残りの人生の「残量」を考える2014年01月08日 20時54分19秒

★早春の雨の降る晩に          アクセスランキング: 134位

 東京は久しぶりの雨がしとしとと降っている。今日は先日までと違いぽかぽか陽気で暖かく、春先を思わす暖かい雨となった。このまま春がくればと願うが、寒さはこれからが本番で、2月、3月は雨も雪となって降るだろう。

 さて、またまた死の話。
 昨日だかのニュースで大阪のやしきたかじんの訃報が流れた。昔からシンガーとしてよく知ってはいたが、まあ、大阪ローカルの人気者で、昔、向こうにいったとき、東京ではもうほとんど見ることもない人なのに地元での絶大な人気に驚いたことがある。おそらく全国各地、その地元に密着してその地の放送では誰もが知っている超有名人がいるのであろう。何も東京に出て全国的メジャーになることだけが芸能人ではないのだから。すべて地産地消こそが正しい流れなのである。それで巧く回って皆が食えていけるなら実に良いことではないか。

 さておき、彼もまた64歳。やはりこのところこの世代の訃報が相次いでいる。ロックにしろ、フォークにしろある程度名の売れた人たちの死が続く。
 どこかのCMではないが、東洋医学では男は8の倍数の歳、女は7の倍数の歳に病気になりやすいと言われていたかと記憶する。それ以前に、昔から男女ともに厄年というものがあり、それはつまり年齢と共に、体調も変わりガタがくる危険な年代のことを指している。その歳は要注意とされている。
 8の倍数で考えれば男の場合、若いときはともかく中高年となると、56歳頃と64歳頃となり、高田渡や大瀧詠一氏らの死の歳にまさに適合する。確かに人の死にはやたら多く死にやすい年齢が確かにあり、そこをうまく乗り切れればまた次のそうした山、峠まで生きられるような気がするがどうだろうか。
 ウチの親父を見ても、正確な年は思い出せないが、70代の頭と八十歳の頃にそれぞれ前立腺ガンやら何やら入院する大病をやっている。幸いにしてそうした危機を何とかうまく乗り切って相変わらず米寿を過ぎて今もヘラヘラ生きているという次第だ。

 親たちのことはどうでもいい。では自分はどうなのか。何歳まで生きられるのか考えた。

 パソコンのプリンタでこの年末年始、年賀状を何種類か印刷していた。いろいろあって使いたくはないのだけれどインクの消費量が異常に早いキャノンのをまた使っての印刷だ。それはバカ高い純正インクしか出回っていないタイプのやつなので、大容量タイプのインクをセットしても百枚ほど印刷するとすぐに、「警告」としてインクの残量が表示され、各色ごとどのくらい残り少なくなっていることか棒グラフのレベルとして目で確認できる。
 人生もそんな風に「残量」が表示されたらどうであろうか。
 
 今自分は、老いたとはいえ両親が二人ともまだ健在なので、彼らの歳を判断にして、この身も彼らの年代までは生きるだろうと考えて生きている。つまりオツムのほうはともかく、八十代半ばまでは生きられる、ならばまだ残りの人生は30年ほどあると安易に考えている。
 むろん、親たちを見るまでもなくその30年は今と同じく健康で今のままということは絶対ありえないのはわかっている。たぶん動けなくもなっているだろうし頭も相当ボケてきているだろう。しかし、命だけはたぶんまだあるに違いないとそう30年の「残量」の人生を見据えている。

 しかし、昨今の報道される著名人たちの死の年齢を見る限り、自分もまたそうした年齢、つまり高田渡の死んだ歳や、大瀧詠一の歳で死なない理由が見当たらない。考えてみれば、ウチの父などは大正の人で、戦争にも行き、無事帰還したほどの元々頑健な人なのである。戦後の公害と化学物質にまみれた我々チクロ世代ではない。子供のころから自然食品だけで育ってきたようなものだ。だから今まで無事に生きてこれた。

 今この自分が、親たちが生きているからまた己も彼らと同じ歳まで生きられると考えるのは大いなるカンチガイ、甘い見通しではないのか。じっさい我ら昭和30年代前半世代が果たして何歳まで生きられるのか、その平均寿命、余命はまったく予想がたたない。だいたい「平均寿命」とは、そのある時点での全世代の平均割合であって、大震災の年などはすぐ下がってしまうのである。まったく意味がない。
 それよりも、プリンタのインクの残量表示のように、お前はあとどのくらい生きられるのかきちんと表示されないものか。

 漠然と今までこの身はたぶんまだあと何十年も生きられると考えて毎日のほほんと高括って生きてきたわけだが、もしかしたら60代半ばで団塊の世代に倣って我々もぽっくり皆死んでしまうのかもしれない。
 まあ、高くても買い足しできるパソコンインクならともかく、もしそんなふうに「あんたの余命はあと10年」とか「もう残量ありません」と「表示=告知」されてしまったらそれはそれで本当に怖いし困る。しかし、暢気にまだまだ人生の残量はたっぷりある等と考えるのは愚の骨頂であるのは間違いないはずだ。
 まさに、「明日ありと思う心の仇桜」であろう。いつ夜中に嵐が吹くか誰もわからないし保証もないのである。

 まあ、愚かで全てに無計画のこの自分も願わくば50代のうちに、本格的に老人になる前に、もう少し人生をきちんとさせ確立させたいと切望している。還暦前50代のうちに、何でも自ら作り出せる「スタジオ」を完成させたい。どうかそれまでは無事に生き続けたい。情けない話、ようやくそのためスタートし始めたところなのだ。
 回り道と道草ばかりでずいぶん人生を無駄にしてきた。ようやくではあるが、もう何が大事か何をすべきか、何ができるかわかってきた。あとはそれを一つ一つ具現化していくだけなのだ。