それぞれの「今」について、「今」考えてみたこと・①2013年10月27日 09時05分36秒

★8ミリフィルム映画の「今」を知った。 アクセスランキング: 128位

 今日は10月27日。毎月恒例の三留まゆみの「無頼庵映画塾」開催の日だ。
 台風も過ぎ、久々に朝からカラッと気持ちよく晴れた。南海の海水温もようやく下がったのでもう台風の発生はないだろうとテレビで誰かが言っていた。ならばこれから冬が来るまで安定した過ごしやすい良い季節が続く。心してがんばりたいと思う。

 さて、本日の映画塾、先にもちょっとお知らせしたが、今回は「8ミリ映画」の特集である。「ハチミリ」と言ったって今どきの若者は観たことも聞いたこともないであろう。8ミリビデオではない。フィルムの幅が8㎜の家庭用の映画のことだ。
 今から半世紀ほど前には、その幅のフィルムを使った撮影カメラと映写機が全世界を席巻していた。ホームムービー、ホームシアターという言葉もできたが、要するに、ビデオカメラやいまどきの携帯で撮影する以前の個人的映像記録手段として8ミリフィルムしかなかったということだ。
 16ミリフィルムの映画なら聞いたことはあるだろうし、昔は劇場映画は35ミリであった。それが今は全てビデオ化され、劇場でも昔ながらのフィルム上映しているところは数少なくなっている。何しろ配給される作品自体がデジタルプリント、ビデオ上映しかないのである。

 8㎜とはそんな昔の時代、家庭向け、個人向けとして広く普及し、ちょっと小金がある家庭では、家族の成長の記録として8ミリカメラと映写機を購入したのである。そしてやがてそれらは、自主制作映画と発展し、高校生ぐらいになると各高校には映研、つまり映画研究会ができる。そこでは自分たちでシナリオから役者まで分担し商業映画顔負けの作品を作っていくようになる。
 今でも多くの商業映画監督がその8㎜映画から出ている。当時は「ぴあ」のフィルムフェスティバルに自らの作品を応募し、そこからじっさいのプロ映画デビューという道筋を進んだ人たちも多くいた。

 三留まゆみもそうした仲間たちの一人で、彼女の周囲にはプロの道へと進んだ映画作家たちがたくさんいる。で、今回はそうした懐かしの8㎜映画を久々にかけてみる、つまりフィルムで上映してみようと試みたのだが・・・

 実は不肖、マス坊も高校自体は映研でもあり、自らもそうした8㎜映画を撮っていた経歴がある。三留とは大学で、彼女が入っていた映研で知り合った。むろん学年も全然違う。そして大学時代も音楽活動の傍ら彼女らと自主映画を撮っていたのであるが、それから気がつくと30年が軽く過ぎている。
 ウチにもその映写機がいくつもあることはあるのだが、今回の企画が決まり慌ててそれらを探してみたのだけれど、肝心の今もちゃんと動く映写機がないのである。とりあえず何とか動く機種をみつけて球が切れていたので通販で取り寄せた。だが、無事今日の上映ができるのか実は今も大きな不安がある。

 詳しくは後ほど報告したい。頭の中にはまた故砂川正和がうたう「最後の本音」といううたが鳴り響いている。
 ♪オレは決して悪い人間じゃない、ただ考えが甘いだけ