まさしく、昔はものを思わざりけり・続き ― 2017年09月15日 23時58分36秒
★状況はさらに悪化しても「今」のほうがマシだと信じたい。
「逢い見ての のちの心にくらぶれば 昔はものを 思わざりけり」 とは、日本人ならおそらく誰もが知っているだろう、百人一首にも採られた大昔の人の歌だが、恋愛をじっさいに体験し、恋の甘さ、楽しさだけでなく苦さや辛さも経験した今、昔は、何も考えてなかった、知らなかったなあ、という感慨を綴ったもので現代の人でも深く思い当ろう。
そうした恋愛事情のことでなくとも、人は過ぎた日々を振り返れば、こうした普遍的感慨に襲われるに違ない。
このところ夕暮れ時に、我は犬たちとの散歩で近くの公園で、ベンチに座り缶チューハイなど片手に、ただぼんやり、ぼーと過ごすのが唯一の息抜きだと記した。
特に何か考えるわけでなく、ただ気持ちも身体も弛緩させアルコールの回るのに任せていると、昔のことがとりとめもなく記憶の沼の底からぼこぼことガスのように湧き上がってくる。
それは、母が生きていた頃のことであったりもするが、それこそもっと大昔の、我が二十代のとき八十年代の頃であったり、この四、五年のことだったりもする。さすがに学生時代のことは出てこない。
そして、ときに思い出した失態に今もまたこの身が捩れるような、穴があったら入りたい気分になることもあるが、たいていはほろ苦さと共に、あの頃は、本当に何も考えてなかったんだなあ、何もわかってなかったんだ、と、「昔は ものをおもわざりけり」の心境に襲われる。
我の場合「思い出」とは、楽しいもの、思い出すと唇が緩んでくるようなものは少なく、思い出すのが辛くてふだんは記憶の底に閉じ込めてできるだけ忘れ去ろうとしているものばかりでも、このところようやく過ぎたことは過ぎてしまったこととして、受け容れられるようになってきた。それはそれでそのときは仕方なかったんだと。
若気の至りという言葉はあるが、若とは、バカさだの同義語だとしても、我の場合は根本的、本質的な部分がとことん愚かで、ダメであり、それは今も少しも変わっていない。
だから、昔はものを思わざりけり、の心境になっても、昔に比べて今はマシに利口になったとか、状況が良くなったと言いはる気持ちは毛頭ない。
何事においても自制心の欠如、衝動性と考えなしは若い頃とまったく変わっていないし、そうした迂闊さ、愚かさがもたらす反社会的立場からの孤立も今もほぼ続いている。我を取り巻く内外の状況は今のほうがさらに悪化している。まさに、にっちもさっちも行かない問題山積の「現在」だ。
そこに風に吹かれる葦の如く、瑣末な小さなことでもざわざわと揺さぶられる弱く脆い小さな心も相変わらずで、世間一般から見れば取るに足らない瑣末なことでもすぐ囚われては常に大騒ぎし落ち込んだりと実に恥ずかしく情けない限りである。醒めればバカも極まりだと自分でも思うのに。
しかし、では、昔のほうが良かったとか、あの頃に戻りたいなんて全く思わない。母や愛犬が元気だった頃に戻ってやり直せたらと思わなくもないが、それ以外はすべて昔より今はマシだと思いたい。
状況は今のほうがはるかに悪くなっている。しかし、今の我はその過ぎて「経験」したことを経て、昔に比べれば、内面的にははるかに深く考えるようになった。
昔はわからなかったことも少しはわかるようになってきたし、見えなかったものも見えるようになってきた。昔は全てにおいて我は浅薄であったと今にして思う。
我が本性本質、根本のところのバカとダメの部分は変えようはないし変えられるものではないが、ずいぶん昔とは考え方もキモチも変わった。
たった一年前にここに書いたことや考えていたことでも今とはずいぶん違っているし、それと比べれば「今」のほうが絶対に正しいという確信がある。むろんまた一年先の自分の考えのほうが今よりもっと正しいと思っているかとも思うが。
つまるところようやく「人生」というものがどういうものか、ほんの少しだが、見えて来た気がしている。何がいちばん大事なのかも。昔はその肝心のことがわからなかった。気持ちの赴くまま突発的、衝動的に何も考えずに行動していた。まさにその場しのぎだったと気づく。
我は昔から快楽主義者で、後先のことは何も考えずにいつもそのときどき、目先の楽しみだけで動いていた。しかし、このところやっとわかってきた。娯楽や楽しみ、癒しや快楽は、まず成すべきことを終えてから後にあるべきものであって、それらを第一義、最優先にしてはならなかったのだ。最初から「ごほうび」を神は与えてはくれない。
そして漱石先生の説く「則天去私」の教えも真理だと思う反面、単に天に全てを委ね任せるだけでなく、天=神の成すことの意味をよく考え、常に問い、語らい仰ぐところに「私」はあるのだと思えてきた。
そのうえで、起きること、起こったことの全てを赦し受け容れていく。むろん人それぞれ異なるがこの世に生を受け与えられた役割を果たしていく。それが人生の意味であり、そこに価値があるのだと思いたい。
そうしたことがようやくわかってきた。ならば過去の失態や失敗も意味があろうし、それもまたそのときは仕方なかったのだと。
そうして相変わらずバカのまま、失態失敗ばかりの人生を続けているけれども、物心ついてから半世紀以上生きて来て、母たちを喪いようやく気がついた。何がいちばん大事なことか、大切なものは何なのかと。
そんなことを夕暮れどきに傍らに犬たちをはべらせとりとめなく考える。昔は何もわからず何も考えなかったのだ。ならば今のほうがずっと良いではないかと。
「逢い見ての のちの心にくらぶれば 昔はものを 思わざりけり」 とは、日本人ならおそらく誰もが知っているだろう、百人一首にも採られた大昔の人の歌だが、恋愛をじっさいに体験し、恋の甘さ、楽しさだけでなく苦さや辛さも経験した今、昔は、何も考えてなかった、知らなかったなあ、という感慨を綴ったもので現代の人でも深く思い当ろう。
そうした恋愛事情のことでなくとも、人は過ぎた日々を振り返れば、こうした普遍的感慨に襲われるに違ない。
このところ夕暮れ時に、我は犬たちとの散歩で近くの公園で、ベンチに座り缶チューハイなど片手に、ただぼんやり、ぼーと過ごすのが唯一の息抜きだと記した。
特に何か考えるわけでなく、ただ気持ちも身体も弛緩させアルコールの回るのに任せていると、昔のことがとりとめもなく記憶の沼の底からぼこぼことガスのように湧き上がってくる。
それは、母が生きていた頃のことであったりもするが、それこそもっと大昔の、我が二十代のとき八十年代の頃であったり、この四、五年のことだったりもする。さすがに学生時代のことは出てこない。
そして、ときに思い出した失態に今もまたこの身が捩れるような、穴があったら入りたい気分になることもあるが、たいていはほろ苦さと共に、あの頃は、本当に何も考えてなかったんだなあ、何もわかってなかったんだ、と、「昔は ものをおもわざりけり」の心境に襲われる。
我の場合「思い出」とは、楽しいもの、思い出すと唇が緩んでくるようなものは少なく、思い出すのが辛くてふだんは記憶の底に閉じ込めてできるだけ忘れ去ろうとしているものばかりでも、このところようやく過ぎたことは過ぎてしまったこととして、受け容れられるようになってきた。それはそれでそのときは仕方なかったんだと。
若気の至りという言葉はあるが、若とは、バカさだの同義語だとしても、我の場合は根本的、本質的な部分がとことん愚かで、ダメであり、それは今も少しも変わっていない。
だから、昔はものを思わざりけり、の心境になっても、昔に比べて今はマシに利口になったとか、状況が良くなったと言いはる気持ちは毛頭ない。
何事においても自制心の欠如、衝動性と考えなしは若い頃とまったく変わっていないし、そうした迂闊さ、愚かさがもたらす反社会的立場からの孤立も今もほぼ続いている。我を取り巻く内外の状況は今のほうがさらに悪化している。まさに、にっちもさっちも行かない問題山積の「現在」だ。
そこに風に吹かれる葦の如く、瑣末な小さなことでもざわざわと揺さぶられる弱く脆い小さな心も相変わらずで、世間一般から見れば取るに足らない瑣末なことでもすぐ囚われては常に大騒ぎし落ち込んだりと実に恥ずかしく情けない限りである。醒めればバカも極まりだと自分でも思うのに。
しかし、では、昔のほうが良かったとか、あの頃に戻りたいなんて全く思わない。母や愛犬が元気だった頃に戻ってやり直せたらと思わなくもないが、それ以外はすべて昔より今はマシだと思いたい。
状況は今のほうがはるかに悪くなっている。しかし、今の我はその過ぎて「経験」したことを経て、昔に比べれば、内面的にははるかに深く考えるようになった。
昔はわからなかったことも少しはわかるようになってきたし、見えなかったものも見えるようになってきた。昔は全てにおいて我は浅薄であったと今にして思う。
我が本性本質、根本のところのバカとダメの部分は変えようはないし変えられるものではないが、ずいぶん昔とは考え方もキモチも変わった。
たった一年前にここに書いたことや考えていたことでも今とはずいぶん違っているし、それと比べれば「今」のほうが絶対に正しいという確信がある。むろんまた一年先の自分の考えのほうが今よりもっと正しいと思っているかとも思うが。
つまるところようやく「人生」というものがどういうものか、ほんの少しだが、見えて来た気がしている。何がいちばん大事なのかも。昔はその肝心のことがわからなかった。気持ちの赴くまま突発的、衝動的に何も考えずに行動していた。まさにその場しのぎだったと気づく。
我は昔から快楽主義者で、後先のことは何も考えずにいつもそのときどき、目先の楽しみだけで動いていた。しかし、このところやっとわかってきた。娯楽や楽しみ、癒しや快楽は、まず成すべきことを終えてから後にあるべきものであって、それらを第一義、最優先にしてはならなかったのだ。最初から「ごほうび」を神は与えてはくれない。
そして漱石先生の説く「則天去私」の教えも真理だと思う反面、単に天に全てを委ね任せるだけでなく、天=神の成すことの意味をよく考え、常に問い、語らい仰ぐところに「私」はあるのだと思えてきた。
そのうえで、起きること、起こったことの全てを赦し受け容れていく。むろん人それぞれ異なるがこの世に生を受け与えられた役割を果たしていく。それが人生の意味であり、そこに価値があるのだと思いたい。
そうしたことがようやくわかってきた。ならば過去の失態や失敗も意味があろうし、それもまたそのときは仕方なかったのだと。
そうして相変わらずバカのまま、失態失敗ばかりの人生を続けているけれども、物心ついてから半世紀以上生きて来て、母たちを喪いようやく気がついた。何がいちばん大事なことか、大切なものは何なのかと。
そんなことを夕暮れどきに傍らに犬たちをはべらせとりとめなく考える。昔は何もわからず何も考えなかったのだ。ならば今のほうがずっと良いではないかと。
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