我に平穏と安寧なし・続き2017年08月31日 21時41分32秒

★小銭入れの件は、幸い決着したけれど、次は子猫たちが消えた。

 たかがカードサイズ一回りほどの小銭入れである。しかも中身は金額にして(おそらく)五千円ほどしか現金は入っていないはずだし、他は再発行可能なスーパーなどのポイントが付くカード類、サービス券のようなものだけなのである。それに歯医者の予約カードぐらいしか入っていないはずだ。※むろんそれにも名前も記してある。
 しかし、もしかしたらそれと一緒に健康保険証も入れてあったのではないか、クレジットカードも一枚ぐらいは・・・と考えてしまい、失くしたことに囚われてパニックを起こしてしまった。

 告白すると我には不安神経症的なところがあって、それは父譲りのものなのだが、一つのことに何か囚われ不安になるとそのことに頭がいっぱいになって他のことは何も考えられず手に着かずパニック障害を起こす。特に失くし物、何かを失うことに対して強い恐怖心がある。

 それは昨年母を亡くしてから強くなってきていて、生来の迂闊さ、だらしなさ故、実によく落とし物、失くし物を我はよくしてしまうのだが、出かけたり何かイベントなど終える都度、失くし物はないかその確認に追われ大騒ぎしてしまう。
 我が関わったコンサートが終わると、家に戻り疲れ果ててまず床に就く。酔っぱらっていることも多々ある。が、枕高くして深く眠るわけではなく、そのためには早朝まず一度起きて、持っていったものが全部そろっているか、忘れ物などがないか確認しないことには安心して眠れない。
 いちおう全部持って帰って来ているか、調べ直してそれでようやく深く眠り直す。
 何しろこのところ、スチールカメラ、録音機材に加えてビデオカメラ、三脚、SDカード、さらにはときに各種ハーモニカ類、ギターなども増えてしまって、失くし物がないほうがおかしいほどの大荷物なのである。
 そしてコンサートの後は、常に大慌てで撤収となるから慌てて当然常に何かしら失くし物もしてしまう。
 先日の8.11の「共謀」コンサートも、帰ってきてからギターカポやフォルダーなどいくつか店に忘れたことに気がつき、翌日午前、車でそれを取りに行ってきた。幸い他の失念していたものも含め総計五点の「忘れ物」は無事回収でき安堵して、本当にそれでようやくそのコンサートは無事終了にできた。
 そんなことを繰り返している。

 しかし自分でも不思議なのだが、ほんとうに大事なもの、携帯電話やスマホ、財布類はこれまで何故か失くしたり忘れたりすることは幸いにして今までなかった。以前デジカメ紛失騒動はあったものの、このところそうしたものの失態は皆無であった。
 が、今回は小銭入れだが、財布が間違いなく無いのである。いったいどこで落としたのか。

 嗤われるだろうが、我はスイカやパスモなどは使わず、電車での移動はいつも切符を買い、しかも乗るときは最低料金で入り、降りる時清算するようにしている。何故ならその都度領収証で時間が確認でき、後で日記などに記載するときの確認資料とするからだ。
 今回もいつものように降りる時に清算したと思い、そのときに小銭入れは出したと思っていたのだが、翌日早朝、まだ薄暗い中、バックから切符購入時の領収証を出して確認してみると、何と吉祥寺のもので我は正規の運賃で乗っている。
 ということは、最終的に小銭入れを出したのは、吉祥寺駅で、となると落としたり掏られたりしたとしたのは、中央線車内まで含まれる。
 昨晩の警察署への届けでは紛失したのは駅前周辺としたが、それとは違ってきた。大慌てでまた自転車で警察署まで走り、落とした範囲の届けを吉祥寺からと変更し、早朝6時から受け付けるJRの遺失物センターへも6時を待って電話もした。しかし、そんなものの忘れ物はないと言う。
 それが27日、日曜の朝のことだった。

 たかが、金額にして五千円程度とポイントカードやサービス券しか入っていない小銭入れなのである。なくなったからといって大騒ぎするほうがおかしい。が、汗が吹き出し興奮は収まらず、我はそのことだけに囚われて冷静さを欠き何も他のことは考えられなくなってしまった。
 理性では、すべて起きることには意味があり、全てを赦し受け容れるしかないとわかっている。が、どうしてその小銭入れを落としたのか、それとも女友達と浮かれて電車内で話込んでいるうちに掏られたのか、あれこれ考えてしまい昂ぶる心を制御できなくなってしまっていた。
 ほとんど寝ていないのだからもう少し寝ようと思いベッドに入っても頭にあるのは失くした小銭入れのことだけで、少しはうとうとしたかもしれないが、ほとんど寝た気がしなかった。

 この土日は、月曜も含め父が二泊三日でショートステイで介護施設に行って不在だった。我は、先に記した堀向のGさんの遺品である本の山を、箱詰めにして車に積んだままだったので、土曜のイベントも終わったら日曜午後から山梨に行き、向うに下ろしてくる計画でいた。
 しかし、この騒動で、ほとんど眠れず体調も最悪だけでなく、どこかに失くしてみつからない小銭入れのことで、頭がいっぱいでもう今回はとても出かける気分ではなくなっていた。

 一緒に帰って来た女友達には既にメールで状況は知らせていたけれど、念のために宅電に電話した。それが朝の9時過ぎであっただろうか。
 彼女は起き抜けでメールはまだ読んでなく、事情を説明したらば、何と我は帰り途、吉祥寺駅で電車に乗る時からその小銭入れがみつからず、切符買う時にバックの中を探していたとのこと。後ろで待ってる人もいたので、仕方なく彼女が切符を買ってくれたのだと言う。情けないことにそんな記憶は全くなかった。それほど酔っぱらっていたのだこの俺は。
 おぼろげに記憶をたどると、いつものように降りるとき清算しようと精算機に切符を入れたら清算の必要はありませんと出てそれで改札を出たのだった。ということは、小銭入れは、中央線に乗る前から既にないのである。
 手提げバックとはいえ、帰り道、井之頭公園を歩いていて落とすとは考え難い。むろんズボンのポケットに入れていたらまた別の話だが。 
 ということは、そもそも今回のサマークリスマスの会場となったスタジオで置き忘れてきたのかもしれない。その可能性が最も高い。

 その今回のイベントの設営から撤収まで全面的にお任せしてしまったMさんには一応メールで昨夜のうちに落し物があったらと連絡はしてあった。
 が、返信はまだなく、女友達と話してから慌てて彼の携帯に電話してみた。彼は律義にも、日曜午前にも関わらずそのスタジオで昨日の後片付けを一人でしていて、話したら、「ああ、それならありますよ」とのことだった。突然、安堵のあまり腰が抜けた。
 スタジオを出る時、彼に今回の参加費をその小銭入れから出して渡した記憶はある。が、何でその財布じたいをその場に置き忘れたのか。記憶が何もないだけ不思議というしかない。
 しかし、あちこちに問い合わせもして、きっとどこかで掏られたかして、ならば二度と戻らないかと覚悟したものがあっけなくみつかって、嬉しいよりも夢見ているような、まさに半信半疑であった。

 彼は近いうち、仕事でそちらのほうにも行くこともあるので持って行きますからと言ってくれた。みつかって嬉しいはずだが、まさに拍子抜けして、一気に強い脱力感に襲われた。いったいオレは何をやっているのか。頭がおかしいに違いない。
 それから女友達や、今回お騒がせした人たちにすぐにその小銭入れがみつかったことを伝えた。皆共に大喜びしてくれた。いったいこの騒動は何だったのか。何であれほど囚われたのか。我は発狂していた。

 それから昼頃まで一時間半ほど寝直し、今日はどうすべきか考えた。その小銭入れがみつからないままならば、それは今日はもう山梨へは行くべきではないという啓示だと考えていた。じっさいそんな状況で車を走らせたら運転に集中できずまたも事故を起こしていたことだろう。
 しかし、無事ともかくみつかって、まだ手元には戻らずとも一件落着したならば、気分転換も兼ねて山梨へ行こうと決めた。積んである本を向うに運ばないことには、9月の頭に予定していた「旅行」にも行けない。
 それで午後も遅くなったが、犬たちを乗せて、山梨の北杜市須玉の倉庫と化した我が古民家へ日~月の一泊二日で行ってきた。
 父は月曜の夕方に戻って来る。それまでは自由であった。

 向うに着いたのが夕方。我は本の箱を下ろして向うの温泉に二日とも入り、農協で季節の果物など買い求め月曜の夕方4時前帰って来た。
 あろうことか、実直なMさんは、不在時に直接我家に来てくれて、その問題の小銭入れを届けてくれていた。で、彼に御礼に渡そうと思っていたブドウなどフルーツの箱を大慌てで郵便局へ今日の便で出しに行き、ようやくそれで今回の騒動は決着したかと思えた。小銭入れもおかげさまで手元に戻って来た。やれやれである。いったいオレは何をやっているのだろう?頭がおかしいのか。

 しかし、家にいるはずの子猫たちはその晩も帰ってこなかった。母猫のクロはいたのに。この騒動で気がつかなかったが、土曜26日の日も朝から姿を見ていない。
 出かける時出しておいた餌の減り方から見ると、どうやら日曜日も帰って来ていないようだった。我の心に新たな不安の気が起きた。二匹の子猫たちはどこへ?