人は死ねばどこに行くのか2014年05月08日 23時00分10秒

★友人の墓参りに行って考えたこと     アクセスランキング: 114位

 体力無しを自ら標榜しているマス坊だから隠すこともないので書くが、このところ一日都心にでも出掛けると翌日は疲れて一日寝込んでしまう。それも一つの用事での話で、一昨日は、豪徳寺で昼過ぎ親しくしていた友の墓前に彼を知る仲間たちと集い、その後に昼間からやっていた三軒茶屋の居酒屋で軽く呑み、さらに夜は谷保でのライブで遅くなった。
 つまり一日に二つの要件をこなしたわけで、実質二日分の疲れ蓄積となったようで、昨日一日寝込んだだけでは回復できず、今日も疲労感に苛まれて時間あらば昼寝ばかりしていた。
 それでも本の発送やら洗濯やら飯の支度、犬の散歩等やるべきことはやらなくてはならない。その合間合間に少しでも時間つくって仮眠を繰り返して何とか体力を保っている。今もまだ鈍く頭痛がして体はだる重いがブログだけは書いておきたい。
 一昨日のことだ。

 考えてみれば近年一番親しくしていたT氏と連絡不通となって半年、ようやく死が確認されその彼が眠るお墓もわかり、生前の彼とかかわりがあった方々と待ち合わせてそのお寺に行ってきた。
 彼とのことや経緯については先にも書いたので繰り返さない。要するに天涯孤独の方で、ご両親は先に亡くなられていて、しかも当人は病気持ちで以前にも入退院を繰り返されていたので、連絡とれなくなっても周囲は、つまり我々友人知人たちは心配はしたが、また入院中かと勝手に思い込み忙しさにかまけて無事の確認を怠ってきていたのである。まったく薄情だと自分でも今も思う。友に対し卑怯卑劣でさえあった。
 ただ、今もその死因やどのような状況で亡くなられたのか唯一の親族の方とも直に連絡とれないので詳しいことは何もわからない。わかったことは命日と病死とのことだけで、彼が眠る一族の墓がある菩提寺の名と場所だけだった。

 それで、ともかく墓参りだけでもとオフノートの神谷氏の呼びかけでT氏の友人知人たちが墓前に集った。自分もそこに加わってきた。9人の男性陣がそろった。
 先にも拙ブログで書いたことだが、葬式をしたのかはともかく、そうした告別の儀式の席で永遠の眠りについた故人の姿を目にしないことには、彼が死んだこと、もうこの世に生きていないことは実感できない。だから気持ちとしてはもう連絡がないだけで、死んでしまったというよりもただ不在、いなくなったという感覚しかない。だからまたふいに連絡があるような気がするし、彼が死んでもう二度と会えないのだという実感が哀しみも含めてまだはっきりとわかない。
 ただ、今回は墓前に参り、その墓石に刻まれた名前を見ればようやくはっきりとその事実を認識できると思い、覚悟していた。それはある意味辛い現実を受け入れることであった。他の方々はどうか知らないが自分はかなり緊張し気分は重かった。

 しかし、そのお寺、そこは吉良上野介も眠る高名な古刹であったのだが、まずT家の墓がどこかわからない。お寺の人に訊ねて案内してもらいようやくここだと知らされた墓石は、T家の墓とは刻まれてはいるものの、個人の名前も年月日のようなものも一切ない簡素なかなり黒ずみ古びたもので、まず果たして本当にそこに彼の遺骨が入っているのかさえわからず皆で戸惑うばかりであった。
 幸い墓石の後ろに立っていた古びた卒塔婆の1本に、T氏の名前があったので、わりと多い名字であったが、ここで間違いないと皆納得してまず墓石を清め清掃してから花を活け香を炊きそれぞれが順に故人を悼んで祈った。

 それからチンチン電車で三軒茶屋まで出て、皆で安居酒屋で一献傾けながらT氏について関わりと思い出を語り合った。来られた方々はそれこそT氏とは彼が学生時代の頃よりご存知という方もおられて、病気に苛まれる以前の活発で才気あふれていた若き日の姿も初めて聞くことができた。
 考えてみれば墓参りに来られた方々の中では自分がいちばん歳月が短くしかも新しい付き合いであり、快活な時があったかを思い出すことができないほど常に病気を抱えて陰鬱気味で倦怠に囚われていたようでさぞや大変だっただろうと改めて気がついた。そうして薬のために常に抑圧され不全感を訴え続けていたのが自分の知るT氏であった。

 それこそ死ぬほぼ直前にあったのは間違いなく自分であったから、自分が知る彼とのこと、この数年の様子を語り、結局最後は彼は自殺ではなく、たぶん薬を飲み過ぎて体に負担がかかっての心筋梗塞のような突発的なことで亡くなられたのではないかということで皆で納得した。

 ビールを中心に軽く呑んだだけだったが、一通り全員が自己紹介と思い出を話し終えた段階で妙な酔いが回ってもう気分的に限界となってもっと話したり話を聞かねばと思いつつもその場を勝手に先に辞去させてもらった。たぶんそのまま呑み続けていたら感情が制御できず酔い過ぎて前後不覚となってしまい夜のライブには行けなかったことだろう。

 東急で武蔵溝口に出て南武線に乗り換えて谷保に行ったと思うのだが頭がぼうっとしていっぱいで記憶がほとんどない。ただ、ずっと考えていたのは、今彼は、Tさんはどこにいるのだろうかということだけだった。むろん、たぶん肉体は焼かれ骨になってあのお寺でご両親と共に並んで墓石の下に入っているのであろう。ただ、歌の文句ではないが、そこには眠ってなんかいないとはっきり思えた。ならばいったいどこに、まさか千の風になって空を漂っているとも思えない。
 彼の遺骨が眠る墓前に参れば彼の死をようやくはっきりと実感できると思っていたが、やっと墓参りできたこと自体は良かったものの改めて不在感を強くしただけであった。

 自分は魂の存在も信ずるし、人は現世のみこの肉体のみで生きるものではないという確信を持つ。が、かといって天国とか神の国に彼が行ったとも正直なところまだ思えない。彼の魂はまだこの世にとどまっているのではないかという気がする。いや、ずっと今もしている。ならばもう一度声は無理でも向こうから何かのしるしを示してほしいと望む。そしてどうかきちんと別れを告げたいと、彼を助けられなかったことを心から詫びたいと願う。

 それができない限り自分は生涯、彼の死を受け入れられないしただいなくなってしまったと、連絡が取れないでいる長い長い「不在」を抱えていくしかない。いや、いずれ早晩自分も死ぬのだから不在は不在のままでもう良いのかもしれない。
 そしてあの世で再会しあれからのこと、積もるお互いの情けない話をとことん語り合おう。
 そう、それで良いのだ。あるがまますべてを受け入れていこう。無理に納得させる必要もない。彼は死んではいない。ただいなくなっただけだ。そしてやがてまた会える。その日まで不在は不在で連絡取れなくても仕方がない。そう考えていくことにした。

 追記:彼は自分のフォークソング教室の生徒でもあって、彼にギターも教えていて手元にあったモーリスの中古ギターを貸与していた。ただ、彼の体調が悪くなりしばらく休みたいという申し出に、ギターはまだ返してくれなくていいよ、と言ってそれきりとなり、結局彼のアパートも誰かが片づけて生前の私物はすべてどこかへ消えてしまったのである。
 あれこれ彼に貸していた本とかのことも思い出すが、気にかかるのはやはりそのギターのことで、誰かの手元に渡り誰かが使ってくれたら良いのだが、結局ゴミとして処分されたかと、ときたまそのギターのこともよく思い出しては気にかかっていた。大して価値あるギターではないが、本なんかより楽器は個性があるぶん行く末がなぜか気にかかるものなのだ。

 そしたらば、墓参りに行った翌日、つまり昨日の朝のこと、近くのアパートのゴミ捨て場に、自分が彼に渡した時と似たようなソフトケースに入ってフォークギターが捨てられているのを発見した。むろんすぐ拾って持ち帰って中身を確認した。モーリスのではないが、同程度のそれももっと状態の良い新しいギターで、思わず、ああっという声が出た。そしてすぐにわかった、几帳面なT氏のことだから、借りていたギターのこともあの世で気になって、代替のもので誠に申し訳ありませんが・・・、と自分に返してくれたのだと。やはり彼はまだこちら側にいる。ただもうこちらからは連絡がとれないだけなのであった。人は嗤うだろうがそう確信を得た。
 Tさんが返してくれたギター、大切にして大事に弾いていく。Tさんありがとう。知り合えて良かった。そして長く苦しく大変だった闘病生活、本当にお疲れ様、ご苦労様でした。彼の魂の安らかなることを祈ろう。

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