたが、哀しいとか残念だという以前に困惑、戸惑う気持ちが強くあるだけだ。
 逆にかんからでの演歌のほうが彼の技能的精進ぶりがはっきり伝わってきたし出来もよく観客の多くもそちらを期待していたようだ。というのも今回の聴衆は圧倒的に老人、それも七十代以上の老婆が目立っていたのだから。

 マス坊は、開演前に入れてもらったが、館内から早くから来て道で開場を待つ人の列を見ると、まさに祖母世代の高齢者がやたら目立つ。次いで多いのは自分ぐらいの初老の中年男性で、あとはその連れの女性がちらほらといる程度で、若者と呼べるのは皆無と言ってよかった。
 岡大介のファン層とはそもそもそうした高齢者がやたら多く、そうしたお爺ちゃんやお婆さんに岡は強く支持されかわいがられている。なのにそうした人たちを前に、ディランやたくろうを熱く語り臆面なく唄うのは実に無謀というか勇気あることではないか。
 だから当然一部より二部の演歌のほうが観客の反応はよく、周囲では終わって、「やっぱり演歌のほうが良かったわね」という囁きがあちこちから聞かれたし自分もまたそう思えた。

 ただし、帰りの電車で一緒になった、古くから彼を知りフォークシンガーとしてずっと応援してきたのみ亭の知人の話だと、まず彼の成功を心から喜びたいと前置きしながらも「ともかく今回は中途半端、いったい何がやりたいか自分でもわかっていないのではないか。今までずっと応援してきたけれど、もう売れる軌道に乗ったわけだし、もういいかって感じ。たぶん来年は木馬亭に行かないだろう」とのことであった。

 マス坊も基本同感である。つまり、岡大介の二大要素、彼自身のオリジナルフォークソングと、唖蝉坊らの演歌とその支持層は大きく異なる。フォーク好きなのは、昔売れない無名の頃から彼を知る筆者も含めた主に中年男性たちであり、演歌は彼の祖母世代の後から彼のファンとなった老人たちなのである。今回の独演会、岡はその二つの層を意識して、一部にフォーク、そして二部に演歌を配置し二つを完全に分けて結果として演歌をメインにライブを進行させた。それが成功したかは判断できない。ただ、結果としてたぶんどちらの層にとっても物足りなく不完全燃焼感を与えたのではないか。

 こうしたコンサートはつくづく難しい。それぞれ観客が求めているもの期待していることは違う。その双方を満足させることはとても困難だ。
 自分は彼の演歌を否定するどころか高く評価している。こうした演歌復興、啓蒙活動はバイオリン演歌師楽四季一生氏と共に自分も大いに協力していく。しかし、基本、フォークソング研究家、愛好家として、岡ファンとして友人として、岡大介がフォークから軸足が離れていくことをとても残念に思う。

 今回のライブ、いみじくも第一部冒頭でいきなり彼の自伝的ソング、十数分にも及ぶ長い曲「よしだたくろうが岡大介に与えた影響」をしみじみと披露したが、それこそがある意味、彼にとってのフォークソングへの今の気持ちの吐露、決別の告白だったような気がする。じっさい、金、金、金の世の中で、フォークでは売れず、かんから三線の演歌で今や売れっ子になった彼なのだから。

 たぶん来年の木馬亭では、彼はフォークソングは唄わないか、唄ったとしてもサービスでほんの数曲に留めるだろう。それはそれでかまわない。多勢の高齢者のファンは彼の演歌を求めている。それにしっかり応えれば良い。ただし、のみ亭などごく少数のコアなファンが集う場ではこれまで通りしっかり彼の素晴らしいオリジナルフォークをメインに唄い続けてほしいと願う。軸足を戻せとは言わない。中途半端はやめてもっと良い意味で優柔不断であれと言いたい。元来テキトーな人間なのだ。自分勝手でかまわない。ただ根が生真面目だから皆に応えようとして今回のような結果になってしまうのである。

 岡はフォークから演歌に向かった、気づけば行きついた先が演歌だと言いたいのだろう。だが筆者マス坊はいつだって今もフォークソングに向かっている。それでこんなきついことを書いた。演歌は原点、行きつく先は演歌ではなくフォークだと信ずる。

 好漢岡大介はこれからどこへ向かうのか。だぶんあれこれ言いつつもオレはこれからもずっと彼を見続けていくのだろう。自分にとって岡大介こそ日本のフォークソングの星、救世主だという思いは今も昔もずっと変わらない。