ディランにこんがらがって2013年10月08日 23時42分40秒

★頭の中に低く鳴り続けている音楽    アクセスランキング: 202位  

 さすがに先週木曜からあちこち出かけたり人が来たりあれこれ連日慌ただしかったのでどっと疲れが出てきている。今日はついに日中も起きてられず夕方まで寝込んでしまった。まあ、何であれそれができること、できたことは良いことなのだから疲れは疲れとして仕方ないとして何であれ全てを肯定していきたいと思う。

 二日続けてのライブで、館野氏も岡君もボブ・ディランのカバーを唄った。そしたら以来、頭の中はディランが鳴り響いて止まらなくなって困った。ディランというのは、習慣性のある麻薬のようなもので、自分もかつてその中毒患者であったから、うっかり一度に大量に摂取するとまたその発作が出て例のディラン節がうねうねと24時間中脳内で鳴り響いて大変なこととなる。

 今日も寝ながらもずっとディランはまだ唄っていたが、先ほど、大音量でマディ・ウォーターズやらハウリン・ウルフやらソニーボーイ・ウィリアムソンら自分のもう一つの中毒、古いブルースのオムニバスを聴きこんでようやくディランを追い払った。毒には毒である。いや、ディランにしろブルースにしろ口に苦い良薬なのだが、今はできるだけ一度に摂らないよう意識して控えている。
 
 というのは、自分の場合、音楽を聴くとそれがそのまま頭の中に一時的ではあるがコピーされてなかなかそれが消えない。良い音楽でも嫌いな音楽でも同じで、うっかり牛丼屋とかツタヤなどに入って、そのときそこで流れていた下らぬJ・ポップでも頭に取り込んできてしまい以後しばらく苦しむこととなる。だから基本的に音楽は自らでもほとんど聴かない。ウディ・アレンの映画に「カメレオンマン」という佳作があったがあれの音楽版ともいえる。異常に感応性が強いのかもしれない。

 実はこれでも自分の中には自分の音楽、メロディーというべきものが常に静かな音で流れていて本当はそれに耳を傾けたいし大事にしたい。ところが、外から別の音楽が入ってくるとその元々の音楽がそれに強く染まってしまう。これでも曲作りをしている者として、それがいちばん困る。

 特にディランという人の音楽は実に強力で、まるで呪術のように頭の中に深く入り込んでくる。だから吉田拓郎をはじめ、ディラン好きな人の曲は皆ディラン節となってしまう。カントリーもまた同じで、その世界にハマルと頭の中がそのメロディーライン、コード進行で洗脳されてしまう。自分で楽曲を作っているつもりでも実は既にある、そのメロディーラインをただ踏襲しているということになってしまうのである。そこには個々人それぞれのオリジナリティはなくなってしまう。

 実は音楽に限らず、人は一人づつ、その人だけのメロディーやリズム、言葉を持っている。いや、持ってこの世に生まれてきた。しかし、学校の音楽教育やその時々の流行っていた音楽、生活環境により外からの影響を強く受けてその最初にあったものはやがて消えてしまう。いや、消えはしなくとももう当人自身が忘れて記憶の底に閉じ込めてしまう。
 それは絵画でも同じで、幼児教育に関わった人ならご存知のように、子供はうんと幼いときは、クレヨンなど与えると自由に色彩中心で素晴らしいのびのびとした絵を描く。それが少し成長し、マンガなど見て影響を受けると突然、人物画などへたくそな少女マンガみたいに線で輪郭をとりお目目ぱっちりの塗り絵のようなものになっていく。

 どんな音楽が良い、悪い、どんな絵が良い、悪いとは誰にも決められないから今ここでは問題としない。しかし、いつの間にか画一化された音階、リズムパターン、決まったメロディラインというものばかりとなるとそれはオモシロクナイ。面白くないだけでなく息苦しいしそこには自由も冒険もない。学校では異端は許されない。それが行きつく先はナチスが進めたような健全芸術となる。

 日本人には日本人の古来からあるメロディ、リズム、間合いのようなものがあったはずだ。また心象的な言葉、言霊も持っていたはずだ。それが外国文化、特に米国のテレビや映画、ラジオから流れる音楽でほぼ完全に欧米化されてしまった。それは元には戻せないし、今さら雅楽でもない。まして自分のように、基地の街で、子供のときから米軍ハウスの白人と暮らしていたような日本人はもう頭の中も生活様式も100%近くアメリカ人である。
 いや、だからこそ、わずかにまだ脳の奥底に残っているおそらく自分だけのオリジナルメロディーを枯らさぬよう大事に育てていきたいと願う。
 ディランは今も昔もものすごく好きだ。ただ今はできるだけどんなものにも感応しないよう、頭と心をニュートラルに、フレキシブルにしていきたい。それこそが自分らしくある、ということではないだろうか。

 ヘイトスピーチで外国人や外国文化を追い出したって意味がない。日本人にしろ誰であれ、まず自らの心の奥深くにある音楽や言葉に耳を傾けていくことだ。民族の文化や本質はまず自らに問うべきであろう。そこにどんなメロディや言葉がみつかるかである。

Don't Think Twice,It's All Right