まさに「ぬえ」のような公迷党、今度はどことくっつくのか2017年09月28日 13時08分57秒

★公明党が日本の政治をいかようにも動かしている

 我は、古本屋なので創価学会の本も数多く手に取って拝読し、彼らの教えや池田大作名誉会長についても深く畏敬の念を持っている。これまでも何冊も売った。ご本や発言を読み知る限り実に立派な方だと思われる。学会に関しては何の偏見も持たない。
 が、その学会が支援している公明党、あえて公迷党と書くが、いったいその政党としての理念などあるのだろうか。あるときは、都民ファーストと手を組み、大阪では維新に手を化し自民党と反目する。
 国政ではかつては右でも左でもないと中道を標榜し、小選挙区制に反対したり「平和の党」と自ら名乗っていたはずなのに、いつしか自民党のパートナー、与党となってからは、自民の出す政策に常に従い、秘密保護法、戦争法、そして共謀罪まで全て唯唯諾諾共に強硬成立に手を貸してしまった。

 池田先生の本を読む限り、まさにこれらの法律は先生の考え方とは相反する政策、法律だと我は思うが、学会の方々はどう考えてるのか知らないが、理解に苦しむ。公迷党は、今は国政ではただ自民党に従い反省も内省もなくまさにベストパートナーとして長年不動の関係を築いている。
 しかし、地方では、そうではない。先日の大阪の堺市長選でも自共までが手を組み反維新で共闘したのにも関わらず、維新とのカンケイを重視し、自主投票としてしまった。
 きけば、維新を怒らせると、衆院選での公明党議席がある選挙区に維新も候補者を立てるので、議席を失いたくないがため、彼らの顔を立てたのだそうだ。よって大阪都構想にも賛成ではないが、自民党のように明確に反対も言えないらしい。

 そして、先の東京都議選を見るように、自民党に逆風が吹き、自らもそれが及ぶ可能性があると見ると、すぐに不人気自民の都連とは手を切り、いち早く勝負師小池氏にすり寄り、大勝した都民ファースト側に加わり公明党もまた大勝利、完勝したのだ。

 機を見て敏なきは勇なき、という諺もあるけれど、これは勇ではなく単なる保身、日和見の極みだと我は思う。彼らにはそもそも確固たる政治理念がない。自民党や共産党には少なくともどういう政治をしてどういう国家にするかという理念、イデオロギーがしっかりある。それを「綱領」といい、民進党がグズグズで常にまとまらないのは政党としてのきちんとした綱領がないからだろう。

 公明党には、希望のゆきわたる国へ、とか、何か曖昧なキャッチフレーズだけで、彼ら自身が目指す国家像がよく見えない。要するに常に自らの議席獲得のことしか頭にないように思われる。つまり、当選第一こそ最優先の課題だから、かつての共産党のように全国あちこちにもれなく候補者を当選度外視で立てるなんて馬鹿なことは絶対にしないし、常に一人も落選者を出さぬよう、綿密に計算して絶対当選させるべく創価学会という最強の支持団体に働きかけるのであろう。

 そして真面目な学会員の方々は、あらゆる伝手を求めて全国各地からその選挙区の縁戚知り合いに電話かけまくる。近くなら直接来られる。その熱意にはまさに感嘆する。先日も選挙間近の報道を受けてすぐさまご近所の学会員の方がウチの隣近所の家を一件一件訪れて、公明党、今度は大変ですからどうかまたお願いしますと呼びかけていた。ウチには来なかったが。

 公迷党は良くも悪くも一定の政治成果を上げて来たと我は思う。そして選挙に強いゆえ政治のキャスティングボードを握り続けている。公明党の支援がないと自民党の底力などたかが知れていると先の都議選で彼らは自民党のみならず全党に地力をみせつけたではないか。

 今また小池都知事率いる「希望の党」の台頭で、今日の国会解散時の報道では、彼らは新しい受け皿が出来たら、有権者はそちらになびくかもしれないので厳しい選挙になる、と戦々恐々の面持ちであった。が、断言するが、もし新党が躍進し、自民党より多勢となれば、公迷党は迷わずに自民と縁を切り次は新党とくっついて政権にまたも居座るだろう。
 彼らはようするに選挙で勝てさえすればどの党とでも手を組む。そのときどき強い者には常になびく。まさに「ぬえ」のような政党だと前から感心すらしていた。まあ、そのことは、裏を返せば、共産党以外の政党は、ほぼどこも自民とも維新も希望の党も大差なく、しがらみがあろうとなかろうと大差ないことの証であり、どこでもいいわけだ。よって公迷党は議席と権力の座に固執し続けるのであろう。それが学会の真摯な教えにかなうと我はとても思えないが何故こんな党を支援するのであろうか。

 佐高信氏は最近の講演ではこう結んでいた。「安倍内閣に退陣を! 公明党には仏罰を!」と。

大義なき解散と大義なき政権選択選挙2017年09月28日 17時22分51秒

★民進党の議員に政治家としての矜持はあるのか

 またもや小池都知事の一大パフォーマンスで、日本の政界は大きく揺らいでいる。
 本日、国会は開会したとたん解散となってしまった。野党はずっと三か月も前から開会を求めてきたのに、森友・家計問題を追及されるので逃げ回り、無視し続けた挙句、内閣改造で成った仕事人内閣も何の仕事もせず、安倍晋三の一存で国会解散、総選挙である。こんなふざけた話があるものか。政治を私物化するにもほどがあろう。まずこの時点で、国民は彼らに愚弄されていると気づくべきだと我は考える。

 そして突然新党の代表に小池都知事が名乗り出て、「希望の党」なる新党ができ、そのとたん野党第一党民進党は代表自らが、希望の党から公認申請したい者はご自由に、と自党に見切りをつけてしまった。しかも解党するのではなく、参院では民進党は残るのだと言う。わけがわからない。
 前原代表のような日和見「無責任男」は日本の政治史上空前絶後ではないか。

 民進は希望に合流、と新聞などの見出しには出ていたが、新党側は「合流」などとんでもない、来たい者は厳しく審査すると言ってるから、改憲と安保法制等に反対してきた左派、リベラルな議員たちははじかれ行き場を失うこととなろう。
 むろんその新党が求める改憲や安保法を認めるという、いくつか条件「踏み絵」を踏めば、今まだ勢いのある新党に参加出来て、当選の芽も出てくるかと誰もが考える。
 しかしそうやって節を曲げて踏み絵を踏んだ者はもう政治家としてはオシマイだと我は思う。

 政治家でも彼らが属する政党でも何が一番大事かといえば、信義であり、どれだけ彼らが信頼できるかに尽きよう。かつての民主党が国民から愛想尽かされたのは、マニフェストに掲げたことが果たせず二転三転し政治を混乱させるばかりだったからだ。彼らは信頼できない。ならば自公政権のほうが結果を出す、と現政権支持に還った人も多いと思う。

 そしてその民進党は、代表が代わっても支持率は回復せず、さらに離党者が出続けた挙句、突然の小池新党ができたとたん、ピンチはチャンスと彼らに飛びつき、細野や長島氏ら離党者たちの元に自らも救いを求めて「合流」を願ったのである。それまでは先の参院選のときと同じく、この衆院選も野党共闘に軸足を置いていたはずなのに。

 政治家にとって公約が果たせないことはある意味仕方ないことでもある。国会は数の力で決まる場所だから、巨大与党となる議席を得ない限りどんな公約でもおいそれと実現しない。
 ならばそれ以前に、何がもっとも大事かというと、その政治家の理念、政治信条がどれだけぶれないかであろう。つまり護憲を標榜していた者は、その理念に共鳴して一票を投じた人たちに支えられ政治家になり得たのだから、絶対に護憲という政治信条は変えてはならないのである。
 それはかつて、自衛隊は違憲として選挙で常に訴え続けていた旧社会党が、自公連立により村山首相ができたとたん、合憲としたように、そうした立場が変わったとたんの変節は結果として国民から愛想尽かされる。今日の社民党が支持を失いまさに消滅の危機にあるのは、名前を変えざる得ない程、社会党は信頼できないと誰もが見限ったからではないか。

 同様にこれで雪崩をうって新たな保守政党、いや、我は希望の党はある意味「極右」政党だと見ているが、その新党にこれまでの理念をかなぐり捨てて参加する者は、一時は政治家は続けられても先はない。政治家に最も求められるのはどんなときでも時節に屈せぬ不動の政治理念があるかどうか、彼は国民の信頼に足るかどうかだろう。
 前原代表と民進党議員たちの多くは保身のあまり政治家としてのブライドを投げ捨ててしまった。安倍晋三も歴代首相最低最悪だと思うが、彼よりもゲス下劣だと我は心底あきれ果てた。政治家たる資質さえない。

 マスコミは早くも新たな二大政党制の幕開け、政権選択選挙だと騒いでいるが、その自公と希望のどちらが勝っても日本には希望も未来もないし国難は続く。

 きょう国会が解散したばかりで情勢は風雲急を告げ先のことはまったく予想もつかないが、もしまたも新党ブームで小池氏側が大勝すれば自民以外の政党すべて、共産党を除いての連立政権が誕生する可能性も高いと我は予測する。※さらにその先にあるのは保守二大政党による「大連立」=戦前回帰の体制翼賛体制ではないか。
 告示日までにその目があれば小池都知事はすぐさま都知事は辞めて衆院選に自ら参戦することであろう。そういう女なのだと断言する。元々彼女にとって都知事は最終目標ではない。あくまでも日本初の女性宰相であり、いよいよ機は熟してきたと考えているに違いない。

 先のことはわからない。ただ一番案ずるのは、まっとうな民意はどこに向かうのかだ。自公も嫌、小池新党も何か胡散臭いと迷う人たちの民意をきちんと示せる、護憲と真の脱原発を掲げる候補たちによる野党共闘はまだ残っているかだ。