これからのこと など。2017年05月26日 14時21分50秒

★8月までの予定を、少し。

 昨日から本降りの雨が続いている。肌寒い。今、外気温は20度もない。
 つい先日まで、夏本番の暑さが続き、それに慣れた身体は、この寒さに戸惑うばかりだ。父の布団も冬物はしまい、夏掛けのに替えてしまったので風邪ひかなければ良いのだが。何が困るといってこういう急な寒暖の差であろう。

 その父は、今日はデイケアに行って今不在。ただデイケアだと朝8時半前に送り出し、夕方早く午後3時過ぎには帰ってきてしまう。
 向うから出迎え時に必ず電話があり、家族として家にいないとならないので、週に二回、デイケアに通っているといっても、その日は長い外出もままならない。実質6時間では都心には出られない。

 共謀罪関連の集会で、このところ久しぶりに日比谷野音や国会正門前に出向いたことは書いた。
 ようやくまた以前のように、こうした集まりに出向くため都心に出ることも少しづつできるようになってきたわけだ。しかし、その「以前」が、母が元気で生きていた頃だとすれば、また前のように、自由気軽に、出歩くことはやはり今はできやしない。

 先の日比谷も国会前も、夕方に父がデイケアから戻って来て、彼によ~く留守番を言い聞かせて、晩に食べるものを用意して我は家を出た。集会が終わったら大慌てで戻って来たのだが、それでも都心から戻ると夜は9時過ぎとなる。
 父が火をつかうと危ないので、例えば柔らかい麺類など作って皿に盛り、咽ないようトロミ付けて用意して息子がいなくてもしっかり食べるように言いつけて出るのだが、我が戻って確認すると、ほとんど食べていない。やはり傍らについて指導しないと自らは食べないし、食べるのも下手でむせて苦しく食欲もなくなるのかもしれない。
 出かけて遅くなるから先に寝てろと言いたいが、それは今の父自らでは不可能だ。夜は寝かせるまで、着替えさせて入れ歯外して磨かせてメイクベッドして布団に押し込むまで一時間要する。やはり息子が付ききりで世話しない限り、92歳の父は、家で一人では食事も排泄も寝ることも難しい。もし一人に任せると明日の朝、布団は糞尿まみれとなっている可能性が高い。我の手間がまたさらに増す。
 
 そんなわけで、二回、父に留守番を頼んで、夕方から都心に出てみたものの、集会に参加していても家のことが気になって気が休まらないし、とんぼ返りで帰宅する羽目となる。
 やはり、我が出かけられるのは、父をお泊りでデイサービスに預けた時でないと無理だと改めて痛感した。となると、今の契約では、土日だけであり、夜も出かけられるのは、月曜までの土日月の二泊三日で宿泊をお任せできる月に二回だけということになる。

 先日、ケアマネージャーが来たので、そのへんのことを相談して、今後は、日帰りで通うデイケアは終わりにして、平日のどこかで、一泊二日で預かってもらえるデイサービス施設を探してもらうことにした。さすれば、我ももう少し自由に夜も外出できるようになろう。
 このところ、拙ブログでお知らせしたように、ようやくまた先の予定が出始めて来た。そのためにもネックは父の処遇、在宅での介護であり、全面的に特養に入れられないならば、いかにどこかショートで施設で預かってもらう回数を増やすしかないのだ。

 で、今後の予定だが、今月もけっきょく何だかよくわからないままに、慌ただしく終わってしまう。来月6月に入ると、まず鈴木翁二さんのワンナイトライブを仕切らねばならないし、まだ日程は出ていないが、8月までの間に、また反戦・労働歌コンサートの延長で、『護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート(仮)』を開催したいと思っている。
 まあ、何も期日が先にあるわけではないが、今年の終戦記念日までには、やれたらと夢想している。場所は、たぶんかけこみ亭で、プロのミュージシャンにも参加呼びかけていくつもりだけれど、これまでの反戦歌コンサートの参加者中心にまず第一回目はやれるかと思っている。

 その他、我が深く関わってきた故林美雄TBSアナウンサーのファンクラブ、「ハヤシヨシオ的メモリアルクラブ」の集いも今夏は8月25日頃に、吉祥寺界隈の某所で催す計画が出ている。
 それはご存知の方はおわかりの、パックインミュージックの頃から恒例の「サマークリスマス」であり、このところ我が諸事情からずっと放擲してしまったクラブ活動もここらで何とかしていかねばと思い至ったからだ。クラブ会員総意で「解散」するのならそれもまた良しなのだが、いちばんいけないのは、ほったらかしにしてしまうことであり、何とかしなければと昨年からずっと心痛めて来ていた。

 そんなこんなで、これからこの夏はあれこれ予定が出始めてきて忙しくなりそうだ。しかし、そうなると今抱えている、早く片づけなくてはならない「けんあんのこと」がまたさらに後回しになってしまう。
 もうそちらもいいかげんに何とかしないとならない。これからますます時間が無くなる。かといってどれも中途半端に、ほったらかしにしたり投げ出すわけにはいかない。
 我が人生も先が見えてきているのだ。関わってきたこと、関わることにはその責任がある。責任を果たさねばならない。

 と、ここまで書いてたら携帯が鳴り、父が帰ってきてしまった。
 親ひとり子一人で、手のかかる世話の焼ける父と暮らしつつ、どう生活以外の、成すべきことをやっていくか。参院に場を移しての「共謀罪」廃案に向けての闘いの行動もできるだけ参加していきたい。
 限られた時間の中で、何とかどれも成功させ少しでも成果が上げられるよう頑張るしかない。鬱々している暇はない。